第4話 魔石病

 カディスは、怪我の痛みをこらえながら目印をつけておいた木の前までたどり着いた。ルピナから教わった通りに、そこにぶら下げてある鍵のダイヤルを、ルピナから言われていた四桁の番号に合わせると、空中に裂け目が生まれた。鍵を回収して裂け目の中に飛び込む。ルピナの隠れ家へ戻るためには、毎回この手順を踏む必要があった。


 今では見慣れた、蔦の絡まる門を開ける。扉をノックすると、すぐに内側から開いて、紫のドレスをまとったルピナが顔を出した。

「遅かったわね。それにその傷、何があったの?」

ルピナは心配そうに、細い眉をひそめた。吸い込まれそうな深い青色の目がカディスを見つめる。

 カディスはどぎまぎと目を逸らしながら、顔を赤くして答えた。

「あ……えっとなんか怪物に襲われて」

「怪物?魔獣かしら?このところほとんど見ることはなくなってきているけれど……」

ルピナはおびえるように、自分の肩を両腕で抱いた。

「でも、もう倒されたから大丈夫だと思う。薬草採集もしばらくは俺が行くし、ルピナが怪物に会うことはきっとないよ」

「もう出ないといいわね……。カディスも森へ行くときは気を付けて」


ルピナは心配そうな顔で、傷の手当てをしてくれた。腕の切り傷は少しえぐれてしまっているが、塗り薬のおかげで痛みは引いている。

「そういえば、怪物は『倒された』って言ってたわよね。誰が倒したのかしら?」

「ああ、アズっていう昔の友達……だと思う。本人は違うって言ってたけど」

「怪物を倒せるってすごいじゃない。よっぽど強いのね、その人」

ルピナの笑顔にどことなく嫉妬心を抱いた。確かにアズは強いと言えるのかもしれないけれど、なんだか素直に頷けない。

「えっと、まあ……。氷みたいなやつを出せるし」

それを聞いたルピナの目が一瞬光ったような気がした。

「ねえ、カディス。魔石病について、以前にも話したことがあったわよね」

ルピナは真剣な顔で言った。

「うん、体の中に魔力を持つ石ができる病気で、ルピナたちはそれを治すための研究をしているんだよね」

「そう。原因は分からないけれど、イベリス革命で飛び散った魔力の結晶を吸い込んだことが原因だと言われているわ」


 イベリス革命については、カディスも学校で習ったことがある。長い間この国を支配していた魔術師一族の王朝が倒された出来事だ。

「魔石ができてしまった人間は、石が大きくなるにつれて魔力に支配されて、自分の意思とは関係なく魔力を暴走させてしまう。私たちのような生まれつきの魔術師と違って、魔力をコントロールすることができないから、支配のまま破壊行為を繰り返すことになるの。弟を殺した犯人も、そうだった」

ルピナは目を伏せた。

「石が小さいうちは取り出すことができるけれど、大きくなりすぎれば私たちにも取り出すことができない。そうなれば持ち主ごと消すしかなくなってしまう」


持ち主ごと消す―というのは殺すということなのか。カディスは鳥肌が立つのを感じた。

「アズはそんなんじゃないと思うけど……」

魔力を「暴走」させている様子はなかったし、もし魔石病だったとしたら、カディスが会っていない5年間の間でもっと進行しているものなんじゃないだろうか。

「違うならそれが一番いいわ。もしかしたら、元々魔術師の血を引いていて、それが発露しただけなのかもしれない。でもまずは調べてみる必要がある」


 ルピナは立ち上がると、引き出しの中から木箱を取り出した。蓋を開くと、透き通った薄い紫色のブローチが入っている。

「新しいブローチよ。これは、魔石が持つ瘴気に反応するの。これをつけて、もう一度『アズ』を訪ねてきてほしい。もし彼が魔石病なら、ブローチは黒く変化する。体内の魔石が大きければ大きいほど、深い黒になるわ。私が行くよりも、友達であるあなたが行く方がきっといい」

