第1話

 ・1



 少し前に物音が聞こえ、再び静寂が訪れるまで、その場で静かに待っていた。ソファの押し返す力を身体に感じながら、周りの暖色の家具を目で追う。部屋の隅には石材の暖炉があるが、火は灯っておらず、今日は仕事をしていない。前に訪れたときは、木が小さく弾ける音を立て、それなりの確かな熱を放っていた。燃え盛る様子は命のように感じられ、明るさが広々としたこの談話室を照らしていた。ミラはその日のことを思い出し、熱のない寂しさを身体の底から感じながら、何もない暖炉をじっと見つめていた。


 蒼穹そうきゅうせんとは思えないほど静かな部屋だった。はるか上空、空飛ぶ船のなかにいるからといって、何も聞こえないわけではない。大きな船を浮かすのはそれ相応の力がいる。だが、細かく気にするほどのものがここにはなかった。ここで生活していると考えると、大きな物音は邪魔な存在なのかもしれない。密閉された空間をつくり、些細な揺れをできる限りなくして、住みやすいようにこの船は作られている。ミラはそう考える。何も知らない者が訪れたら、まず船の中にいるとは思わないだろう。誰かが「ひとつの家だな」と勘違いしてもおかしくはない。快適な空飛ぶ家のなかにいる。そのぐらいに安心して暮らせる環境のようにここは思える。


 星銀の城にある魔術組織『ブリゼ』。この組織はニヤ・ビルグラムという男が設立したもので、総勢は九名である。ミラはそれを知っている。実際、彼女をこの組織に誘ったのがその彼だった。彼女はどの組織にも属さない状態で、ニヤと出会ったのである。


「俺のところに来ないか」そんなありふれた言葉が誘い文句だった。その時、ミラはニヤとは初対面だった。急に現れた男がまさかブリゼの代表だとは彼女も思わない。それに彼は星銀の城でかなり前から「行方不明になっている」という話を聞いていた。それゆえにはじめの印象としては、ニヤ・ビルグラムという男は、不安を与えられるほどではないが怪しい人物だった。しかし、彼女は耳を貸して彼の正体を理解し、「組織に所属するか」という誘いをすんなりと受け入れる。拒絶したりはしなかった。べつに行く当てがあったわけではなかった。もし自分が望む場所が一つでもあれば、状況は違っていたかもしれない。しかし、大きく断る理由のない彼女には、そのまま妙な出会いから生まれた流れに身を委ねるのも悪くないという気がしたのである。評判の悪い組織だったら、悩まずに断っていただろうが。




 約十一年前、空城(空に浮かぶ島)に突然現れた二人の「迷い子」のうちの一人が、ミール・アルバである。彼女は「優秀だ」と評判で、どの組織に所属するのか気になる人もいたに違いない。星銀の城では彼女の名前は有名だ。とはいえ、状況をよく考えると、多くの人が彼女が「未所属」になったことを知らないのではないだろうか。


 ミラはとても短い期間、どの集団にも属さない「未所属」という経験をしていた。その間に自分自身を見つめ直す貴重な時間を持つことができた。


 星銀の城とは何か? それは「魔法使いの国」と思ってもらえるといい。現在、この無数の世界の一つにそう呼ばれる「場所」が存在する。各々の世界が隔たる中に、そうした「異界」がある。そしてそこには、数多くの魔術組織があり、卓越した技量を持つ別世界から集いし魔術師がおり、彼らは日々を過ごしている。


 ミラは暖炉を眺めるのをやめ、背の低いテーブルに視線を落とした。自分の両手に目をやる。ブリゼに所属する。自分のこの選択が間違っているかどうか、ミラにはわからなかった。すこしも正しいとは思ってはいない。それをこれから決めるのが自分にとって大事なのだろう。彼女はそう思うことしかできなかった。


