12 耳当て、紙箱、革の匂い

 三冊目は、前の二冊を読むときに苦労して単語を調べたりしたのが功を奏して、それなりにすんなり読めた。もちろん、面白くなかったら途中で投げ出していたとは思うけど。

 それでアリスは読み終えたその本を持って、クリスマスと年末年始の休みの隙間の開館日を狙って図書館に行ったが、ルカはいなかった。前回が今年最後と言っていたから当たり前と言えば当たり前なのだけど、アリスはちょっとだけがっかりした。


「おはようございます、メイユールさん」

「はい。おはよう」

 カウンターにいたミラはアリスから本を受け取りながら答えた。ミラは返却手続きを済ませて、本を振り向いたところにある本棚に並べると、アリスのほうを見ないまま向き直りながら「ちょっと待ってね」と言い、腰をかがめた。

 ミラがカウンターの下から取り出したのは透明なフラットファイルだ。何枚か紙が入っている。アリスが突っ立って様子を見ていたら、ミラは「座って待ってて」と苦笑いしながらカウンター前の椅子を勧めた。

「ルカから、もしあなたが自分のいない間に来たらってメモを預かったと思うのよね」

「本当ですか」

 腰掛けたばかりのアリスは思わず身を乗り出した。次の本を薦めてもらえるのは年明けだと思っていたから。でもミラはそれを何か別の意味にとったようで、おやおや、という顔でアリスを見、少し口元をほころばせながらファイルの中身をめくって、二つ折りになったメモ用紙を取り出した。

「これかな?」

「ありがとうございます」

 アリスは両手で受け取ると、中身を確かめもせず立ち上がり、足早に雑誌コーナーに向かった。


 鞄を足元においてソファに腰掛け、いそいそとメモを開く。「a」の文字は相変わらずの癖字だ。何人かの名前が書いてあるが、すぐに察しはついた。この間見て回った本棚で見かけた名前だからだ。メモを元通りに折りたたむと、アリスはそれを鞄の背ポケットに入れて、その作家たちの本が待つ本棚に向かった。

 ここのエリアは本棚が図鑑のコーナーほど高くなく、大人なら目の高さよりは下くらい。それでも、同い年の子の中でも背は高いほうじゃないアリスからは見上げる高さになる。だからアリスは、斜め上に脇見をしながら歩くような感じになり、そのままうっかり人にぶつかった。もちろん本を探しながらだからゆっくりだったし、相手もお年寄りや小さい子ではなかったから、転ばせてしまったりはしなかったのだけど。

 アリスは慌てて前を向くと、すみません、と頭を下げた。相手は膝よりちょっと上くらいの丈の、チェックのかわいい巻きスカートの下にズボンを穿いている。足元は、内側がもこもこであったかそうなアンクルブーツ。顔を上げると、その人はアリスと同じような薄茶色の髪をした女性だった。ただし髪の毛は、まっすぐなアリスとは違ってくせっ毛。耳当てを首にひっかけ、肩からかなり大きめのエコバッグみたいなのを下げて、本を三冊くらいまとめて持っていた。

 その人は少し首を傾げると、スッと脇に避けて去っていった。別に怒っている様子はなかったので、アリスはほっとしながらその姿を見送り、本棚のほうを見て、そこにちょっと隙間があるのに気がついた。ちょうどアリスが探していた作者のところだ。さっきの人が抜いたのかもしれない。


 その作者の本は全部で十冊以上あるみたいで、そのうち半分くらいはシリーズ物だった。なくなっていたのは三巻から先だったから、アリスはそのシリーズの一、二巻と、一冊で完結する話を二冊手にとり、読書スペースに向かった。少し読んでみて、面白そうならこれを全部(または、残りも追加して)借りるし、ちょっと難しそうなら別の作者のものを当たってみようと思って。

 読書スペースは、図鑑のエリアよりは小さな机が向かい合って並んでいる。さっきの人は、アリスからは三つくらい先の向かい側に座っていた。隣の椅子を引いて、そこにあのエコバッグを置いている。中身がのぞいていた。茶色っぽい箱で、サイズは靴の箱くらい。

 その人は本を読んでいる途中で、急にのぞき込むように本を顔に近づけ、それから少し離してみたりして、なんだか「読んでる」というより「見てる」という感じだった。アリスはちょっと面白くなって、その人のほうをちらちら見ながら自分の本を読もうとしたが、割合はどうしてもその人の観察がメインになってしまう。アリスは頭を振り、自分の本のほうに集中することにした。


 そしたら少しして、ページをめくるのとは違うガサガサした音のあと、不意に知っている匂いがしてきたので、アリスは顔を上げた。どこからだろうと思って見回すと、さっきの女性。

 彼女の前にはいつの間にか、さっきはエコバッグの中に入っていた茶色い箱が置かれている。厳密には、茶色い蓋の白い箱だったみたいで、今はその蓋が外され中身が見えていた。薄い紙を開いた中にちらちら見えるのは、青緑みたいな不思議な色のつるんとしたもの。この匂いは新しい革の匂い。お父さんが奮発して買ってきた(自分用のクリスマスプレゼントだって言ってた)靴と同じ匂いだ。

 アリスがじっと見ているのに気がついて、その人はアリスと手元を見比べ、少し慌てて箱の蓋を閉めた。それからアリスを見てきたその人は、口元だけ「ごめんね」と動かした。アリスは頭を振って応えた。大丈夫ですよと。


 アリスは結局、持ってきた四冊を全部借りて帰った。これを返すのは年明け、ルカが戻ってきてからだ。

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