14 名刺、チケット、革の靴

 年明けの最初の開館日、アリスは本を三冊だけ持って図書館に行った。残りの一冊は今、エスターが読んでいる。アリスが読み終わったものを次はエスターが読んで、感想を言い合うことになっていたので。


 今日はカウンターにはマーゴとルカがいた。ルカはお客さん対応中だったので、マーゴはアリスを手招きしながら、ルカたちから少し距離を取るように横にずれた。

 アリスは鞄から本を取り出すと、それをカウンターに置きながらマーゴに今年最初の挨拶をした。マーゴも「おめでとう」と言うと早速本を手にとり返却の手続きを始めたが、すぐにパソコンの画面に顔を近づけ、アリスのほうへ顔を向け直して「三冊だけ?」と聞いてきた。アリスはうなずいて答えた。

「あと一冊は今おばあちゃんが読んでる。期限内にはちゃんと返せるけど、読み終えたのだけ先に返して、続きを借りてもいい?」

「いいわよ。あ、でもね、待って……」

 マーゴは少し後ろに下がり、隣でお客さんとの話を続けていたルカをつついた。ルカは怪訝な顔でマーゴを見、それからアリスを見て、ああ、と呟いて自分の目の前のお客さんに言った。

「とりあえず返却を先にしてもらっていいですか」

「あ、はい」


 そう言って大きなエコバッグから本を取り出したのは、この間アリスがぶつかった女の人だった。本を近づけたり離したりして読んでいたと思ったら、箱の中を見ていた人。

 アリスはその人が取り出した本を見て、マーゴとルカのやりとりの意味を理解した。アリスが借りたかった続きは、この人が今日返しに来たのだ。ちょうどリレーのバトンみたいに本を横に……というわけにはいかず、ルカはその人から本を受け取ると、中身の確認を終え、返却の登録をした上でマーゴに渡した。マーゴはその、アリスがたった今一、二巻を返した話の三巻から五巻を、順番通りに重ねてカウンター上で揃え、アリスのほうに向けながら聞いた。

「これでいい?」

「いいけど、できれば一気読みしたいから、最後まで借りたい」

「それで完結だよ」

 隣に座っていたルカのお客さんが言った。アリスは、そうなんですね、と答えると、マーゴにカードを差し出して貸し出し手続きをお願いした。


 隣の女の人は、メイユールさんよりは少し年下かなっていうくらいの人で、見た目だけで言うならルカとワタライさんの間くらいに見える。今日はニットの帽子をかぶっていた。耳当てが一緒になってるみたいな形のだ。

 アリスが、この人はこの間もすごくあったかそうな格好をしていたな、と思いながらちらちら横目で見ていると、その人はアリスのほうを見て「聞きたいことがあるの」と言ってきた。アリスは話しかけられるなんて全然思っていなかったので、ちょっとびっくりしながらうなずいた。

「なんですか?」

「二巻に出てくる、主人公の甥っ子」

「エリオットですね」

「うん。あの子どんな靴履いてると思う?」

 いきなり真顔でそんな質問をしてきたその人に、アリスは思わず、え、と言ったきり口ごもってしまった。そんな観点でエリオットのこと見てない。確かに読んでいるときは「青緑の靴」なんて珍しいなとは思ったけれども、そこまでだ。

 アリスは助けを求めるように前と斜め前を見たが、マーゴは苦笑いしているし、ルカは興味もなさそうだ。なんでよ。アリスは自分にその本(の作者)を薦めたルカが他人事なのに心の中で静かに悪態をつきながらも必死で考えを巡らせた。そして思い出した。

「今日、わたしが返した、同じ作者の本の中に、同い年くらいのエリオットっていう子が出てくるから、それが同じ人だったら、たぶんトラディショナルなのが好きだと思います。そういう説明が本の中にあったと思う……」

「本当?」

 その人は、聞き方はぶっきらぼうだったけど、アリスを責めるような感じは全然なかった。アリスがうなずいてマーゴを見ると、マーゴはアリスから返却を受け一旦後ろの棚にしまった本を取り出し、その女の人の前に置いた。女の人は本をパラパラめくって、それから無表情のままアリスに聞いた。

