第7話 魔獣
カディスがゆっくりと目を開けると、そこには所々木目のはがれた床があった。何かを吐き出したような記憶はあるけれど、自分が今どういう状況にあるのかは分からない。体中が痛いし、変な汗をかいている。ただ、意識を失う前の全身が引き裂かれるような痛みは消えている。助かったんだろうか。
体を起こして周囲を見回す。小さな窓と作業台のようなもの、その下にあるごちゃごちゃとした道具以外には、特に何もない。
立ち上がると、足がずきりと痛んだ。倒れた時にぶつけたんだろうか。
窓の外には森が広がっていた。さっきの場所からあまり離れていないのかもしれない。更に窓の外を見ようと覗き込むと、背後でドアが開く音がした。恐る恐る振り返る。そこに立っていたのは、真っ黒な服を身に着けていつも通り不機嫌そうな顔をしたグリスだった。
「な……なんだよ」
カディスのつぶやきに、グリスはため息をつくと、うんざりしたような声で言った。
「なんだよじゃないだろ。素質がないくせに魔獣になれるわけがないんだから余計な手間をかけさせるな」
「魔獣?」
グリスの言っていることが全く分からない。何かを勘違いしているんじゃないだろうか。
「意味わかんないし。魔獣になるってどういうことだよ。全然なりたくねえし」
「さっき魔獣の種を吐き出しただろ。なりたかったからあんなのを飲んだんじゃないのか」
グリスは呆れたような顔を崩すことなく、首を傾げた。
「人間が自我を保ったまま魔獣化することなんてできない。誰かの所有物にならなければ暴走するだけだから迷惑なだけだ」
意味の分からないことを言い続けるグリスに、カディスは苛々した。
「だから!なりたくないって!っていうか魔獣の種?の作り方なんて知らねえよ!」
「昨日薬草図鑑を見てただろ。あれにも載っていたはずだ。とにかくもう魔獣になろうとはしないことだな」
グリスはそう言うと、疲れたのか扉にもたれかかった。
「……あれはお前が隠したからそのページまで読めてないし」
「なんで俺が隠すんだ。理由がないだろ。とにかく動けるならさっさと帰れ」
グリスの言葉に反発しようとして、ふと思い出す。確かグリスはカディスが眠ってしまう前に一度部屋から出ていったはずだ。その後、わざわざ戻ってきて図鑑を隠した?ルピナに気付かれずに?
「あの……さ。魔獣の種って、当然種みたいな形なんだよな?」
カディスはこみ上げる嫌な予感を抑え込みながら尋ねた。グリスは怪訝そうに答える。
「あれは薬草をすりつぶして作る液体で、摂取後に体の中で『種』と呼ばれる固体になる……けど、本当に作ってないのか?」
嫌な予感はますます膨れ上がっていく、聞かない方がいいと思いつつ、どうしても聞かずにはいられなくてカディスは口を開いた。
「……元の液体って、何色?」
「実際見たことはないけど。チスイソウとコウギョクタケ、それに魔獣の骨を粉にしたもので作るから赤いんじゃないのか」
俯いて黙り込んでしまったカディスに、グリスは首を傾げて尋ねた。
「それとは思わずに飲んだってことか?」
無言で頷く。グリスは眉を顰めると苦々しい口調で呟く。
「じゃあ、ルピナが」
ルピナ。その名前を聞いて、あの優しい微笑みが頭の中に浮かんだ。宿屋で助けてくれたこと、手を差し伸べてくれたこと、信じていると言ってくれたこと、そんな一つ一つの記憶が頭の中をぐるぐる回る。それに伴って、血が逆流するような感覚が襲ってきた。
『お願い、私のためにも、あなたにはちゃんと覚悟があるってことを示してほしい』
頭の中に響くルピナの声が、自分を壊していくような気がして膝をつく。
森で倒れた時のような引き裂かれる痛みはないものの、目の前が紅く染まって、血の臭いが広がる。耳鳴りと体の中から何かが出てくる感覚に意識が遠くなった。
目の前で何かが動いている。あれはきっと獲物だ。狩らなければ。そんな衝動に突き動かされて、思わず床を蹴っていた、目の前のものに飛びついて歯を立てる。このまま全部壊したい、それだけがカディスの思考を支配していた。
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