4 コート、鞄、謎の包み

 アリスがミラに教えてもらった本は、アリスが普段あまり立ち入らない一角に収められていた。このコーナーは人も少ないし、立ち読みしている人に至っては見たことがない。

 でも、アリスはそりゃそうだろうな、と思った。改めて見てみるとここは大きい本や分厚い本、とにかく重そうな本が多くて、立ち読みじゃ疲れてしまいそうなのだ。こういう本は、ちょっと読んでみるにしたってやっぱり机に置いて開きたい。アリスのような子どもでは、開いて持っているのが限界で、立ったままじゃページをめくることすらままならないだろう。


 そもそも取り出すのが一苦労なのである。借りる人が少ないからか本はきっちり詰まっていて、隣との隙間には指が入らない。背表紙の上のほうに指をひっかけようにも、これまでそうやって長年引き出され続けてきたためか、かなり背表紙の厚紙がやわらかくなっていたので、ここに本の重さを支えさせるのはかわいそうな気がした。となると上の段の棚板と本との間に手を差し入れて、本の小口側に指を引っかけ引っ張り出してくるしかない。

 アリスが着ていたコートは袖がもこもこだから、このままでは手が入らない。それでアリスは鞄を足元に置くと、コートを右側だけ脱いで袖をまくり、本の上に腕を差し入れた。奥の方に指をひっかけ、小指分くらい手前に引き出してから腕を引っ込める。袖を元通りにしてコートもちゃんと着て、背表紙の真ん中くらいを持って全部を引っ張り出すと、本の表紙には白黒の、とても精密な花の分解図みたいなものがデザインされていた。

 今までに読んだきれいな花の写真集とか、子ども向けの図鑑とは、明らかに一線を画している。

 アリスはどきどきした気分でその本を両腕で抱えるとまわりを見回した。この本はここで目当てのことを調べたら返さないといけない。大人向けの図鑑コーナーの本は禁帯出シールが貼られたものがほとんどだ。


 アリスは窓を背にした明るい席を選んで、本を机に置くと椅子を引いた。窓には白っぽい色のロールスクリーンが下ろされていて、日の光は少し柔らかくなって室内に届く。

 このコーナーは三人並んで読める長机が向かい合っていて、一度に六人が着席できる。向かいの人と自分とを両方一度に照らせるよう、向かい合う机の間には仕切りはないけど長いライトが設置されていた。大きい本が多いからか、一人あたりのスペースも広めに設定されていて、結構奥行きがある。その六人分の机に今ついているのはアリスだけだ。アリスはなんだかそわそわした気持ちのまま表紙を開いて目次を見た。

 載っている植物の順番や分け方はアリスにはよくわからなかったので、アリスは本の上に乗り出すようにしながら、目当ての花の名前がないか、上から指でなぞって探し始めた。


 そうしてアリスが目次と静かに格闘していると、斜め前にゴトンと荷物が置かれた。アリスが顔を下に向けたまま上目遣いでその荷物を見ると、それはこの間ルカとカウンターに戻ったときにマーゴと話していた人が床に置いていたものによく似ていた。

 布越しに石を置いたみたいな音だった。図書館にあるまじき音。アリスが顔を上げると、荷物の持ち主が、その荷物を隣の机にずらしながら椅子を引くところだった。その人はアリスが自分を見ているのに気づいて、ごめんね、と言いながら腰を下ろした。

 背の高そうな男の人。ひげがちゃんとそられていなくて、服もなんだかてろんとしていて、でも声はおじさんって感じではなくて、なんとも年齢不詳。黒い髪は固そうで、ぼさぼさのまま後ろでくくられている。別に変な匂いとかはないけど、ぱっと見、昨日お風呂入ってないんじゃないかなって思う感じだ。

 アリスはなんとなくその人を、ルカとは正反対だなあ、と思いながら会釈をし、また目次との戦いに戻ろうとした。でもその人がこっちに身を乗り出してくるのに気がついて、アリスはなんだか嫌だなと思いながらもう一度顔を上げた。

「何かご用ですか」

「ごめんね邪魔して。これ渡したくてね」

 小さい声でそう言いながらその人が机の上を滑らせるように差し出してきたのは、アリスの鞄だ。そういえば、さっき図鑑を取り出すときに床に置いて、そのまま持ってきた覚えがない。アリスは驚いて、その人の顔を見て言った。

「わたしのです。ありがとうございます」

「一応中身も確認して」

 アリスは鞄を受け取り、中にお財布とハンカチ、それからルカに選んでもらった本が入っているのを確かめてから膝の上に置いた。

 アリスが顔を上げるとその人は、もう身を乗り出してはいかなかったけど、アリスのほうを見ている。アリスが頭を下げるとその人はうなずき、足元から図書館のものではなさそうな文庫本を取り出して背もたれに背を預け、椅子を少し机から離して読み始めた。


 アリスはその人がそこで静かに本を読んでいても、もう、ちっとも嫌だなと思わなかった。

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