 そんなミラには、幼い頃にある人から聞かされた大事な言葉があった。その人とは彼女にとって感謝すべき人物である。あのように支えてくれる人がいなかったら、ミラも今のようには成長を遂げなかっただろう。今ある強さとはかなり異なるものになっていたにちがいない。


 べレクトル・デイ・レギは言った。やろうと思えば、簡単に人の指を落とせるのが魔法です。私たちがしていることは、魔法が使えたらいいという仕事ではなく、剣や銃の腕前があればいいという仕事ではありません。ありとあらゆる知識があってこそ成り立ちます。戦う術も必要ですが、それだけでは心意気としてどうかしています。浅すぎといいますか、気概が感じられません。それに「このような仕事」、どこの誰が軽い気持ちでやるのでしょう? 厳しいかもしれませんが、「初めて」が通用するような世界ではありません。相手はそんなことを知りもしないのですから、全力であなたを倒そうとするでしょう。私たちは特定の職業を持っているわけではありませんが、ある意味専門家のようなものです。そんなふうに人から言われたりすることもあります。だから、ここにいる魔術師の多くは、たくさん学んで知識を豊富に蓄えている。他人の命もそうですが、自分の命もかかっているのですから。わかりましたか。私たちの仕事、特に「怪物退治」においては思いつきでやるようなものではありません。一朝一夕でやるようなものでもありません。戦うというのなら、その相手を知ることが大事だということです。それだけでも相手に勝る部分がある。幼い頃から魔術師だというのであれば、成長した時のためにも知識が必要となるでしょう。それはこれからの未来、あなたの守りたいと思うもののためにもです。いいですか、これからあなたにはたくさん学んでもらいますよ。


 これからの未来を、私が決めなければならない。ミラは過去の記憶からいくつかの言葉たちを思い出すと、思考が重くなり、疲れた身体をソファに預けた。ベレが丁寧に述べた言葉は、今でも心に深く刻まれている。


 ほんの三秒ほどの静寂が過ぎた。彼女は思わず身体を起こす。廊下から、扉を開く音がした。


 優しい声が響く。ケイトの声だ。


「ミラさん、お待たせしました」


 先ほどの音は、彼女の仕業だったのだろう。ケイトが青色のロングスカートを揺らし、微笑みながらこちらに向かって歩いてきた。彼女の顔には、少しの緊張感が見え隠れしている。


「いろいろ大変なことになりましたね。もう、なんといったらいいのか」


 ミラは心の中で感謝の気持ちが湧き上がった。言葉を探す。


「いいえ。こうなったのなら、受け入れるしかありません。それよりも、ケイト、ありがとうございます。こうして私を迎え入れてくれて」


「そんな、私としては大歓迎なんですよ。ブリゼは人数の少ない組織なので」


 ケイトは微笑んでいた。その表情は、周囲の人々に安心感を与え、気持ちを和らげるものであった。ミラは彼女の僅かな仕草に、そんな感想を抱いた。自分にもあのような表情ができれば、多くの人に好かれたりするのだろうか。すこし考えてから、これはそれほど気にすべきものではないなと彼女は思う。「大歓迎と言われると、私も嬉しいですね」とミラは口にした。


 ミラはケイトの振る舞いに憧れを抱いていたが、それにしてはケイトの秘密を知っていた。その秘密とは、ケイトが人間でも亜人でもないということだ。彼女は人の容姿をした「機械(マシナス)」である。人型のマシナスは、宝石ほうせき魔力まりょく宝石ほうせき)から生まれた存在だ。万能に達して優等なる人造人間。ケイトは魔宝石から魔術によって生成され、一つの生命体としてそこにいる。日常的に別世界のお茶を楽しみ、分厚い本をいくつも読んでいる。人に声をかけられれば、それに答える。完璧といえよう女性の容姿をして、人間のように振る舞っている。


