7 路地、曲がり角、雑貨店

 アリスは図書館の玄関を飛び出し、階段を降りる前に左右を見渡して、ワタライの後ろ姿を見つけた。横断歩道の前で信号が変わるのを待っている。ラッキー。

 アリスは階段を飛び降りてワタライのちょっと後ろまでダッシュし、そこから先は物陰に隠れながら後をつけていった。途中すれ違った大人は多くがアリスのほうを振り返ったけれど、これはたぶん、アリスがワタライを尾行しているからじゃなくて、学校の時間なのに子どもがひとりでうろついていることに対してだ。でも大丈夫、アリスとお父さんとお母さんとおばあちゃんと学校の先生は、アリスが学校に行かないことについてちゃんと話し合っている。まあ、行かないことについての思いは、みんなばらばらっぽいけど。


 路地をいくつか曲がったら、人けがほとんどないところに出てしまった。薄暗い、建物と建物の間があんまり広くなくて、車は入れないだろうなっていう道。アリスがきょろきょろしながらワタライの曲がった角を曲がると、そこにはワタライがアリスのほうを見ながら立っていた。

「尾行の練習が必要だね」

 ワタライはちょっとニヤッとしながらアリスを見下ろした。アリスは言い返せず、鞄を持つ手に力を込めた。

「わたしもワイラーさんの古い知り合いっていう人に会いたかったんです。それで」

「古い知り合い? じじくさいな。あいつ俺とたいして変わらないはずだけど」

「えっ」

 アリスは言ってから、思わず口を両手で覆った。今の「えっ」は、アリスが知っているルカの年齢が七十歳以上のはずだから出てきたものだけど、たぶんワタライさんはそんなことは知らなくて(おばあちゃんはマーゴにさえ秘密だと言っていた)、単純に「ワタライさんは老けて見える」って意味だと解釈したと思う。そうじゃないんだが、いやでもそうかもしれない。ひげをそって、髪を整えて、身なりをぴしっとしたら、ワタライさんもルカと同じくらいに見えるんだろうか。見えそうにないな。逆にルカにひげをはやして、髪をぼさぼさに……想像できない。でもワタライさんみたいなてろんとした格好は、結構かわいいかもしれない。

 アリスが目を泳がせながら考えていると、ワタライは「そろそろ何か取り繕ってくれないと」と苦笑いして、懐からメモを取り出し、それからもう一度アリスを見た。

「でももう着いちゃったんだよなあ。お嬢さん、一緒に入ってみるかい」

 そう言いながらワタライが指さした先には、ガラス窓の内側にきれいにアクセサリーや雑貨が並べられて、ちょっとした博物展みたいになっているお店があった。窓枠とか扉とかは暗い色の木製で、アンティークっぽい店構えだけど、ガラスの曇りは汚れじゃなくて、たぶん外と中との温度差のせい。置いているのは古いものに見えたが、不潔な感じは全然なかった。

 ガラスの曇りと店内の棚のせいで、お店の奥のほうはほとんど見えなかった。目をこらしていると、ちょっとだけ動いたものがあった。人かも。きっとあれがルカの古い知り合いの、癖のある、あとはなんだっけ、まあいいか。とにかく会ってみたい人には違いない。

 アリスは唾を呑み込むと、ワタライを見上げ、「はい」と言った。


 ワタライがドアを押し開けると、ドアベルがからんからんと鳴った。アリスはそのドアベルを見上げながらワタライについて店内に入った。中はあたたかくて、アリスは思わず長い息を吐いた。外の寒さで固まっていたほっぺたが溶けるみたいだ。

 ワタライが「ちょっとお聞きしたいんですけどね」と言いながら店の奥に進んでいく。アリスは通路の左右の棚に鞄がぶつからないよう、体の前に抱えて縮こまったが、ワタライときたらアリスよりずっと肩幅があるくせに、全然気をつける気配がない。でも右手に提げた壺もあるのに、ワタライは上手に何にも当たらずに、店の奥のカウンターまでたどり着いた。ワタライはそこでカウンターの上に壺の包みを置き、「お邪魔でしたかね」と言った。


 アリスが追いつくと、カウンターには髪を珍しい色に染めた、ワタライとお父さんとの間くらいの年に見える男の人が座っていた。目の前には小さな金具やきれいな石が入った、仕切りの多い箱と何かの工具。窓のところに並べられていたアクセサリーは、この人が作っているのかもしれない。

 アリスは店構えからなんとなく、店主は女性かなと思っていたので意外だったけど、でもこの人本当に男の人だろうか? とっても不思議な雰囲気の人だった。髪は耳にかかるくらいのところでまっすぐ切りそろえられていて、片方の耳にだけ少し大ぶりな耳飾りをしている。服はワタライと同じくらいてろんとしているけど、細かい細工のビーズを連ねたネックレスを合わせていて、どこかの民族衣装みたいに見えた。アリスがまじまじと見ていると、その人は目の前の道具を脇に寄せ、立ち上がりながらアリスとワタライに椅子を勧めた。その声が思ったより低かったので、アリスはこの人は男の人で間違いないな、と思った。


 カウンターと椅子の距離が近くて、ワタライは脚をちょっと広げないと座れない。そのせいでワタライの膝がアリスの脚に当たって、ワタライは「ごめんね」と言った。アリスは、今日ワタライさんから謝られたのは何回目かな、と思いながらうなずいた。

 アリスがワタライとぶつからないところまで椅子をずらしていると、一旦奥に行ってしまっていた店主が、トレーにお茶のセットをのせて戻ってきた。

 店主はカウンターに三人分のティーカップを並べ、それからポットを持ってお茶を注いだ。甘い匂いの湯気はアリスのおなかを鳴らした。そういえばもうお昼だ。店主はくすくす笑い、カウンターの中からビスケットの缶を取りだして蓋を開け、アリスの前に置いた。

 それから店主は、早々とカップを口に運んでいたワタライのほうに向き直り、ニコニコしながら「聞いているよ」と言った。

「蔵書票くんの紹介でしょう。お勉強してあげないとね、彼には恩を売っておきたいから」

「俺は本を参照したいだけで、手に入れたいわけじゃないんですけどね。単刀直入に聞きますがいくらなら?」

「お金は要らないよ。そのかわり、その壺を引き取らせてもらえたら」

「これ?」

 ワタライはソーサーにカップを置きながら、カウンター上に置かれた壺のほうを見た。まだ包みの中だから、一見して壺とはわからない……とアリスは思ったけど、わかるのかもしれない。それかルカが先に言ってあったのかも。この人はルカの紹介だし……ん?

 アリスはつまんでいたビスケットをソーサーに置いて、店主に尋ねた。

「蔵書票くんってなんですか?」

 店主はにっこり笑って「そういう名前なんだよ彼は」と言った。

「僕らの間ではね。彼は訳ありでねえ」

「そうなんですか」

 ワタライは何が何やらという顔をしている。アリスは、よくわからないけど、少なくともワタライに、アリスとおばあちゃんが知っているルカの秘密を知られるわけにはいかないと思った。だからアリスはそれ以上はこの話を続けなかった。どうしても気になったらルカ本人に聞くか、またはアリスひとりで来たときに店主に聞けばいいし。ここまでの道は覚えている。アリスは道を覚えるのはわりと得意なのだ。


 アリスが一度置いたビスケットを口に運ぶのを見、店主はワタライに向き直った。

「それで、どうかな」

「この壺のことを知りたいのに、この壺を渡せとおっしゃる」

「そう」

「難しい相談ですねえ。でも……」

 ワタライはそう言いながら、カウンターの上で手を組んで少し身を乗り出した。

 アリスはわくわくした。ここからは、大人の話し合いだ。

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