3 トースト、パンプス、花びら
アリスは自分でもびっくりする速さでルカが薦めた本を読み終えて、びっくりした勢いのまま最初に戻って、もう一回読んだ。
さらにもう一回読みたかったけれど、お父さんからもう寝なさいと言われて、本は渋々、枕の下に差し込んだ。起きたらまだ暗かったので、明かりをつけて、読んだ。読んでいるうちに日が昇った。
朝ご飯の前におばあちゃんの部屋に行こうとして、ふと思いついて新聞を取りに外に出たら、もうポストの中は空だった。アリスはそれで、本だけを持っておばあちゃんを訪ねた。
エスターはみんなより早く朝ご飯を食べる。エスターの部屋には小さなキッチンがあるので、そこで自分の分の準備をするのだ。
テーブルの上にはもう、エスターの朝ご飯が並べられていた。湯気をもくもく立てている、かなり熱そうなマグカップもあった。これはエスターが毎朝結構楽しみにしているインスタントスープ。いろんな種類が入った大きな袋で買ってあるので、選ぶのが楽しいらしい。
エスターはいつも最後に準備するティーポットを持って、ミニキッチンから振り向いた。アリスは、おはようおばあちゃん、と言って、卓上に本を置くと、いつも座る椅子を引いた。
「おはよう。ミルクティーにしようか?」
「うん」
「それが薦めてもらった本?」
「うん。ルカがね。わたしに、これまで読んだ中で、自分の家においておきたいと思ったものがあったら教えて、って言って。二冊しか思い出せなかったけど、そしたらたぶんこれも面白いと思うよって」
エスターは牛乳を注いだカップを電子レンジに入れながら、そうかい、と微笑んだ。
「今はルカというんだね」
「前は違ったの?」
「違ったよ。おじいさんが日本人で、三人きょうだいの全員、日本語の名前をつけられたと言ってた。でも意味もわからないし、何より私たちにはとても発音が難しいものだったから誰も呼んでなくて……だから私も忘れたけど、とにかくルカではなかったねえ」
ふうん、とアリスが返したとき、電子レンジがちょうど、ミルクを温め終えた。
アリスはエスターに本の話をしたかったけれど、エスターは話を聞き始めると手が止まってしまう。そうするとせっかくの朝ご飯が冷めてしまうので、アリスは話すのはミルクティーを飲み終えるまでの間にとどめた。
それからアリスはみんなのダイニングに行き、そこでまたしばらく本を読んで、お父さんがキッチンにやってくるのを待った。お父さんは食パンを並べてトースターに入れながら、アリスに尋ねた。
「今日は学校行かないの?」
「うん。図書館行く」
「図書館、大人ばっかりでしょ。つまんなくない?」
「あのねお父さん。図書館は誰かとおしゃべりしにいくところじゃないのよ」
お父さんは、確かにね、と笑いながら、テーブルにバターとジャムを並べた。
お母さんも起きてきて、みんなで朝食をとると、アリスの家族ではお母さんが一番に家を出ていく。アリスは支度をしているお父さんとおしゃべりしながら、みんなの分のお皿を洗って食器棚にしまい、それからお父さんを見送るとコートを着た。本ももちろん鞄に入れて、今日もアリスは玄関の階段を二段飛ばしで道路に降りた。
図書館につくと、今日の朝のカウンターの係の人はマーゴでも、ルカでもなかった。きれいな金髪を頭の上でおだんごにまるめた、背の高いお姉さんだ。いつもぴったりしたパンツとスマートなパンプスを履いていて、スタイルがいいからとてもかっこいい。爪もきれいにしているけど、本は傷つけないように、短め。マーゴはこの人のことをミラと呼ぶが、アリスは苗字で呼んでいる。マーゴほど打ち解けていないし、何より、本人のかっこよさを引き立てる気がするので。
「おはようございます、メイユールさん」
アリスはミラに頭を下げると周りをきょろきょろ見回した。ミラもアリスのことは知っているので、マーゴは今日は休みよ、と教えてくれた。
「一応リストも預かってるけど、この間はこれじゃない本借りたんでしょ?」
「はい。すごく面白かったので、また選んでもらいたいなって思って……」
「ルカなら今裏で電話対応してるけど、ちょっと長引きそうだからしばらく来ないかも。先に返却手続きだけする?」
ミラはそう言いながら、カウンターの椅子を指差した。アリスは、それなら、と言いながら椅子を引いて、腰掛けた。
「待つので……その間に、この本の中に出てきた花のことを調べたいんですけど」
「花? どれかな。見せて」
「ちょっと待ってください」
アリスがページを開いてミラのほうに向けると、ミラは「これね」と言いながら単語を指差した。アリスは、今日のメイユールさんの爪は花びらみたいだ、と思いながら頷いた。
ミラは左手にパソコンのマウスを、右手にペンを持って、何度か左でかちかち音を鳴らし、それから右でさらさら本のタイトルをメモした。それからいくつか数字も書いた。これはその本が置かれている棚の番号だ。ミラはメモ用紙をアリスに向けて置いた。
「この図鑑に当たれば出てくると思う。でもかなり専門性の高い図鑑だから、もしかしたら解説が難しいかも」
「写真だけ見られたらいいので、たぶん大丈夫です」
「そう? 見てみて、もしもうちょっと気軽に読めるのがいいなって思ったら、また声をかけてね。載ってるかもしれないのはありそうよ」
「ありがとうございます。とりあえず探してきます」
アリスは本を閉じ、鞄にしまうと、メモを持って椅子を降りてからミラにお辞儀をし、東棟に向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます