寡黙な婚約者が一心に愛を囁いてくるまで

夕香里

第1話

「んっ」

「目が覚めましたか?」


 寝台の横に置かれていた椅子に座り、彼が目を覚ますのを待っていた私は、微かな声を発しながらゆるりと開いた瞳を覗く。


「ご気分はいかがですか」


 ゆっくり尋ねると、彼は大きく目を見開いて何故か頬を赤らめていた。


「熱でもありますか」


 心配になり、そっと彼の額に手を伸ばそうとすると手首をやさしく掴まれる。


「……レイノルド様?」


 先程まで眠っていた青年──レイノルド様は僅かに眉をひそめてため息を吐いたあと、体を起こした。

 そうして真剣な顔をして突然驚くことを告げたのだ。


「この場にそぐわず、不躾なのは重々承知している。だが、どうやら私は貴女に一目惚れしたらしい。どうか、婚約していただけないか」


 そんなことを言われ、私は頭の中をクエッションマークでいっぱいにしながら指輪の光る左手をレイノルド様に見せた。



「…………えっと、私は既にレイノルド様の婚約者ですけれど」



 ◇◇◇



 事の発端は数時間前に遡る。

 授業が終わった私は友人のナタリアと共に図書館で課題に必要な調べ物をしていたのだが、そこに慌てた様子の男子生徒が声をかけてきたのだ。


 その男子生徒は私もよく知る幼なじみのジョナスで、普段は冷静な彼が切羽詰まった様子で向かってくるのは珍しく、首を傾げてしまう。


「ジョナス、どうかしたの」

「それが大変なんだ! レイノルドが薬学の実験中に作成途中だった魔法薬をうっかり頭から被ってしまったようで、意識を失って医務室に運ばれたんだ。君は婚約者だから取り急ぎ伝えに──ってシルヴィア!」


 私は居ても立っても居られず、持っていた本をテーブルに置いて駆け出していた。

 その後、医務室駐在の先生と薬学の先生からレイノルド様の状態を聞き、命に別状はないとのことで目を覚ますのを待っていたのだけれど。


 ──これは一体どういうことだろうか。


 太陽の一雫を垂らしたかのような黄金の瞳が私を真正面から射抜いている。その表情はごくごく見慣れたものなのに、告げられた発言が衝撃的すぎて頭に入ってこない。しばらくぱちぱちと瞬きを繰り返す。


「君が私の婚約者?」


 訝しげな様子に私はゴクリと唾を飲み込んだ。もしかしたら魔法薬の副作用か何かで記憶を失っているのかもしれない。だとしたら突然見ず知らずの人に「貴方と婚約している」と言われても信じられないだろう。私のことも分からないようだし、その線は濃厚だ。


「ええ、疑うようでしたら他の方にも──」

「白薔薇のように美しい貴女が私の婚約者なのか?」

「えっ」


 見当違いの返答にぴしりと固まってしまう。


 白薔薇と例えられたのは一体どのご令嬢のことだろうか。きょろきょろと辺りを見渡すが、医務室の先生はレイノルド様の家門──キルステン公爵家宛に手紙をしたためるためこの場にはおらず、私とレイノルド様しか存在しない。


 だから白薔薇に該当するのは私だけのはずだが、私の知っているレイノルド様はそのような言葉をかけてくる人ではないのだ。


 いつものレイノルド様は寡黙で私の前では表情が緩むことはなく、無愛想な顔をしている。けれどもジョナスを筆頭に友人たちの前では朗らかな笑い声を上げながら笑っている彼を見かけたことがあるので、私はずっと嫌われているのだと思っていた。


 そんなレイノルド様が今までで見たこともないほど柔らかい眼差しを私に向けていて。白薔薇というのも、私の銀髪を指しているなら一応納得もできるが……。


 もう何が何だか分からない。


 すると彼の手が下ろしていた私の髪のひと房を絡めとる。


「あ、あの? レイノルドさ──っ!」


 自然な流れで手の中に収まった白銀の髪に口付けされた。途端、どきどきと心臓がうるさくなり、顔がみるみるうちに赤くなっていくのを感じる。彼は人たらしにでもなったのだろうか。