「これって、番外編みたいなやつなの?」

「そうだと思います。登場人物がけっこう一緒なので……」

 アリスの返事を聞きながら、その人はスマホで調べ物をし、しばらくの沈黙のあと「本当だ」と言った。その人はアリスにさらに何か言おうとしたけど、ルカはカウンターに置いた手を立ててそれを制止した。

「次の人が待ってるので、お話であればあちらで」

 そう言いながらルカは雑誌コーナーのほうを指差した。女の人は、すみません、と頭を下げると立ち上がり、アリスに「いいかな」と聞いた。アリスはマーゴを見、マーゴが親指を立てたので、うなずくと女の人についていった。


 アリスはネモ店長のときと同じように、雑誌コーナーのソファに、その女の人と並んで座った。

 女の人は足元のエコバッグから、この間も見た茶色の蓋の箱を取り出して膝の上に置いた。箱には金色で文字が書いてあった。アリスは女の人に尋ねた。

「なんて読むんですか?」

「カベラ。歩く、っていう意味。私が作ってる靴のブランド名」

「靴作ってるんですか?」

 そうだよ、と事もなげに答えながら女の人は箱の蓋を開け、薄い紙を順番に開いて、入っている靴を見せてくれた。この間の青緑色のだ。つるんと見えたのはかかとの部分だったみたい。光が当たっていないところは黒や紺色に見える、深みのあるとても不思議な色だった。アリスがいろんな角度から見ようと体を動かしていると、その人は「見ていいよ」と言いながら箱ごとアリスに渡してくれた。

 ふわっと革の匂いがした。アリスは許しを得て靴を取り出し、目の高さに持ち上げて眺めた。

 黒い靴底と靴紐、見る角度で色が違う革、でも形自体はよく、フォーマルな場で使われるもの。アリスは感嘆のため息をつくと、靴を元通り箱に収め、女の人に返しながら言った。

「エリオットの靴ってこんなのなんですね」

「そう思った?」

「はい。さっきは、青緑の靴を履いてて、でもトラディショナルなのが好きって、自分で言っててかみ合わないなって思ったんですけど、すごく納得した」

 女の人は少し無言でアリスを見、それから大きく息を吸って、吐いて、緩んだ笑顔で「良かった」と言った。


 アリスはほっとした。その人の無表情さには、ちょっと試されてるみたいで緊張もしていたので。その人はアリスに話してくれた。

「演劇の学校に通ってる親戚の卒業記念公演に、役に合わせた靴を作ってプレゼントするつもりが、できてみたらこれでいいのか不安になって。安心した。ありがとう」

「演劇? あの話のですか?」

「そうだよ。よかったら見に来る? チケット一枚余ってるから」

 その人はエコバッグのほうにかがみ込もうとしたので、アリスは慌てて止めた。

「行きたいけど、お母さ、いえ、母か父に聞かないと」

「あ、そうだね。それじゃ……」

 その人はかがみ込んだ姿勢のままアリスを見、またすぐ下を向くと、バッグから手のひらに乗るくらいの革の四角いケースを取り出した。名刺ケースだ。

 そのケースも、グレーと水色とピンクがグラデーションになってるみたいなとてもきれいな色だった。その人は中から名刺を取り出して、アリスに「はい」と言って渡した。

「ショップカードなんだけど、裏に私の連絡先書いてあるから。もしご両親が行っていいってことなら連絡して。ご両親も興味があれば、手配できるかもしれない」

「ありがとうございます」


 アリスは、人生で初めてもらった名刺を両手で持って見つめた。表は箱の蓋と同じ、茶色い紙に金色の文字で「カベラ」。裏返すとベージュの紙が貼り合わせてあり、人の名前と電話番号が書いてあったが、やっぱり「カベラ」と同じくアリスには読めなかった。女の人は、「ミルヤって読むの」と苦笑いした。

「ミルヤ・ヒルトゥラ。読みにくくてごめんね。接客してるとき以外は電話出られるから、いつでも連絡して」

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