 その彼女に憧れを抱くのはおかしいのだろうか。ミラにはよくわからない。


「これから、ケイトには長くお世話になると思います」


「この私に任せてください」


 ケイトはそう言うと、ゆるやかに両手を合わせた。


「驚きましたが、もうミラさんへの依頼がブリゼに来ていますよ」


 ミラもその言葉に驚く。


「もう、依頼が?」


「はい、魔物退治だったと思います。早いですよね。まさか、ここまですぐに依頼が来るとは思ってもいませんでした。ここに来て、まだそれほど経っていないというのに」


「そうですか。わたしに、もうそのような仕事が」


「心配しないでくださいね」


 ケイトはミラの様子を気にかけていた。


「今はそれどころではないことは十分にわかっています。何とかするつもりですので、その依頼主には申し訳ないですが、『望むような形にはならない』と伝えようかと考えています」


 ミラは考えた。


「はい、おねがいします」


 ブリゼに所属したことが広まるのも時間の問題だろう。ミラはできるだけ知り合いにはそれを伝えていなかったので、静かな波を待つような気持ちで数日を過ごしていた。考えを巡らせたうえで行動したが、すでに小さな波が訪れ始めている。


 また、船内で物音がした。二人はそれに反応を示す。


「アイナですか」とケイトが言った。


 そこには、背が高い二十代前半の女性が立っていた。髪は多少乱れており、顔は寝床から起きたばかりのような表情をしている。


 アイナは壁に手を当てた。「はあ」と息をつく。


「よく寝た。いい気持ち」


 おぼろげな声が談話室に響いた。目覚めたばかりの瞳、口元が緩んでいる。心地よい目覚めを迎えたようだ。


 ケイトはそれを聞くと、呆れたように彼女を見つめた。「また勝手に寝台を使って」と、すこしばかり怒ったふうにものを言う。


 アイナは悪びれず幸せそうである。


「いい匂いがしたよ。眠るのに最高だった」


「もしかして、ミラさんの部屋にある寝台で寝ていたんですか?」


 アイナは通路に視線を向け、首を傾げた。誰の部屋で寝ていたのか、はっきりとはわからないようだ。


「えっ? どうだったかな。よくわからないかも」


 寝床として良さそうだったから、入った。そんなところだろう。


「先ほどの音からして、そうでしょうね。私の部屋から出てきたように思えます」


 ミラは確信していた。彼女は自分の部屋がどこにあるのかを知っている。


「そっか。ミラの部屋か。いい寝台だったよ。眠るのに最高だった」


「そうですか。しかし、嬉しくはないですね。褒められているとは思えませんし」


「いやいや、あの寝台なら、私なら何十時間も寝られるよ。保証してあげる」


 困った人だと、ミラは相手を見る。


「そんな保証はいりません」


「あの寝台、また使ってもいい?」


 ミラは考えて答えた。


「好きにしてください」


 すると、「ミラさん」とケイトが名を呼ぶ。甘やかしてはいけないと思っているのだろう。しかし、アイナはそういう人物だ。ミラは少なくともそう考えている。彼女は他の組織に入り浸り、身体を休める寝床すら持っていない。誰かに支えてもらいながら生活している。


