第2話
・2
魔術組織アルセで起きた騒ぎは、ひと目につかない場所で行われたものではなかった。夜中でもなく、屋敷内ということもあり、周辺には数多くはないにしても実際にその場で見ていた人たちがいる。明るい場所で、人が突然苦しみを訴えながら床に倒れたのだ。誰もがその状況に注目するのは自然なことである。そこにいた彼らは、その出来事に心を奪われていた。それでも、ミラが知りたい情報を彼らが持っていたのは事実である。
そこにいた彼らは、怪しい人物を認識していた。屋敷内では「見慣れない人間がいる」と感じていたが、それを特に意識するまでには至っていなかった。そんな彼らが慌ててフィアの状態を確かめていると、警備をしている者が騒ぎを聞きつけてやってきた。その者は到着するとすぐに事態を把握していく。彼女には「呪い」がかけられている。これはただの呪いではない。命の危険がある。フィアが倒れた原因を知ると、その者は周囲の者たちにこう尋ねた。「怪しい者を見なかったか?」と。問いが、彼らを気付かせた。「見慣れない男がいました」その男が「ヘイズ」だったのである。
その頃、ヘイズは特に急ぐ様子もなく、しれっとした態度で本拠地の屋敷を離れようとしていた。目立つ行動は避けていたのだろう。血走った目を大きく開き、激しく荒い息を吐き、汗を垂らしながら走り去るのは、いかにも私ですと言っているようなものだ。それに運良く未だ静かな状況で、無駄に体力を使いたくはなかったのだと思われる。彼はそのまま堂々と玄関から出ようとしていた。そこに彼は声をかけられる。
高い声を聞くと、彼はまるでスイッチが入ったかのように逃げ出した。今こそ走るべきだ。まさに「見つかった」と思ったはずだ。彼は街へと逃げ込んでいく。屋敷で探していた者たちは、いかにもなそんな彼を追いかけた。
最後に、ヘイズという男は、狙い通りその場所から逃げることに成功した。捕まえることはできなかった。なぜなら、彼は逃れるために「空色の指輪」を所持していたのである。彼を追っていた者たちも、さすがに「
ヘイズは星銀の城で活動する魔術師だった。指輪管理組織『七つの鐘』の調査によれば、そうなっている。ではなぜ、その彼がアルセに所属する彼女、フィルティア・アールクレイを狙ったのだろう。フィアには彼との面識はない。呪いをかける、つまり恨みを買うことはしていないはずだった。そう彼女は思っている。それもあってか、少数の人々の間では、「ミラを自らバルサから辞めさせることが目的だったのではないか」という噂が囁かれている。星銀の城の一大勢力である組織の戦力を下げたい。彼女は非常に邪魔な存在だ。もしその噂がそのとおりなら、ヘイズの望みは達成されたと言える。ミラは自分から組織を辞めると言い出したわけではなかったが、結果的にバルサを辞めることになったのだから。
ミラは自分のせいでフィアに呪いをかけられたのだと思うと、申し訳ない気持ちが胸を締めつけた。自分が狙われるのはまだ受け入れられる。危ない生活には慣れている。「悪魔」、「黙魔」、「夢魔」、「獣魔」、「吸血鬼」、「死食鬼」、「幽鬼」など、さまざまな怪物退治の経験を何度もしてきた。幻獣としては「グリフィン」や「かまいたち」、巨人としては「トロール」も含まれる。だが、今回の場合となると話が違ってくる。彼女にとってフィアは特別な存在だ。「家族」という存在ではないことは理解しているが、一緒にこの世界へと導かれ、記憶のないおよそ七歳の子供として流れ着いた相手であり、言葉では表現しきれないほどの精神的な結びつきを感じていた。フィアは私とは異なり、危険から遠い世界にいると信じていた。この出来事がミラにとって悲しいものであったのは間違いない。
背中で一つに束ねた髪が歩くたびに揺れている。ミラは星銀の城の玄関扉を開くと、海と城壁に囲まれた島「海城」から、空に浮かぶ島「空城」の地に足を踏み入れた。呪いを解くための旅に出発する時が来たのである。彼女の傍にはフィアとアベルがいた。
「夜」の日。極光。
この世界の「星の光」は今日も美しく、浴びれば異界でも意思の疎通に困らない。
到着して、フィアが腕を大きく広げた。彼女は笑みを浮かべて、星空を見上げながら、感動の表情を浮かべる。
「わあ、いい天気だね。絶好のお出かけ日和ですね。相変わらず素敵な夜空に、風も心地よくて」
ミラは風を肌で感じ、立ち止まった。「そうかもしれませんね」と彼女は同意を示す。
フィアは体を少し傾け、大きく広げていた腕を後ろに回して手を組んだ。
