第2話 アズとパサラ
アズが働くぬいぐるみ博物館は、森の中にあるこげ茶色の洋館を改装したものだ。
入口には『ぬいぐるみ博物館』という文字が彫られた、木製の看板が立てられている。来館者はそこまで多くはないが、時折ふらりと訪れる人もいるため、開館中はあまり長い間受付カウンターから離れないようにと、アズは館長から言われていた。
どっしりとした飴色の扉を急いで開けると、幸い来館者はいなかったようで館内は相変わらず静まり返っていた。窓から、枯れ木のような何かが通りすぎていくのを見て、ふと気になって扉を開けてみたら、カディス(その時は彼だと分からなかったが)が襲われていたため、なんとかしなければと思ってそのまま飛び出してきてしまったのだ。
「どうしてバギサが出たんだろう?」
肩に乗っていたパサラが、カウンターの上に飛び降りると、見た目通りのふわふわした声で言った。
「バギサってさっきの怪物の事?」
アズが尋ねると、パサラはつぶらな目を瞬かせてジャンプするように頷いた。真ん丸なたわしのような体が揺れる。五年くらい一緒にいるから見慣れてはきたけれど、今でも、パサラが何者なのか詳しくは知らない。感触はぬいぐるみのようだけど、この博物館に展示されていたぬいぐるみではなく、博物館ができる前から館長とは一緒にいたようだ。
「バギサは、元々ただの枯れ木なんだ。魔力で育てた種を埋め込むことで動けるようになって人を襲うんだけど……」
「誰かがわざと出現させた……のかな」
「うん。自然に現れることはないと思う」
パサラは考え込むように少し俯いた。誰かが枯れ木を怪物化させたとして、どうしてそんなことをしたんだろう。
「でも、パサラがいて助かったよ。今は魔力が使えないから」
首元のチョーカーに手をやる。埋め込まれている黒い石が魔力の強力な制御装置になっているらしい。以前から館長からもらった制御装置をペンダントとして身に着けていたが、数日前不用品の棚をうっかり魔力で燃やしてしまい、それ以来、より強力で、鍵がなければ取り外せない制御装置をつけることになったのだ。本当に強く念じれば魔力を使う事はできると聞いているけれど、「本当に強く」というのがどの程度なのか、アズには分からない。
「アズよりぼくの方が強いからね」
パサラは胸を張るように伸びあがった。パサラにあんな力があるのも初めて知った。今さらパサラの事を怖いとは思わないけれど。
「さあ、閉館時間も過ぎているし片付けよう」
パサラは、受付カウンターの後ろにある棚から「閉館中」と書かれた、麻ひもがついている木製のプレートを取り出した。アズが扉を押し開けると、パサラはぴょこぴょこと歩いて、小さくジャンプすると看板にプレートをぶら下げる。
「大変だったけど明日も頑張ろうね」
のんきにそんなことを言うパサラに、アズは言った。
「怪物が出た時って、どこに相談したらいいのかな?」
「とりあえず警察でいいかなあ。こんなところまで来てくれるかはわからないけど」
アズたちが暮らすこの洋館は、町からはずいぶん離れた場所にある。買い物に行くのも一苦労で、頼んだ配達物も届くまでに一か月もかかるほどだ。連絡事項は手紙で送るしかないけれど、それだってかなりの時間がかかる。
パサラは伸びをして、扉の隙間から館内に戻っていった。あまり怖がっている様子はないが、きっと倒せる自信があるからだろう。あれくらいの強さがあれば、まあ大丈夫なのかもしれない。
しかし、アズが心配なのは怪物自体ではなく、怪物を故意に出現させた人物がいるということだ。一体誰がそんなことをしたんだろう。
閉館後は、ぬいぐるみたちに糸のほつれなどがないかを確認し、修繕しなければならないぬいぐるみは処置室に入れることになっている。アズは一つ一つのぬいぐるみを確認し、棚のカーテンを閉めて回った。ぬいぐるみの数を数えたことはないが、多分200体はいるだろう。
最初に博物館を訪れた頃には数十体だったのに、ずいぶん増えたものだ。棚も改修を重ねており、今では天井近くまでぬいぐるみがいる状態になっている。上の方の棚は、はしごがなければぬいぐるみを取り出すことができない。
「あれ、ここにもう一体ぬいぐるみがいたはずなんだけど……」
上から二番目の棚にいたはずの、赤いリボンをつけた実物大の黒猫のぬいぐるみが行方不明になっている。ぽっかり空いた黒猫のスペースの、隣に位置しているずんぐりした灰色の鳥のぬいぐるみは、移動した様子もなく素知らぬ顔ですわっていた。
アズは梯子から下りると、他の棚を確認してみた。どの棚にも黒猫はいない。
「アズ、確認は終わった?」
パサラがぴょこぴょこと歩いてきた。
「黒猫がいないんだ」
「うーん、どこかに遊びに行っているのかなあ」
この博物館では、時々ぬいぐるみが勝手に移動することがある。パサラのように動き回ったり話したりするのは見たことがないが、気づくと机の下にいたり、廊下にいたりする。パサラ曰く、元の持ち主のところに帰ろうとするぬいぐるみもいるそうだ。
アズは隣の部屋を探してみた。同じように棚が天井まであるが、どの棚も変わった様子はなく、黒猫は見当たらない。パサラも首を傾げながら、廊下へと黒猫を探しに行った。
結局展示スペースに黒猫はいなかった。アズは二階を探そうと、階段へ向かった。
