11 魔法、花束、恋の話
そのあとノーマンがしてくれた話は、物語としてはかなりわくわくするものだったけれど、どこかからフィクションにスライドしていると思うし、ワタライから得た情報というのもどの部分なのかもはっきりしなかった。
あの壺の中に収められていたのが石ころを宝石に変える魔法で、壺の裏側に刻まれた文字がその封印の一部だったなんて、それが事実であればきっと新聞をにぎわす大変な事件だ。でもノーマンの口ぶりは、それがすべて事実であるかのように聞こえた。
アリスは、ノーマンのこういう得体のしれないところが、彼が「ネモ」と呼ばれる理由のひとつなのだろうなと思い、ノーマンに自分もそう呼ぶことの許しを得た。もちろんさすがに呼び捨てはできないけれども、「ノーチラスのネモ店長」というのはアリスの中ではとってもしっくりきたので。大人をあだ名で呼ぶなんて、学校に行かなくなったころには到底想像もできなかったことだ。
ノーマンが手にしていた本はとある物語で、アリスが尋ねると彼はそれを客に言われて読んでいるのだそうだ。
ノーマンはその本をアリスに渡してくれた。アリスがまじまじと見た表紙は、グレーの紙につやつやした銀色の線で文字や枠を彫り込んだようになっていて、開いた裏側に貼り付けられているのも黒い紙だった。でも、次のページは少しだけ向こうが透ける白っぽい紙に白いインクで植物の絵が印刷されていて、それをめくると急に色鮮やかな花束のイラストが出てくる。これが本文の表紙みたいだ。
さらにページを進めたら、目次が終わって本文が始まった。文字の形は少し珍しいおしゃれな感じだったが、慣れていないせいか読むのが疲れそうだった。アリスはそっと本を閉じてノーマンに返した。ノーマンはそれを受け取り、膝に置きながら言った。
「この物語をイメージした指輪を作ってほしいという注文を受けてね」
アリスは、そんな注文の仕方があるんだ、と感嘆しながら尋ねた。
「どういう物語なんですか?」
「歳をとらない人と、普通の人の恋の話」
「歳を……」
アリスは呟きかけて踏みとどまった。ノーマンは少しだけ目を細めたが、問い質しはせず続けた。
「まだ読み始めだからか、僕には面白さがわからなくてねえ。でもこれをイメージしたものを作れっていうなら深く理解する必要があるからね。それならできれば僕好みの物語であってくれないと、作るのも苦行になってしまう」
「難しい注文ですね」
「蔵書票くんにも読んでもらって、感想聞きたいなあ」
「え?」
アリスはちょっとびっくりして反射的に聞いたので、その声は思ったより周りに響いてしまった。アリスは口を両手で覆うときょろきょろし、そこからではカウンターが見えないことを確認して、ほっとして手を外した。
でも。わざわざルカを指名したことについて、アリスは、もしかしてネモさんもアリスとおばあちゃんが守っている秘密を知っているのかな、と思い、こわごわ尋ねた。
「なんでワイラーさんなんですか?」
「え? この注文くれた人と似たような歳っぽいから。その気持ちがわかるかもと思って」
アリスは肩をすくめた。ほっとした気持ちと、でも、なあんだ、という気持ちと、ちょっとな、という気持ちも。
アリスは周りの大人のプライベートなことは、できればあんまり知りたくないタイプだ。尊敬している人なんかに、そんな人だったんだ、と幻滅してしまったら嫌なので。ことルカについては、本人が望まないことまで知ろうとすると、彼には二度と会えなくなるかもしれない。だからアリスは、ルカに頼みごとをするのもちょっと気が引けた。本を薦めてもらう以外は。
でも、ノーマンはそんなアリスを意に介した様子はない。なんならちょっと楽しそうなくらいだ。
「頼んでみようかな。そしたら僕にも、この話の面白さの尻尾くらいは捕まえられるかもしれない」
「えと……でも、忙しいんじゃないかな。それに、注文した人に直接聞いた方が間違いないと思います」
アリスは自分の言い分が言い訳だと見破られそうで目を泳がせたが、ノーマンはあっさり「確かにねえ」と言って、引き下がった。
アリスがノーマンと別れ、持っていた本の貸し出し手続きをしてもらおうとカウンターに向かっていたら、裏から出てきたルカが座るのが目に入った。
アリスはさっきのやりとりを思い出して一瞬立ち止まったが、深呼吸をすると、少し早足になりながらカウンターまで進み、ルカに本を差し出した。ルカはアリスを見、「二冊とも読んだの」と聞いた。
「読みました。知らない言葉を調べて覚えながらだったので、時間はかかったけど、面白かったです」
「どういうところが?」
「なんていうか……アトラクションみたいで。物語の中に入り込めるっていうか。絶対になれない自分になれる感じが」
「なるほど。きみはそういうふうに読むのか」
アリスは首を傾げたが、ルカはそれ以上何も言わずに貸し出し手続きを済ませ、本をアリスに差し出した。
「はい」
「返却期限は年明けですよね」
「そうだね。……そうだ。僕は今年はこれで最後だから。良いお年を」
「お休みですか?」
ルカは、まあそんなものかな、と言うとカウンターで手を組み、アリスを見て聞いた。
「ノーマンとの話は楽しかった?」
「はい」
「そう。それはよかった」
眼鏡の奥の目が、ノーチラスで見たときより濃い青に見えた。アリスは不意に不安になったが、ルカがアリスの後ろの人を呼んだので、それ以上は食い下がれず、カウンターを離れざるを得なかった。
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