第5話 アズの魔力

 カディスは、薬草採集用のかごを持って森の中を歩き出した。

 ルピナから薬草が生えている場所を大体教わってはいたものの、実際に森の中で必要な薬草を見つけるのは難しい。摘み取った後の状態と生えている状態は少しずつ違うし、もっと勉強が必要だ。


 今回必要なミカヅキソウは、葉が三日月の形をしている、痛み止めと熱さましに効く薬草だ。木の根元に密集していることが多いらしいが、他の草に紛れてしまっていることもあり、かごいっぱいに集めるのはなかなか大変だった。

 ただ、今日はまだ日が高く、木漏れ日も差し込んでいる。薄暗い中で探すよりもきっとましだろう。


 昨日怪物に襲われた辺りまでやってくる頃には、かごの半分くらいまで三日月型の葉で埋まっている状態になった。これくらい集めれば薬を作れるだろう。

 カディス一人で薬の材料を集められるようになれば、グリスがルピナの元を訪れることもなくなるかもしれない。早くそうなればいいのに。


 しかし、グリスはどうしてあんなに冷たいんだろう。さてはルピナの事が好きなのか。でもルピナの方はグリスに興味がなさそうだな。


 そんなことを考えながら歩いていると、ふと胸元のブローチが気になり始めた。

ない事だとは思うけれど、もしブローチが目の前で真っ黒に変化したら、変に思われるかもしれない。いや、それよりも、黒くなったブローチを見て、自分が動揺しない自信がなかった。そんな姿を見たら、アズもおかしいと思うはずだ。そう考えたカディスは、ブローチを取り外してズボンのポケットに入れた。ブローチが黒くなっているかどうかは、帰ってから見ればいいだろう。


 しばらく辺りをうろうろ歩き回っていると、ガサガサと何かが動く音がした。もしかしたらまたあの怪物が現れたのかもしれない。身構えるカディスの目の前に現れたのは、緑色のローブを身に着けたアズだった。あのぬいぐるみは、今日は一緒ではないらしい。ふと、「ぬいぐるみ博物館」という小さな看板が立てられていることに気付く。その向こうには、年季の入っていそうな洋館が立てられているのが見えた。あれがアズの働いている博物館なのか。

「あれ、カディス。今日も仕事?」

「ああ、ミカヅキソウを探してて。結構取れたからもうそろそろ帰ろうと思ってたところ」

アズはかごの中を覗き込んだ。

「あれ、これミカヅキソウじゃなくてナナシソウだよ。ほら、葉っぱの根元が少し白っぽくなってるでしょ」

アズの言う通り、かごの中身を手に取って見てみると、確かにルピナが見本として見せてくれたミカヅキソウよりも葉の根元が白っぽい。

「ナナシソウには毒があるから気を付けて。口にすると呼吸困難を引き起こしたりとか……あ、ちょっと待ってて」

アズは身をひるがえすと駆け出していった。

カディスは、かごの中身を捨てるとため息をついた。毒草なんて持ち帰っていたら大変なことになる。もっと勉強しなければならない。


 しばらくして戻ってきたアズは、手にレンガ色の表紙がついた分厚い本を持っていた。

「これ、書庫にあった薬草図鑑。もう一冊あるからこれはあげるよ」

「えっ、いいの?」

「うん。薬の調合法とかも載ってるから役に立つと思う。じゃあ、僕は掃除があるから戻るね」

「ありがとう……」

しっかりお礼を言う間もなく、アズは洋館の中へ消えていった。


「隠れ家」に戻ったカディスは、自分の部屋に戻ると、机に向かって薬草図鑑を読み始めた。アズと別れた後摘んだのは、ミカヅキソウに間違いない。これで安心だ。

更に図鑑を読み進めていると、背中に手が置かれた。

「お疲れ様、あら、その図鑑はどうしたの?」

ルピナだ。

「あ、アズにもらったんだ」

自分の言葉に、はっと我に返る。そうだ、ブローチはどうなったんだろう。おそるおそるポケットに手を入れると、ブローチの固い冷たさが指先に触れた。カディスが取り出そうとするより早く、ルピナが口を開く。

