第6話 ルピナの目的
気が付くと、小さな窓からは日の光が差し込んでいた。昨日はあのまま完全に眠ってしまったようだ。昨日の事が、まるで夢だったかのように感じる。
部屋の中を見回すと、一つの違和感に気付いた。アズにもらった薬草図鑑が見当たらない。
(そういえば昨日はグリスが来てたけど……もしかしてあいつが持っていったのか?)
カディスが薬草に詳しくなったら自分の仕事が減ると思って隠したのかもしれない。ルピナも、グリスの事は子供じみた人物だと言っていたし、ありえないことではない気もする。
しかし、今はそれどころではなかった。アズをどうするか考えなければならない。ルピナの弟のものだという骨のかけらを思い出す。アズも放っておけば、あんな風に誰かを殺してしまうんだろうか。それは本人にとっても辛いことだ。でも。
ノックの音がして、ルピナが入って切った。トレーに乗せられたグラスには、赤い色の飲み物が入っている。
「カディス、気分はどう?」
「えっと……まあまあ、かな」
何と言えばいいのか分からず、そう答える。
「そう。仕事へ行く前にこれを飲んでいきなさい。魔力から身を守れる薬よ」
ルピナはグラスをカディスに渡すと、口の端を持ち上げた。そうか、もう後戻りなんてできないんだろう。
カディスはグラスの中身を飲み干した。苦いような酸っぱいような変な味がする。それに、何か粉のようなものが入っていて喉がイガイガした。
それを見届けるとルピナは頷いた。
「さあ、支度をして。古い剣を見つけたから魔力で研いでおいたわ」
カディスは重い足取りで階段を下りた。先に一階に降りていたルピナが、テーブルに置かれていた短剣をカディスに渡す。
「『空間』は開けたままにしておくから、危なくなったらすぐに戻ってくるのよ。無理はしないでね」
ルピナはカディスの手を両手で握った。
「私は信じてるから。きっと大丈夫よ」
森の中は相変わらず静まり返っていた。草を踏みしめる自分の足音が、やたら大きく響いているような気がする。アズはきっと「ぬいぐるみ博物館」にいるはずだ。もうすぐでそこにたどり着いてしまうけれど、どうすればいいんだろう。
握りしめた短剣が汗ばんだ手の中で滑る。こんなものを持つのも初めてだし、本当にこれを相手に突き刺すことができるのか、何度くらいでとどめを刺せるのか、それさえも分からない。
アズの事を考える。アズが完全に自我を失くして暴れまわるなら、まだ倒そうと思えるのかもしれない。むしろそうであってほしい。でもそんなアズの姿は想像もできなかった。無抵抗なアズを殺す方がはるかに難しそうだ。いや、無抵抗なのに殺す必要なんてあるんだろうか。
ずっと前、まだアズがあの町に住んでいた時、凍えていた自分を温めるために銀色の炎を出してくれたことを思い出した。
『お前、すごいな!』
そう無邪気に喜ぶカディスに、アズは微笑んだ。多分アズはあの時から何も変わっていない。でも、ブローチは真っ黒に変わった。あれを見たら、ルピナの言う通り、アズはもう助からないと思うしかない。でも。
凍り付いたように足が動かない。胸の痛みがどんどん広がっていく。カディスは短剣を取り落とすと、その場にしゃがみ込んだ。
風が木々を揺らし、カディスの髪を乱していく。動き出そうとしても、どうしても体が言うことを聞いてくれなかった。空を見上げると、今にも雨が降りそうな暗い色をしている。
(やっぱり、戻ろう)
カディスは何とか立ち上がると、木にもたれて呼吸を整えた。戻って、やっぱりできなかったとルピナに謝るしかない。もしかしたらやっぱり正式な仲間にはできないと言われるかもしれないけれど、いつまでもここにいたって自分がアズに襲い掛かることができるとはどうしても思えなかった。
アズのいる博物館とは逆方向に、足を踏み出す。その時、体を激痛が走った。視界が歪む。立っていることもできず倒れこんだカディスを、体の中から何かが出てくるような、全身の骨がおかしな方向に伸びていくような感覚が支配していく。全身が熱い。息もうまくできない。誰か助けて、と言いたくて、口がどこにあるのかも分からなくて言葉が出なくて。カディスはただただ地面の上をのたうち回った。自分の腕がごつごつと変化していくのがぼやけていく視界の中に映っていたけれど、それも苦痛の中で見えなくなった。
魔術でカディスの動きを追っていたルピナは、苦しみにもがく彼が映されている水面を見て笑みを浮かべていた。いつもの穏やかで優しい笑顔ではなく、嘲るような表情だ。
あの宿で彼を見かけた時から、何かの材料にはできそうだと思っていた。だから、宿屋の主人と元からいた従業員に接触して、カディスを宿屋で働かせ、辛い環境に置き、自分が助けることで操りやすくした。カディスが持っていた金貨を隠したのもルピナだ。カディスを選んだ理由は特にない。行く場所がなくてぼんやりした人物なら、誰でもよかった。
数日前、あの森で銀色の炎を見た時から、あの森に強い魔力を持つものがいるのは分かっていた。自分と同じような生まれながらの魔術師などほとんど存在しないから、十中八九それは魔石の保持者だ。その人物が持つ強い魔石を、ルピナは回収したかった。
ただ、自分があの森に行っても返り討ちに遭う可能性がある。だから、カディスに調査させた。あらかじめバギサを森の中に配置して、その場所に薬草があるから摘んできてほしいとカディスに頼んだ。襲われるカディスを見て、銀の炎の人物がおびき出されてくるかもしれないと思ったからだ。
カディスに渡したブローチには、そこに映し出されたものを水面に投影させることができる魔術をかけてある。しかし、カディスがバギサに襲われた時にブローチが外れてしまったのは誤算だった。結局魔石の保持者らしき人物がどんな魔術を使うのか、見ることはできないままになってしまった。
前回カディスに渡したブローチには、単に時間が経つにつれて黒く変化する魔術を追加しただけだった。カディスが「アズ」に遭わなかったとしても、近くにいたから黒くなったのだと言えばそれでいい。もし万が一魔石の保持者ではなかったとしても、リスタネーヴの脅威になる可能性は高い。排除しておくに越したことはなかった。
それなのにブローチを通して見ていた森の風景が急に見えなくなった時は、思わず舌打ちをしたほどだ。カディスは微妙に指示通りにしないことがある。全く役に立たない。結局自分の目で「アズ」の姿を見ることはできなかったけれど、仕方ない。
だから、もっとカディスが役に立つように作り変えることにした。こうすることは出会った時から念頭にあったけれど、やはりこれが一番いいカディスの活用法だ。そのために使ったのが、昨日調合した薬だった。砕いたブローチも入れてある。あれを使えばカディスの目を通して彼が見ているものを水面に移すことができるし、「魔獣の種」をカディスと同化させ、必ず自分の言葉に従う生き物にしてしまう事ができる。
カディスを使って「アズ」の体を引き裂き、そこに魔石があればエルドニア・アザレアの魔力を取り戻す材料にすればいい。これはいい考えだ、とそう思っていた。
ルピナは、カディスの様子を確認するために水面に更に顔を近づけた。その時。一瞬カディスではない誰かのブーツをはいたつま先が映ると、急に水面が真っ暗になって何も見えなくなった。この魔術で音までは確認できないから、どうなってしまったのか全く分からない。
「まさか、失敗なの……?」
ルピナは前回同様舌打ちをすると、水面を睨みつけた。
これは自ら、カディスがどうなったのか確かめなければならないのかもしれない。
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