 アイナは得意げに鼻を鳴らした。


「よし、寝床確保。ブリゼにはまだまだお世話になりそうだ。ケイト、よろしく」


 彼女はわずかに声を張った。


「私の寝台も使っていたじゃないですか」


「ケイトのはもちろん、ミラの寝台でも、私は眠りたいんだよ」


「わたしには、よくわかりません」


 アイナはソファの方へと歩いていった。座ると、両手で生地の具合でも確かめるように弱い力で叩く。そのあと、身体を軽く揺らした。


「ミラがブリゼに所属か。驚きだね。まさかこうなるとは思わなかったよ」


 アイナは話題を逸らすために大きく切り出した。


 ケイトはまんまとその話に乗る。


「とても急なことでしたもんね。私もそう思います。話を聞かされたときは、何が起きたのかわかりませんでした。今でも嘘のように思えます」


 彼女はそうして空いているソファに腰を下ろした。


 ミラは交互に二人を見る。


「それほどまでに、驚くようなこと、でしょうか?」


「もちろんですよ、ミラさん」とケイトは言う。


 続けて、アイナが言った。


「わかっていないようなので、教えてあげるけど、ミラは最近まで、この世界の数ある組織の中の一大勢力バルサに所属していた。それも、あの勢力ではかなりの有名人としてね。バルサで有名人はベレとかセレステとか他にもいるけど、その一人が組織を辞めたとなれば、多くの人が驚くのも無理はない。そうは思わないかい?」


 ミラは一度口を閉じる。私は彼らほどではない――。そういうものだろうか。


「しかし、バルサに居続けることが約束されていたわけではありません。今までに、このようなことはあります。そして実際に、私もその一人として、組織を脱退しました」


「……ああ、それもそうか」


「それでも私には驚きですよ」とケイトが小声で言う。


 アイナはちらりと目をやった。


「まあ、まさしく何がなんだかだね。混乱している。でも、まだ何も知らない人もいる。そういう人にとっては、この数日間の出来事に衝撃を受けるしかないだろうね」


 言い終えてから、アイナは聞こえるように息を吐いた。


「それで、えっと、これは予想に過ぎないのだけど、自分からバルサを辞めたのかな?」


 ケイトは表情を変えた。


「アイナ、そういうのは軽い気持ちで聞いていいものではない、のではないかと。事情があるのは分かりきっています」


「いいえ、ケイト」とミラは首を横に振った。


「べつに聞かれても問題はありません」


「ミラさん、そうは言いますが……」


「バルサを辞めたのは、自分から言ったわけではありません」


「ということは、そういうことか」


「ええ、辞めるように言われました。エツさんに直接」


「エツさんに直接言われたのですか? 辞めるようにと」


 ミラはそれに返事をしなかったが、彼女が「そうだ」と言っているのは理解できるだろう。彼女もそのつもりで口にしなかった。組織の代表補佐に直に告げられた。


 アイナは尋ねた。


「ベレはそのことを知っているのかな?」


「ベレは知っています。私の口から伝えました」


 ミラはその時間帯を鮮明に思い出す。汚れのない窓から明るい星が見えていた。


「自分で言ったんだ」とアイナは驚いている。


「彼女は何か言わなかったかい?」


「ベレは、何も言いませんでした。そうですか、という一言だけです」


「そう、一言。あんがいそれは寂しい一言だね。彼女なら何か言うと思ったのだけど」


「彼女も忙しい立場にいるので、私にそれほど構ってはいられないのでしょう。子供の頃とは違います。それに、私を彼女が意見してまで引き留める理由もないでしょう」


 引き留められることは期待していなかった。ミラは自身に問いかけて、確かにそうだと自分に言い聞かせる。ベレに伝えたのは、これまでお世話になったからだ。


「理由は」とアイナは呟いた。


「じゃあ、なんだけど、理由を聞いてもいいかい?」


「辞めるように言われた理由をでしょうか?」


「ああ、辞めるように言われた理由。それを聞かないと、私はともかく、たぶんケイトは納得できない部分もあるんじゃないかな」


「わたしは、そうですね。納得できない部分があります」


「だってさ」


 ミラはどう説明しようかと悩んだ。答えを決めると、やや顔を上げた。


「理由については、言えません。ですが、これはしっかりとした理由があってのことです。まずエツさんはバルサの代表補佐である以前に、たいした考えのない行動を取るような人ではないので」


