第8話 失敗作
―グリス―
とびかかってきたカディスは、人間の形は見て取れるが、腕は鱗に覆われ、爪と牙が長く伸びた姿に変化していた。首に牙を立てようとするのを、グリスは服の中に隠し持っていたナイフで受け止める。
カディスはうなり声を上げながらナイフにかみつき、左腕でグリスの肩を押さえつけながら右腕を振りあげた。ポケットに入っていたもう一方のナイフで鱗に覆われた右腕を払い、胴に向かって投げつける。突き刺さりはしなかったが、腹に切り傷を負ったカディスは一瞬動きを止めた。その隙に、昔教わった『魔獣を服従させる呪文』を唱える。
どうせ使う事はないと思ってうろ覚えのままだった上に、大した魔力のないグリスに使えるものなのか分からなかったが、カディスは動きを止めた。その体が崩れ落ちていく。
数10秒後、破れた服を体にまとわせた人間の姿のカディスが床に横たわっていた。牙がかすめた腕の傷と、肩の爪痕がずきずき痛む。魔獣の毒のせいか、そこは熱を帯びていた。しばらく安静にしておいた方がいいかもしれない。今日の会議は休むことにしよう。
元々、ルピナがカディスに「狩り」を命じたと聞いた時は信じられなかった。あんな素人に「狩り」をさせては、下手な動きをしてこちらの情報が洩れる可能性が高い。そう思ってカディスを監視するために後をつけていたのだが、カディスが急に苦しみはじめ、腕に鱗が出現し、牙が伸びていくところを目撃した。
状況が飲み込めないながらも一旦「抑制の呪文」で魔獣化を止め、黒い砂と魔獣の種らしきものを吐かせたが、体内に残っていた種が吸収され、今のような中途半端な魔獣になったのだろう。
グリスは、カディスが「狩り」のやり方が分からず、ルピナに褒められたいという浅はかな考えで魔獣になって「狩り」を行う事にしたのだ、と思っていた。しかし、本当にカディスは自分の意思で魔獣になったわけではないのかもしれない。カディスはどちらかといえば臆病なところがあるし、そんな無鉄砲なことはしないような気もする。だとしたら、これを引き起こしたのは。
そこまで考えた時、ドアを激しくたたく音がした。
「何だ」
細く扉を開けると、案の定そこには眉を吊り上がらせたルピナがいた。
「カディスはどこ⁉知っているんじゃないの⁉」
「さあ?知らないな」
咄嗟にそう言ったのは、ルピナに会ったカディスがまた魔獣化したら面倒だと思ったからだ。
「本当に知らないんでしょうね⁉」
ルピナがこちらを睨みつけてくる。
「ルピ……ナ」
背後からカディスの声が聞こえた。急いで扉を閉めようとすると、頭を何かに殴られ、転倒する。振り返ると先ほど同様、魔獣になりかけのカディスが立っていた。鱗のおかげでナイフの傷は浅くてすんだらしく、出血は止まっている。カディスはグリスを押しやると、細く開いていた扉を大きく開けた。ルピナとカディスの視線が交わる。
「何なのその不格好な姿は」
ルピナは鼻を鳴らすと吐き捨てた。
カディスがうなり声を上げると、ルピナは素早く「服従の呪文」を唱えた。グリスの時よりも効き目が強力だったようで、カディスは瞬く間に動きを止める。
「こんな、普段の3段階もレベルの低い呪文に従うなんて。これじゃあまるで役に立たないわ。で、グリス、あなたのせいでこうなったのかしら?」
ルピナの目には怒りと侮蔑が浮かんでいる。
「多分そうだと思うけど、何も聞かされていなかったんだから仕方ないだろ」
「本当にあなたって余計なことしかしないのね。せっかく使える魔獣が手に入ると思ったのに。新しく薬を与えたって、抗体ができているから今以上の魔獣化は期待できないし」
ヒステリックな口調で捲し立てるルピナを見ていると、グリスは胃の辺りが重くなった気がした。
魔獣が欲しいと当然のように言っているが、そもそも人間を魔獣化することには嫌悪感を覚える。アザレア王朝時代は魔獣化された人間たちもいたらしいが、それを忌避する魔術師たちも多く、アザレア王朝が倒される原因の一つになったと聞いている。ルピナは生まれてもいない時代のアザレア王朝に固執しているようだが、そんなところまで踏襲したいのだろうか。
「死体を片付けるのも面倒だから、あなたが責任をもって始末しておいて。それと、今日の会議は絶対にさぼるんじゃないわよ。注意されるのは同じ担当地区の私なんだから」
ルピナは一方的に告げると、「空間」を開き、去っていった。
ルピナの「隠れ家」には、様々な場所への入り口がある。面倒だから、ここへの入り口はふさいでおく方がいいのかもしれない。
「会議か」
体調の悪さのせいで気が進まないのもあるが、グリスは元々会議が好きではなかった。というよりも、「リスタネーヴ」のメンバーのことが基本的には好きではない。そもそも会議をする必要があるとは思えなかった。自分の目的は、イベリスの血を引く者を一人でも多く殺すことだ。魔石の回収はついででしかない。
いつの間にか、カディスはうずくまったまま人間の姿に戻っていた。怯えるような目でグリスを見上げてくる。グリスは、深いため息をついた。
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