ルピナはブローチをカディスの胸元に固定すると、まっすぐな目でカディスを見つめて微笑んだ。

「あなたならきっとできる。頼りにしてるわ、カディス」


 二階にある、自分に割り当てられた部屋に戻ると、ベッドに腰掛ける。ルピナから渡されたブローチがやけに重く感じられた。アズが魔石病なら、早く治療する必要がある。それがアズのためでもあるはずだ。だけど、もう取り返しがつかない状態だったら?ブローチが真っ黒に染まってしまったら、自分はどうすればいいんだろう。


 いや、もしアズがそんなにひどい状態なら、博物館で普通に働いたりすることなんてできないはずだし、怪物など関係なく、カディスのことだって攻撃してきているはずだ。そう、きっと心配することなんて何もない。そう結論付け、カディスは大きく息を吐いた。



 翌日、目を覚ましたカディスは薬草採集用のかごを持つと階段を下りた。いきなりアズを訪ねるのもおかしい気がしたので、まずは薬草採集へ行き、アズに出会ったら話しかけてみるつもりだ。そういえばそもそもアズの働く博物館がどこにあるのか知らないので、それ以外に出会う方法はない。


 一階にたどり着くと、ルピナが客間として使っている部屋の入り口近くで壁にもたれている人影が目に入った。紫のフードがついた黒い上着に、顎の下まで伸びている、毛先の跳ねた赤い髪。それを見て、カディスはため息をついた。朝から最悪な気分だ。


 ため息が聞こえたのか、赤い髪の男は猫のようなアーモンド形の目で不機嫌そうにこちらを見た。金色の左目と赤紫色の右目は、どちらもカディスを見下すような光を湛えている。

「なんだ、いたのか」

赤い髪の男―グリスは心底つまらなそうな声で呟いた。


 ルピナ曰く、グリスはルピナが所属する魔石病の研究チーム『リスタネーヴ』のメンバーで(他にも10人くらいメンバーがいるらしい)時々協力して作業をすることもあるらしい。おそらく年は20歳前くらいで、カディスとそこまで変わらないが、やたらいつも偉そうなので、カディスは彼が苦手だった。そしてグリスも、カディスの事が苦手、というか嫌っていると思う。カディスが隠れ家にやってきてから、一度もまともに話しかけてくれたことはないし、基本的には目を合わせることもない。

「カディスには石の保持者かもしれない人物の調査を頼んだわ」

ルピナはいつもの穏やかな笑みを浮かべて言った。

「無理に決まってるだろ。ただの人間に何ができるっていうんだ」

グリスの声色が尖っていく。

「あら、あなたも似たようなものじゃない?大した魔力はないでしょう?」

ルピナが呆れたように返すと、グリスは少し口元を歪めたが、何も言わなかった。

「カディス、気にすることはないわ。グリスはいつまでも子供みたいなところがあるんだから。仕事にも『お友達』がいないと行けないんだもの」

「友達?」

グリスはそんなタイプではなさそうだが、意外にも単独行動が苦手なんだろうか。

「俺の事はどうでもいい。それで、『雪の鉱石』はいくつ必要なんだ」

「10個よ。今日中にね」

グリスは片方の眉を上げると、無言で出て行った。ドアの閉まるガタンと言う音がする。グリスならもっと乱暴に閉めそうなのに、それも少し意外だった。

「グリスには色々問題があるから、正直困っているの。あなたがもっと仕事をたくさん覚えたら、グリスに手伝ってもらう事もなくなって私としては助かるんだけど」

ルピナは困ったように吐息をついた。

「そっか。とりあえず、薬草の調達とアズの調査に行ってくるね」

カディスがそう言って外に出ると、続けて現れたルピナが空中に文字を書く。もう見慣れた光る空間に、カディスは飛び込んだ。

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