「これから別世界に飛ぶんだよね。あっちの世界でも晴れているのかな?」
「どうでしょう? 向こうでも晴れているといいんですが」
フィアは傍にいた彼にも尋ねてみる。
「アベルはどう思う?」
「どうだろうな。行ってみないとわからん」
「私はね、晴れていると思います。だって、こんなにいい夜空なんだもん」
彼女はそびえ立つお城を見上げた。高いお城をじっと見つめている。呪いをかけられているとは思えない。彼女の明るさは陽気な性格を映していた。
ミラはフィアの様子を見ていた。建物を見つめる姿に、不安を感じる。
「体調は大丈夫ですか?」
「ミラ、心配し過ぎだよ」とフィアは微笑んだ。
「出る前に平気だって言ったでしょ。だから、こうしてここにいるのに。ほらっ、この私が元気ないように見える?」
「ですが、フィアの魔法のこともあるので」
ふふ、とフィアは笑った。
「問題はないから。なにかあったら、ちゃんと言われたとおり、ミラに言うよ」
彼女は頬を緩めると、少し間を置いてから「もちろんアベルにも言うからね」と言った。
「そうですね。では、お願いします」
「うん、まかせてよ」
ミラは彼女の顔を見て、ひとまず安心した。
アベルがそっと声をかけた。
「行くか。すぐに見つかるといいんだが」
彼らが歩き出そうとしていると、銀色の建物の方から軋むような音が鳴った。ひとりでに開くわけではなく、誰かが大きな玄関扉を開けている。すると、そこからアイナが姿を現した。彼女はいったい何をしに来たのだろう、見送りに来たのだろうか。いつもとは異なる服装をした彼女は迷いもせずこちらにやってくる。
フィアは声を上げた。
「アイナ、どうしたの? もしかして見送りに来てくれたの?」
アイナは立ち止まり、腰に手を当てた。
「見送りも悪くないとは思うけど、これが見送りに見える?」
彼女は服装について言っているようだった。だが、普段とは服装が異なるだけで、特に何もない。何に見えると言われても、どう答えればいいのか。
アイナは待たずに答えを出した。
「私もいくよ。その旅についていく」
「えっ、アイナもついてくるの?」
フィアは驚いた顔をした。彼女がついてくるとは聞いていなかったので、驚くのも無理はない。それは、他の二人も同じだった。
ミラが言う。
「アイナ、どういうつもりですか? どうしてそんなことを」
「人手が必要でしょ?」と彼女は軽く眉を上げた。
「ミラ、いいじゃん」とフィアはミラの腕を掴む。
「アイナも一緒で四人の旅だよ。私とミラとアベルとアイナ。数が多いほうが賑やかな旅になると思うし、数が多いほうが心強い」
「だよねえ」とアイナは合いの手を入れる。
うん、とフィアは元気よく頷いた。
「ミラ、いいでしょ? アベルもいいよね」
「そうですね」
ミラは少し間を置いた。
「アベル、いいでしょうか?」
「お前がいいって言うなら、それで構わない。俺はあくまで補助役なんだから、決定権はお前にある」
ミラは考えながら、アイナとフィアが楽しそうに会話しているのを眺めた。
「では、アイナも一緒にいきましょう」
「アイナ、行こう。これで四人一緒の旅だね」
フィアは嬉しさを隠せずにいた。
こうして急な出来事だったが、旅の仲間が一人増えた。アイナといくつか話を終えてから、ミラは七つの鐘から特別に借りてきた空色の指輪を準備する。間もなくして、そこから黒い影が生まれた。空洞だ。そこへ飛び込めば、あとは星銀の城から別の世界へと行ける。呪いを解くための異界へと渡った四人の旅がここから始まる。
「お前、ほかにも服持ってたんだな」
アベルが出る前に、ぼそりと言った。
アイナが相手の顔を見上げる。
「ちょっと、レディに対してその言葉失礼じゃないかな」
彼女は続けて、溜息をつく。
「言っておくけど、私がどの組織にも属していない『未所属』で、お金も無ければ、寝るとこも食べ物もないからといって、まったく服が無いとか、着た服洗濯していないとか、そんなのありえないからね。これでも、私は立派な女性なわけであって。お風呂だってちゃんと入ってるし、汗とか臭いとか、そういう細かいことには気を使っているんだから」
フィアが言った。
「アイナ、よくアルセにあるお風呂、借りに来てるもんね」
「ほらあ。どうだ」
アベルは思うところもあったが、それ以上なにも言おうとはしなかった。
アイナはひとりで小さく呟いた。
「呪いというものは、いざ解こうとすると、させまいと世が動く。どうなるだろうな」
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