「ミラさんは、それに納得しているのですか?」


「はい、私は納得しています」


「そうなのですか。では」


 ケイトはそこまで言うと、最後に頷いた。もうこれ以上言うことはないのだろう。


 アイナは状況を見守っていた。


「『フィアの呪い』は、いまどんな状態?」


 ミラは誇張せずそのまま話した。


「いいとは言えませんね」


 ケイトが身体を前に傾ける。


「先ほど、炎舞の魔術組織『アルセ』から連絡を受けました。健康面でいえば、フィアさんの状態は良くなっているそうです。眠りから覚め、今ではお一人で立つこともでき、ちゃんと食事もとれています。生活するには他の人と同じく何も問題はないとのことですが、それはあくまで日常生活における身体的な面であって、彼女の呪いについては消えていません。フィアさんの右腕にはまだしっかりと『赤い模様』が消えずに刻まれているそうです」


「良いとはいえないか」とアイナは言った。


「『赤い模様』か。アルセの屋敷で倒れた。そして倒れた時、フィアはその右腕を抑えながらもがいていたんだっけ」


「聞いた限りでは、そのようですね」とミラは言った。


「近くで見ていたんだろうな」


 アイナの一言が部屋を静まり返らせた。重苦しい沈黙が流れ、ミラは心の中で渦巻く不安を抑え込むように目を閉じる。フィアが倒れたと聞いたときの衝撃が、今も胸に重くのしかかっていた。


 フィルティア・アールクレイには、今この時点で「赤い呪い」がかけられている。フィアはミラと同じで「迷い子」であり、同じ日、同じ時間に、二人で星銀の城にやってきた。晴夜の空に浮かぶ島の上で、二人は目覚めた。


 言葉足らずかもしれないが、フィアという女性はミラにとって大切な人である。


 数日前に、そのフィアに何者かが呪いをかけた。魔術組織アルセの屋敷で起きた出来事だ。彼女はいつものようにアルセで仕事をこなして生活していた。そのとき、屋敷の西側の通路を歩いていた。すると、突然、右腕に熱く焼いた石でも押し付けられたような痛みが走ったという。彼女は次に身体全体へ鋭い熱を感じ、床に倒れた。身体全体がそうだったが、特に右腕を抑えながら痛みを訴えていたそうだ。幸いにも周りには人がいたので、数人が彼女のもとに駆けつけた。


 少し前にケイトが「今はそれどころではない」と言っていたのは、こういうことだった。


 アイナは声の調子を落として話し始める。


「生活するには何も問題はないか。まあ、元気とは言えないかもしれないけど」


 それからアイナはケイトの方を見て、ミラに目を向けた。


「それで、その呪いはどんなものかわかったのかな。いくらかは調べてみたんでしょ?」


 ミラは手元に目をやる。


「呪いについては、呪いの詳しい知人に当たってみました。私の心当たりのある人物にしか、話を聞けませんでしたが」


「その様子だと、解けそうなのかな?」


「解けないことはありません。ですが、そう簡単にはいかないと思います」


「だろうね。『呪い』なんだし」


「やはりフィアさんにかかった呪いを解くのは難しいのですか?」


 ケイトの質問は、ミラに考える時間を与えた。しかし、難しいことには変わりはない。


「フィアにかかった呪いを解くためには、その呪いをかけた人物を探さなければならないようです」


 アイナは微笑んだ。


「呪いだねえ。なんとなく予想していたけど」


「そうですね。私もそれを聞いたとき、そうですかとしか言えませんでした」


「では、フィアさんの呪いを解く方法は、それ以外に見つからなかった?」


「『もう少し調べてみる』とは言ってくれました。『詳しそうな仲間にも聞いてあげる』と。見慣れない呪いだから、調べるのには時間がかかるそうです」


 ミラはその際に交わされた会話を思い出した。それは重要なことだった。


「フィアは今、魔法が使えません」


「まったく?」とアイナが言った。


「いえ、言い方が変でしたね。そういうことではなく、使えはします。ただ、魔法を使うと、通常よりはるかに体力の消耗が激しいそうです」


 ケイトは表情が暗くなる。同情しているのだろう。


「魔術師には嫌な呪いですね。それは、フィアさんに伝えたのですか?」


 ミラは首を横に振る。


「これから伝えようかと」


 どう伝えようか。彼女はちゃんと話を聞いてくれるだろうか?