「まだ名前を聞いていなかった。貴女の名前を教えてくれると嬉しい」

「……シルヴィア、シルヴィア・エバンスです」

「ああ、エバンス伯爵家の」


 そうして彼はふわりと気の抜けた笑顔を向けてくるのだ。


「理由は分からないがどうやら私は記憶が無いらしい。だが、貴女と婚約している私はこの世界で一番幸せだろうな」


 甘い言葉を吐くレイノルド様に慣れておらず、私は全ての思考を停止して再度固まってしまった。


 その後、医務室の先生が薬学の先生を連れて戻ってきたのでレイノルド様の様子がおかしいことを伝え、診察をしてもらう。


「嘘を話せなくなる薬を作らせていたのだが……どうやら未完成の物を飲んでしまったことで色々副作用が出ているみたいだな」

「治るのですか?」

「そんなに複雑な魔法薬では無いから解毒薬を飲まなくても一週間もあれば解けるというのが俺の見解だが、どうだ?」


 薬学の先生から話を振られた医務室の先生もこくりと頷いた。


「──大概同意です。記憶喪失も一時的なものでしょう。過去に何度か似たような事故がありましたが、全員記憶を取り戻していますから」


 その言葉にほっとする。今後、記憶が戻らなかったら彼はどうなってしまうのだろうかと心配だったから。


 不幸中の幸いにも全てを忘れている訳ではなく、失った部分は人間関係についてのみのようなので日常生活に差し障りは無さそうだ。一週間ほどであれば、期間的にもそれほど支障は出ないだろう。


 そうして診察を終えたレイノルド様と私は馬車の待つエントランスホールへ向かう。待機していたエバンス伯爵家の家紋が入った馬車を見つけ、レイノルド様に軽く頭を下げた。


「それではこれにて失礼します。何かお困りのことがございましたら力になりますので何なりと仰ってください」

「ありがとう助かるよ。また明日の朝会おう」

「はい」


 明日の朝という単語に引っ掛かりを覚えたが、表現の仕方が異なるだけで学校で会おうということだろう。私はにこりと笑うレイノルド様に、再度頭を下げて伯爵邸に帰宅した。


 次の日の朝、登校するために馬車に乗り込もうとした私は目を瞬かせた。車内に居るはずのない人が座っていたのだ。


「レイ、ノルド様?」

「おはようシルヴィア」

「……おはようございます」


 隣にいた専属侍女も珍しく目を丸くして私とレイノルド様を交互に見やる。


 これは現実なのだろうか。都合の良い夢ならば早く覚めて欲しい。ごしごしと目を擦るが、広がる光景は変わらずに目の前の彼が不思議そうに見つめてくるばかりだ。


「なぜ、ここに?」

「昨日、帰宅してから父上と母上から必要最低限のことを教えてもらったのだが、学校内のことは君から聞く方がいいだろうと、せっかくなので迎えに来たんだ」

「そうですか」


 昨日から驚くことばかりで脳内の処理が追いつかない。呆然としながら返事だけすると、反応が芳しくないと思ったのかすまなそうな声色で顔色をうかがってくる。


「さすがに迷惑だったかな」

「迷惑……ではありませんけれど」


 困惑が大きく、どう反応すれば良いのか正解が分からないのだ。今までのレイノルド様だったなら私を迎えに来るなんてことするはずがないから。


「では私の誘いに乗ってくれるかい」

「はい」


 断る理由もないので馬車に乗り込むと、向かいの席に座っていたレイノルド様が口を開いた。


「お願いがある」

「何でしょうか」

「私のことはレイと呼んで欲しい。そして君のことをヴィアと呼びたい」

「…………はい?」


 驚きすぎて今回は聞き返してしまった。


 「ヴィア」はシルヴィア、「レイ」はレイノルドの愛称だ。私達は婚約者ではあるが愛称で呼びあうほど良好な関係とは言えず、むしろ隔たりを感じていたので呼び合いは自分たちには無理だと思っていた。


 けれど密かに憧れていた私は心の中で何度かレイノルド様の愛称を呼んだことがあったので、気づいた時には了承していた。


「レイノルド様のお好きなようにしてください」

「ありがとうヴィア」

「っ!」


 初めて呼ばれた愛称は耳が熔けてしまいそうなほど甘く聞こえた。反則級の破壊力に、頬をうっすら赤らめてしまう。


「ではヴィア、私の名を一度呼んでくれないか」

「…………レイ、さま」

「様も要らない」

「──レイ」


 おずおずと口にした愛称に、ぱっと花開くようにレイノルド様は笑い、私の心臓は甘い痺れを帯びた。

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