第9話 毒殺

『死体を片付けるのも面倒だから、あなたが責任をもって始末しておいて』

カディスの頭の中では、ルピナの声が反響していた。

「ルピナ……」

呟くと、少し離れた場所に立っていたグリスが身構える。

(そっか、俺さっき怪物みたいなやつになったんだ……)


 ついさっき見た吊り上がった目も嘲るような口元も、忘れたいのにあれは間違いなくルピナで。彼女がカディスを魔獣にするために助けてくれたのだという事は、もう疑いようがなかった。


どうせどこへも行くところがないのなら、完全な魔獣になってルピナの声だけを聴いていられた方がよかったのかもしれない。それなら、何も考えることなくルピナの側にいられたんだろうか。


 カディスが魔獣化しないのを見て、グリスは小さく息を吐くと壁にもたれた。服が血で汚れている。さっき、朦朧とした意識のままとびかかった時の怪我のせいだろう。

何と声を掛ければいいのか分からなくて、おずおずと切り出す。

「その……さっきはごめん」

「別にそれはどうでもいい」

冷たい声に遮られる。

「とにかくもう何も余計なことはするな」

グリスは目も合わせずにそう言うと、ふらつきながら出て行ってしまった。扉の閉まる音だけが辺りに響く。あの様子では命乞いなんて聞いてくれそうにない。やはりこのまま殺されてしまうんだろうか。


 ルピナの言う事がどこまで嘘だったのか分からないけれど、人間を魔獣にしたり、簡単に始末したりするなんて普通の団体がすることではない。もしかして、「リスタネーヴ」はカディスが思っていたよりもずっと恐ろしい組織なんじゃないだろうか。なんとか逃げ出さなければ。


 カディスは作業場の扉を開けた。幸い外から鍵は掛かっていなかったようだ。しかし、ここがどこなのか分からない。どちらへ向かえば森から出られるんだろう。

 すぐそばには簡素な小屋があった。グリスはそこで暮らしているのだろう。見つからないように逃げ出すことはできるだろうか。


 逃げ出したことが分かったら余計にひどい目に遭うかもしれない。

 ルピナはそこまでカディスに興味がないようだが、グリスがどの程度カディスを殺したいと思っているのかは不明だ。魔獣になったとしても、戦って勝てる気もしない。


 生きていられたとしてどうすればいいのか分からないけれど、殺されるのは怖い。やはり逃げるしかない。


 ふと、足元に見覚えのある草が密集しているのに気付いた。ミカヅキソウによく似ているが、よく見ると葉の根元が白っぽくなっている。

『ナナシソウには毒があるから気を付けて。口にすると呼吸困難を引き起こしたりとか』

アズの言葉を思い出す。


 カディスは、何かを考えるより先にナナシソウを摘み取っていた。ナナシソウとミカヅキソウの違いは葉の根元だけ、そこを取り除いてすりつぶせば分からないはずだ。


 カディスは、作業場に戻ると作業台の下にあったハサミで、ナナシソウの白っぽい部分を取り除いた。焦りのせいか指の間を切ってしまい、ハサミを血が汚す。でもそんなことを気にしている時間はない。同じく台の下から容器を見つけ出すと、側にあった棒状の何かでつぶしていく。数分後、ナナシソウはどろどろした液体状になった。


 再び外に出ると、グリスがいるらしき小屋の扉をノックする。

 これをミカヅキソウで作った痛み止めだと言ってグリスに渡し、その後すぐにここから立ち去れば、グリスが気付いたとしてもその時には追ってこられない状態になっているはずだ。


 罪悪感が芽生えそうになるのを押し込めて、グリスが出てくるのを待ったが、返事はなかった。一応ドアを押してみるとあっさりと開く。鍵を掛け忘れる癖でもあるんだろうか。


 薄暗い小屋の中を覗き込むと、グリスは腕の中に何かを抱えて、体を丸めた姿勢で毛布もかけずに床に横たわっていた。よっぽど具合が悪いんだろうか。これは毒薬なんて渡さなくてもいいかもしれない。


 しばらく様子を伺っていると、グリスは緩慢な動きで起き上がり、カディスを見た。熱があるのか、目が涙で濡れている。腕の隙間から中にあるものが見えた。灰色のふわふわしたぬいぐるみらしい。頭からは長い耳と植物の芽のようなものが生えている。

「……何」

「あ……これ傷に効くかなって……」

毒薬を渡すべきか迷っていると、グリスは子供のように首を傾げると目を丸くした。

「今作ったのか?」

「そうだけど……」

何かまずかっただろうか。

「お前の方は、体は大丈夫なのか?」

「えっ」

思いがけない言葉に戸惑う。なぜ今心配するようなことを言うんだろう。

「まあ、大丈夫だと思うけど」

グリスは一度目を伏せると、容器を受け取った。元々そのつもりで作ったのに、グリスの反応が思った通りのものではなかったせいで冷や汗が噴き出してくる。

「あ、作り方間違えたかもしれないからやめといたほうが……」

咄嗟にそんな言葉が口から飛び出した。

「いや合ってると思う。ありがとう」

グリスは器の中身を飲み干すと、また横になって目を閉じた。ぬいぐるみも抱えたままだ。

「えー……っと」

逃げようと思っていたはずなのに、本当にそれでいいのか分からなくなった。ありがとうなんてグリスは言わないと思っていたのにどうして。熱で弱気になっていたから?


 謎の胸の痛みが襲ってくる。だけど、こうなった以上は逃げるしかない。とにかく逃げよう。カディスはそっとドアを閉めると、森へ駆け出した。


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