5 花、拓本、謎の壺
アリスは目的の花の項目を見つけて急いでページをめくり、写真と絵を見、解説はちょっとだけ見て、図鑑を閉じた。それからルカに薦めてもらった本を取り出し、もう一度その花が出てくるあたりを読んだ。
ルカが薦めてくれた本は、ちょっとファンタジックな推理ものだった。挿絵がなくて、いかにも子ども向けという感じじゃなかったのもアリスはすごく気に入った。アリスと同じくらいの歳の子どもをターゲットにしている本は、挿絵があるものが多い。でもアリスは自分のことを、挿絵目的で本を読むような子どもと一緒にはされたくないな、と思っている。
ただ挿絵がないと困るときもたまにある。今回みたいに。
花のことがわからなかったから、アリスはこのシーンの花畑は落書きみたいな想像しかできなかった。それで保留にして続きを読んで、今やっとそのシーンが映画みたいに鮮明になった気がする。アリスは満足して本を閉じ、鞄にしまうと立ち上がった。
さっきの男の人はまだ文庫本を読んでいる。斜め前にはあの、謎の荷物。音から想像するに結構重そうだ。それをこの間も持ってきていたということは、図書館で使う可能性があるものなのかな。アリスがその荷物を見つめていると、男の人はアリスに気がついて文庫本を閉じた。
アリスはその人がこっちを見てくるので、思い切ってその荷物のことを聞いてみることにした。
「この前も、それ持ってませんでしたか?」
「この前?」
「マクレガーさんに、カウンターで相談してましたよね」
「ああ。見てたか」
その人は立ち上がると座面に文庫本を置き、机の上の荷物を正面までずらしてきてアリスを手招きした。アリスはそれに従った。アリスの目の前でその人は包みの結び目をほどいて中身を見せてくれた。一番外側の布を開いた内側には、今度は黄色い布で包まれたかたまり。それをさらに開いたら出てきたのはなんだか古そうな黒っぽい壺だった。
「これなんですか?」
「壺」
「それはわかるんですけど、どうして図書館に持ってきてるんですか?」
「由来を調べたくてね」
その人は壺を両手で持つとひっくり返し、黄色い布の上に底が見えるように置いた。底は平たくて、黒くてよく見えないけれども線が刻まれているみたいだった。
「これ字ですか?」
「そう。写し取ったのがこれ」
その人は黒い手帳みたいなメモを取り出して(これもマーゴに相談しながら見ていたやつだ)、その中の一ページを見せてくれた。たぶん壺の底の線を、薄紙の上から鉛筆でこすったものが貼り付けられている。こうすると壺の底をそのまま見るよりは線がわかりやすい。だけど、意味はわからない。どうやらアリスが使っている文字ではなさそうだった。
「調べてどうするんですか?」
アリスの質問にその人は少し首を傾げながら口角を上げ、「たぶん、どうもしないなあ」と言った。
どうもしないものを調べるために、大人が平日の図書館に、しかも二度も壺を持ってくる理由がアリスはよくわからなかったけど、その人はなんとなくそれ以上は答えてくれない気もした。アリスはこの人のことが、悪い人だとは思わないけど、やっぱりうさんくさくなったし、何より図書館はおしゃべりをするところではない。
それでアリスは、そうなんですか、なんて適当に返事をすると、その場を離れて図鑑を返しに行った。
それからカウンターに戻ってみるとルカがいた。アリスは鞄を持つ手にちょっと力を込めた。じゃないと図書館なのに走ってしまいそうだったので。そうしてすたすたと近づいて、アリスはルカの前に立ち、本を差し出した。さっきの人と髪の色は同じだけど、ルカはさらさらのストレートだ。シャツにもちゃんとアイロンがかかっている。
「すごく面白かったです。わからないこともあったので、さっきメイユールさんに聞いて、調べてきました」
「そう。納得した?」
「しました」
「じゃあよかった」
ルカは慣れた手つきで本をあらため、裏表紙のバーコードを読み取った。アリスはルカが、後ろの棚に本を置いてまたこっちを向くのを待ち、聞いた。
「この作者はほかの本も面白いですか?」
「どうかな、ほかのは薦めたやつよりも少し大人向けだから。読んでみる? うちで収蔵しているのはあと三冊ある」
「読みたいです。三冊とも借りていいですか?」
「ちょっと待って。貸し出し中のがあるかも」
ルカがパソコンで調べている間、アリスはそわそわして周りを見たりした。そしたらさっきの男の人が、またあの壺の包みを右手に提げ、西棟のほうからこっちにくるのが見えた。アリスはなんとなく見つかりたくなくてきょろきょろするのをやめ、その人が真後ろにさしかかったときには、肩をきゅっとした。
そのときちょうどルカがパソコンから顔を上げた。ルカはメモ用紙を取り出して、本のタイトルを三つ、棚番号を一つ書き、タイトルひとつの横には三角の印をつけた。
「全部まとめて置いてあるけど、一冊だけ貸し出し中だった。たぶん明後日には返ってくる」
「じゃあ今日は二冊借りて帰ります。取ってきます」
アリスはそう言いながらメモを受け取ったものの、すぐには動かなかった。さっき逃げるみたいになってしまったので、もし今振り向いてあの男の人がいたら、目が合ったら気まずいなと思って。
でもルカはそんなことは知らない。ルカはアリスが動かないのに怪訝な顔をしながら、少しだけ横にずれてアリスの前を離れると、無情にも「次の方どうぞ」と言った。
さっきの男の人がカウンターまで進んできたので、アリスはその人を避けるように横にずれた。その人はアリスとは反対側にあの壺の包みを置くと、アリスに「さっきはごめんね」と言った。
ルカがアリスを見た。アリスは慌てて「いいえ」と答えると、メモを握りしめてそそくさとカウンターを離れた。
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