第2話
レイノルド様との婚約はキルステン公爵家側から打診してきたとはいえ、政略的な婚約だった。けれども私は勝手に彼のことを恋慕していた。
レイノルド様は覚えていないだろうが、幼い頃、王宮で開かれたガーデンパーティに参加した際、青々と生い茂る生垣の中で迷ってしまい泣いていたところを助けて頂いたのだ。
迷子になった挙句、転んでしまって膝から血を流して泣きじゃくる私を慰めて大粒のキャンディをくださり、背中におぶってお母様の元まで送り届けてくれた。
それだけであっけなく恋に落ちたのだ。
そんな些細な出会いだから小さい頃から異性に囲まれていたレイノルド様はきっと覚えていないだろうけれど、出会いから二年ほど経った後に婚約の打診が来た時は天からの贈り物だとさえ考えた。
公爵家と伯爵家。家格の差は大きくて私に公爵夫人など務まるか不安だったが、彼のためにと淑女教育も頑張った。
婚約が結ばれた当初は他の子息と同様に表情豊かなお方だった。けれども徐々に私の前では無愛想で寡黙な人になっていったのだ。最初は何か気に障るようなことをしてしまったのかと己の行動を振り返ってみたのだが、失態を犯した覚えはない。
だから元から嫌われていたが、両家の親を安心させるために最初だけ演技していたのだと勝手に解釈した。
そのため、慕う気持ちを胸に秘め、今に至るまで必要最低限の交流しかしていない。
──もっと話がしたい。他の婚約者同士のように出掛けたい。笑い合って交流を持ちたい。
そんな欲望が出てくる度に婚約が結ばれている時点で幸運なのだから、わがままな思いは表に出してはいけないとそう、蓋をしていたのに。
レイノルド様の言動にどうしても心臓が高鳴ってしまう。
(シルヴィア、ダメよ。これは記憶が戻るまでの期間限定なのだから、慣れてはいけないのよ)
自分自身に言い聞かせていると学校に到着し、先に降りたレイノルド様がそっと手を差し伸べてくる。途端、同じように降車していた周りの生徒たちがざわざわと騒ぎ始めた。
「おい、あのレイノルドが婚約者と登校しているぞ!?」
「まじか! 明日空から槍が降ってくるんじゃないか!?」
そんな声が聞こえてきてこくこくと心の中で同意する。そのくらい、普段のレイノルド様とは言動がかけ離れているのだ。
好奇心丸出しの視線を一身に受けながら校舎に入り、それぞれのクラスへと向かう。途中、事情を知るジョナスが合流してレイノルド様と別れた。
これでもう、別学年である彼とは今日一日顔を合わせることはないだろうと密かに安堵していたのだが、そんな私の考えは甘かった。
昼休みを告げる鐘が鳴るや否や目の前に彼が現れたのだ。
「レイ、何か用でもありましたか」
「用が無ければ会いに来てはいけないのだろうか」
「そういうわけでもありませんが……」
これまた学校内でレイノルド様から声をかけられるのは数少なく、ましてや教室まで来られることは無かったので火急の案件でもあるのかと思ったが違うらしい。
私は開きっぱなしにしていた教科書を閉じてカバンにしまうと、レイノルド様は再度口を開いた。
「この後は用事があるのか?」
「ありませんが」
「なら昼食に誘ってもいいかな」
カシャンッと盛大な音を立てて手から滑り落ちた筆記用具が床に落ちた。
「いつも、ご友人方と召し上がっていますよね」
暗に、普段とは違う言動だと伝えているのだがレイノルド様はにこにこと笑うばかりで弾かれてしまう。
「せっかくだ。たまには可愛い私の婚約者と昼食を共にしたいと思うのは普通のことだろう。学年が違うせいで授業は一緒に受けられないから」
拾い上げた筆記用具がまた手から落ちた。
ストレートな物言いに教室全体がザワつく。隣にいた事情を知らないナタリアなんて「あらあらまあまあ!」と瞳を輝かせて腰のあたりを肘でつついてくる。
「他に約束があるのならもちろんそちらを優先してくれて構わないが」
「ありませんわ!」
答えたのは私ではなく、約束しなくとも毎日昼食を共に食べているナタリアだった。彼女はそっと耳打ちしてくる。
「あんなに関係性について悩んでいたのに、いつの間に改善したの? 良かったじゃない!」
「これはちょっと事情があって……」
「事情って?」
「それは……」
もごもごと言葉を濁す。
一週間ほどで治るとはいえ、公爵家の息子が記憶喪失に陥っているというのはスキャンダルに違いない。安易に他の人に公言するのは避けた方がいいに決まっているので、ナタリアにも伝えていなかったから勘違いしてしまったようだ。
「とにかく、一時的なものなの。あまりはしゃがないで。私はレイノルド様と食事する気はないわ」
誘われて嬉しかったのに、意地を張って反対のことを友人に言ってしまう。
「ふーん、そう、分かったわ」
ナタリアは私との会話を終わらせ、くるりとレイノルド様に向き直る。
「シルヴィアもレイノルド様と食事を共にしたいようです」
「ナタリア!」
抗議する代わりに裾を引っ張るが何処吹く風だ。
「ヴィアも思ってくれているの?」
「……ええ」
本音を言えばしたいに決まっている。誰であっても好きな人とは一秒でも長くそばに居たいと願う。
(記憶のない今だけは……少しくらい平気かしら?)
記憶が戻ったらこんな風に誘われることは無くなる。だからほんのちょっぴり封印していた自分の気持ちに素直になることにした。
「私もレイと昼食をいただきたいです」
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