「ブローチはどうしたのかしら?」

どことなく声に苛立ちがにじんでいるような気がした。

「ごめん、ポケットに入れてて」

できるだけ見ないように、ポケットから取り出す。


ブローチは真っ黒に染まっていた。


「悲しいけれど、こんなに深い黒になった場合、もう手遅れなの」

ルピナが目を伏せて静かな声で言った。その言葉の意味を飲み込めなくて、カディスは視線を泳がせる。

「じゃあ、アズは……」

「もう治らないわ。だから」

ルピナは言葉を切ると、カディスの目をまっすぐに見つめた。

「友達ならあなたの手で終わらせてあげてほしい」


 ルピナが出て行くと、カディスは頭を抱えた。アズが病気でもう治らないなんて、全く実感がない。それに、終わらせてほしいって、アズを殺せという事なのか。自分にそんなことができるとは思えなかった。


 扉がノックされる。再び入ってきたルピナは、お茶が入ったカップをトレーに乗せていた。

俯いていたカディスに、ルピナは言う。

「辛いのは分かるわ。でもそれが『アズ』のためなの。それに私も、あなたの事を仲間だと思っているから、この仕事を任せたい。ねえカディス、知らないうちに友達がいなくなっているよりも、最期を見届けてあげたいとは思わない?」

ルピナの目に涙がにじんでいた。

「あなたを正式な仲間にするためには、これをどうしても乗り越えてもらわなければならないの。今のままではきっとグリスもヴェルテも、キールも反対する。お願い、私のためにも、あなたにはちゃんと覚悟があるってことを示してほしい」

必死に語りかけるルピナに、カディスは言った。

「……分かった。やって、みるよ」

「ありがとうカディス。きっと『アズ』も分かってくれるわ」

ルピナが部屋を出て行くと、カディスは息を整えるためにテーブルに置かれたお茶を飲み干した。


 ふと、玄関が開く音がした。グリスが頼まれていたものを持ってきたようだ。顔を合わせたくないので部屋にこもっておくことにして、ベッドに腰掛ける。胃が痛い。やってみるとは言ったけれど、今からでも撤回したい気持ちになってくる。でもアズがもう治らないのなら、そうするしかない。カディスが手を下さなくても、きっとグリスか誰かがやることになる。それなら、ルピナの言う通りにする以外はない。

もう一度深呼吸すると、カディスは唇を噛んだ。


不意にまたノックの音がして、扉が開かれる。そこにはなぜかルピナがグリスを連れて立っていた。

「あなたのナイフを一つカディスに分けてあげてほしいの」

「なんで」

グリスは不満が浮き彫りになった表情を見せた。

「カディスには、魔石の回収を頼んだわ。それには武器が必要でしょう」

「回収?ただの人間にそんなことができるわけないだろ。何を考えてるんだ」

グリスは怒りよりも驚きをあらわにすると、ルピナを睨みつける。

「あなたも言っていたじゃない、グリス。回収作業ができない者を仲間にしておくのは無駄だって。カディスはちゃんと戦力になるって、私が証明してみせる」

ルピナはきっぱりと告げると、グリスを見上げる。グリスはため息をついた。

「馬鹿馬鹿しい。俺は協力しないからな。武器も勝手にそっちで用意すればいい」

グリスはルピナを押しのけると、部屋を出て行った。


 ルピナは呆れたように肩をすくめると、カディスの肩に手を置いた。

「仕方ないわね、武器は私が何とか用意するわ。私は、あなたがちゃんとやり遂げられるって信じてる。グリスの言う事なんて気にしないで」

カディスはぎこちなく頷いた。何もかもが急に進みすぎて、どうすればいいのか分からない。本当に自分はアズを殺すことになるんだろうか。すでに頭の中は色々なものが渦巻きすぎてぐちゃぐちゃなのに、なぜか眠気が押し寄せてきた。こんな時に眠れるなんておかしいんじゃないかと思いながら、カディスはベッドに倒れこむ。そのまま、眠りへと落ちていった。



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