15 電話、休日、革のしおり

 アリスは帰宅すると早速エスターの部屋に行き、ミルヤのことを話した。お母さんたち、とは言ったけれども、今日はふたりともまだ仕事から帰ってきていないので。

 エスターは、そうねえ、じゃあ、と言って、早速ミルヤに電話してくれた。


 アリスはエスターが入れたミルクティーのマグカップを両手で持って、エスターとミルヤとの話を聞いた。エスターに教えるのを忘れていたから、電話はスピーカーフォンになっていなかったが、エスターの電話は音がすごく大きかったので、隣にいれば呼び出し音はかなりはっきり聞こえた。

「こんにちは。ヒルトゥラさんでよろしい?」

「そうです」

「わたくし、アリス・シュミットの祖母ですけれども」

 つながってすぐにエスターが言うと、ミルヤからは少し遅れて困惑した返事があった。

「ええと……」

 アリスは慌てた。ミルヤに自分の名前を伝えた覚えがない。アリスはその場で、電話の向こうのミルヤに聞こえるように大きな声で言った。

「わたしです! エリオットの靴の!」

 びっくりしているエスターに「今わかりました」と言ったミルヤの声は、アリスからは、ちょっと笑っているように聞こえた。


 アリスがエスターの電話をスピーカーフォンにしてあげたので、エスターは電話をテーブルに置いて三人で話した。と言ってもほぼエスターとミルヤが話して、アリスはほとんど聞いているだけだったけれど。

 エスターは、ミルヤとしばらく話してみて、この人は大丈夫、と思ったみたいで、「最終的にはアリスの両親にも聞いてからになりますが」とは言いつつ、段取りを確認してくれた。

「図書館で待ち合わせて、連れていっていただいて。帰りも図書館まで連れて帰っていただけるのかしら」

「もし差し支えなければ、ご自宅までお送りします。帰りの時間は暗くなりますし」

「そちらのほうが安心ね。ありがとう。アリスもいい?」

 エスターがアリスを見、アリスは電話の向こうにも聞こえるようにしっかりした声で「お願いします」と言った。


 夕方、お母さんが帰ってくると、アリスはミルヤの話をし、お母さんからも電話をしてもらった。お母さんの電話ではミルヤの声は聞こえなかったけど、お母さんが「よろしくお願いします」と言ったので、アリスは安心した。


 そうしてアリスは約束の日、図書館に行った。約束の時間より少し早く。

 その日は休みだったので、図書館の利用者はいつもよりも多く、若い人もけっこういた。子ども連れも多めで、子ども向けの本があるエリアなんかはとくに賑やかだ。そのせいか図書館の雰囲気自体、アリスがいつもなじみにしている空気と違う感じがする。アリスはなんだか落ち着かなくて、中で待つのをやめた。


 図書館は、玄関を出たら階段になっている。手すりは柵じゃなくて壁みたいなやつなので、そばにいれば風は防げる。それでアリスは玄関を出てすぐのところで、手すりと壁との角に挟まるようにして、外の道路を見ながら時間をつぶした。

 この間、ワタライさんを追ってノーチラスに行った日に、ワタライさんが待っていた横断歩道が見える。今日信号が変わるのを待っているのは自転車の人と、手を繋いだお母さんと子ども。アリスはふと思い出して鞄の中を見た。お母さんから預かったヒルトゥラさんへのおみやげがちゃんと収まっている。お母さんの会社が作っている化粧品の、旅行用の小さなセットらしいけど、アリスにはヒルトゥラさんがこういうのに興味あるのか、よくわからなかった。

 アリスが鞄を閉め顔を上げたら、ちょうど中からルカが出てきた。コートとかを着込んでないから、帰るわけではないみたい。アリスが頭を下げるとルカは「中に入れば」と聞いてきた。

「寒いでしょ」

「ワイラーさんも寒そうですけど」

「僕はすぐ戻るから」

 そう言いながらルカは玄関の、アリスとは反対側の端に置かれていたイーゼルに手をかけ、パネルを外して裏返すと下に置き、膝をついた。掲示物の取り替えをするみたいだ。アリスはその様子を見守りながらルカに話しかけた。

「年末、メモ、ありがとうございました」

「役に立ったみたいでよかった」

 ルカは手を止めず、アリスのほうも見ずに答えたけれども、アリスは別に嫌な気分にはならなかった。ルカはこういう人だ。

「あの順番で、全部、読んでみようと思います」

「全部? けっこうあるよ」

 ルカは今度は振り向いた。アリスはちょっと得意になって答えた。

「楽しみが増えました」

 ルカはやや間を置いて、そう、と言いながら立ち上がり、イーゼルにパネルをセットし直した。アリスからは少し、口元が緩んでいるように見えた。

 アリスはさらに話しかけようとした。でもそのときちょうど階段の下から声をかけられたので思わずそっちを向いたら、ルカはそのまま中に戻ってしまった。


 声の主が階段を上り始めた。ここの階段は一段が高くないし、広いので、高さの割には距離が長い。ミルヤの足取りはアリスほどリズミカルではなくて、アリスは少し階段のほうに進み出ながらミルヤを待った。

 目の前まで来たミルヤはアリスに言った。

「中で待っててよかったのに」

「今出てきたばっかりなので」

「そうなの?」

 アリスはうなずくと鞄を開け、お母さんから預かった包みを取り出してミルヤに渡した。

「これ、母からです。今日はよろしくお願いします」

 ミルヤはそれを受け取り「ありがとう」と言うと、鞄にしまった。今日は前みたいなエコバッグじゃなく、肩から斜めがけした革の鞄。郵便屋さんが持ってるみたいな、口が大きく開く鞄と同じ形だけど、それより小さいし、色もくすんだ水色をしていて、とてもかわいい。

 その中からミルヤは今度は小さな紙の封筒を取り出し、アリスに渡した。

「それでね、これは、私から」

「え?」

「エリオットの靴を作るときに残った革をしおりにしたの。よかったら使って」


 アリスが封筒の中を覗き込むと、中には黒いリボンの両端にそれぞれ丸と三角に切り抜かれた革がくっついたものが入っていた。このままだと黒い革に見えるけれども、封筒をひっくり返して手のひらに出したら、やっぱりきれいな青緑をしていた。よく見ると丸いほうの革には「A」の型押しがしてある。アリスのAだ。

 アリスはしおりを封筒に戻し、ミルヤを見上げてお礼を言った。ミルヤは無言でうなずくとアリスが封筒を鞄にしまうのを見届け、じゃあ行こうか、と言って、足を踏み出した。

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