「使えないわけではないからといって、無理をしないといいのですが」


 アイナが問いかける。


「ミラは、彼女なら、しそうと思うのかな?」


「しないとは言い切れないでしょう」


「まあ。たしかに。そうかもね」


 アイナの肯定的とも取れる意見に、ミラは「呪いについて」聞かされたとおりに説明しようと考える。あと、これから自分がどうするのかも一から全部伝えようと思った。何もしないで待っているわけにはいかないだろう。


 アイナはソファに深く腰掛けた。


「ということで、かけた本人に直接聞かないといけないわけだ。それで、明白なことを尋ねているんだろうけど、すぐに旅立つんだよね?」


「『呪い』は放っておいてもいいことはありません。できるなら、早めに対処したい」


 ミラはその後、視線を逸らした。


「ですが、少し悩んでいることがあって」


「悩みですか?」とケイトは言う。


「フィアも、旅に連れていくかどうか」


 アイナが怪訝な反応する。


「フィアも? どうして、また?」


「『まだ分からないことも多いが、呪いを解くつもりなら、一緒に連れていったほうがいい』と言われたので」


 知人から、「彼女の呪いを解きたいなら、一緒に彼女を連れていくといい」と言われた。するかしないかは二人で決めるといいが、それを推奨するとのことだ。


「ああ、そういうことか」とアイナが理解を示す。


 ミラは気になり、彼女と目を合わせた。その時、知人には尋ね損ねていた。


「わかるのですか?」


「精神的な問題だよ。余計に呪いが悪化する可能性がある」


「精神的な問題」


 ミラはそう呟くと、それはもっともだなと納得する。よりひどくなるのは避けたい。


 ミラは決めた。二人で話し合おう。ミラとしては、フィアにはここで待っていてほしい。


 すると、彼らのいる談話室のすこし奇妙な扉が前触れもなく開いた。そこから一人の男性が姿を現す。ブリゼの所属員、アベル・エマールだ。


 ケイトは彼を見て、「おかえりなさい」と声をかけた。


 アベルは片手で扉を閉めると、「ここにいたのか」と呟く。


 アイナはふざけた感じに振る舞った。


「あれ? もしかして誰かをお探し?」


 彼はそれを無視する。


「ミラ、いつ出発するつもりだ?」


「えっ……。明日には、出ようかと思っています」


「そうか。わかった」


 アイナはやり取りを聞いて困惑している。


「なになに、どういうこと?」


「アベル、どういうことですか?」とケイトが言った。


「ニヤに、ミラの手伝いをするように言われた。その分、依頼を断っておいてくれないか」


「ニヤにですか? はい、わかりました。そのように手配しておきます」


 このとき、ミラにも彼が「別世界の旅」に同行しようとしているとは知らなかった。「いつ出るのか」と尋ねられたので、彼女は思いつくままに答えただけである。これがたとえ初対面ではないとはいえ、アベルが共に行こうと考えているなんて、彼女は思いもしない。


 ニヤとは誘いを受けたあの日以来、姿を目にしていなかった。ニヤは知っているようだ。


「へえ」とアイナが声を漏らし、身体の向きを変えた。ソファが沈む音がする。


「戸惑っていたようにも見えたけど、ミラは知っていたのかな?」


「いや、私も知りませんでした。フィアと二人、もしくは一人で行こうかと考えていたので」


 ミラは考えを巡らせる。それはアベルのこと、旅の準備、そしてフィアとの関係についてだった。


「ですが、人手があるのは助かります。アベル、ありがとうございます」


 彼は廊下の方へ歩いていた。姿を消す前に立ち止まり、振り返る。


「礼はいい。それよりも、誰を追いかけるのか、わかっているのか?」


「はい。『ヘイズ』という名の男です」


 ミラは彼の質問にそう答えた。

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