「あれ、どうしてこんなところに?」
階段下の、森が見える出窓に黒猫が乗っていた。外の様子を見たかったんだろうか。
黒猫を抱き上げて元の場所に戻したころには、アズは疲れ切っていた。今さらながら、怪物に遭遇した時の恐怖を思い出す。パサラがいないときにあんなものが出たらどうすればいいんだろう。制御装置の鍵は、館長が持ったままだ。今のうちに鍵をもらっておいた方がいいんだろうか。でも、さすがに自分が襲われたら心から強く念じることができるのかもしれない。もしそうでなかったら大変だけど。
「アズ、そろそろ部屋に戻ろうよ」
「あ、ちょっと書庫に行ってくるよ。怪物の事を調べたくて」
アズは、壁に掛けてあるランプを手に、地下にある書庫へ向かう薄暗い階段を下りた。
書庫には、館長が個人的に集めた書物が、ぬいぐるみたちと同じぐらいの数くらいたくさん収納されている。書物の並び方に決まりはないようだが、時々掃除をしているので、どこに何があるのか大抵の場所は分かっていた。手前から三番目の、一番上にある棚の左端あたりに、魔獣について書かれた本があったはずだ。アズは、見覚えのある暗い赤色の背表紙の本を手に取った。その冒頭には、このように書かれていた。
『アザレア王朝時代には魔術師の従者として数多く存在した魔獣も、魔術師に対する迫害と同時にその数を減らし、辺境の地に追いやられている』
この話はアズも館長から聞いたことがある。アズが暮らすこの国、ゼフィロニアは今では共和制になっているが、今から150年ほど前、強大な力を持つ魔術師、アザレア一族によって支配されていたらしい。
アザレア一族は、他の魔術師たちから奪った魔力を結晶化し、巨大な岩のようになったそれを城の地下で自らの魔力によって更に育てながら、体内に取り込んでより魔力を強化していた。しかし、一族以外を奴隷のように扱う彼らに国民は不満を募らせており、ある時剣術家のヴァシュア・イベリスが率いる、一族に属しない魔術師や魔力を持たない人間たちによる革命軍によってアザレア王朝は倒され、城にあった魔力の結晶は粉々に砕かれた。これはイベリス革命と呼ばれている。
力を失ったアザレア一族は散り散りになり、各地で息をひそめて暮らすようになった。その少し後で、今まで魔力を持たなかった人々になぜか魔力が芽生えたらしい。粉々になった魔力の結晶を吸い込んだことが原因だと言われており、結晶の一番近くにいたヴァシュア・イベリスは人々の中でも強い魔力を得たらしい。そして、その魔力は彼らの子孫にも受け継がれた。最初は医療や公共事業などに魔力を役立てる者が多かったが、次第に強盗などの犯罪に悪用するものが増え始めた。そのため、善良な魔術師たちも迫害されるようになり、魔力を隠して生きるようになった。アズが生まれるずっと前の出来事だ。
『だから、君が悪いわけじゃないんだよ』
話し終えた時、館長は穏やかな声でそう言って、魔力が周りに知られ、養護施設を出て行かなければならなくなったアズを抱きしめてくれた。自分や魔力自体が悪いわけではないとしても、魔力を隠さなければならないことに変わりはない。でも、魔力のことを知っても否定しない人がいてくれるのは、アズにとっては大きな救いだった。
「バギサ……これかな」
ページをめくる手が止まる。自分がさっき見たのとよく似た怪物の絵が、白黒で描かれていた。
『かつてはアザレア王朝で城を守る魔獣として使役されていた。バギサを生み出すためには、枯れ木に魔獣の種を埋めこむ必要がある。服従の呪文を使えば従えることができるが、種を埋め込んだ者以外に従わせるのは難しい』
パサラが言っていたのと大体一緒だ。やはり、アザレア一族の生き残りか誰かがバギサを出現させたんだろうか。でも、これ以上考えても仕方ない。今できるのは、服従の呪文というものを覚えることくらいだろうか。やっぱり、館長から制御装置の鍵をもらっておこう。そう思って、本を閉じる。今日は本当に疲れてしまった。温かいスープでも作って、早く眠ろう。アズは書庫を後にした。
アズの部屋は、博物館の屋根裏部屋だ。朝日も差し込むし、夜には横になったまま星空を見ることができる。冬になれば寒くはなるけれど、毛布にくるまっていれば結構温かいし、暖炉のぬくもりもちゃんとここまで登ってくる。パサラには決まった部屋がないので、アズの部屋で眠ることもあるし、ぬいぐるみたちの棚にいることもある。最近のお気に入りはアズのベッドの下のようだ。
さっき食べた豆のスープのおかげで体が温まったせいか少し落ち着いた。色々不安なことはあるけれど、館長ももうすぐ帰ってくるはずだし、パサラがいればきっと大丈夫、そうにちがいない。
「アズ、明日はこの前来たぬいぐるみを棚に入れるよ」
「ああ、修繕終わったの?」
「うん。きれいになったよ。どこがいいかなあ」
館長がいないときは、パサラも修繕を手伝う事がある。意外と器用みたいだ。
「あざらしのとなりがいいんじゃないかな、たしかあのあたりが一番広々しているよ」
「そうだね、じゃああざらしにも言っておくよ」
パサラは一度飛び跳ねると、ベッドの下に潜り込んだ。
「おやすみ、アズ。寝坊しないでね」
「大丈夫だよ。おやすみ、パサラ」
アズもベッドに横になり、ベッド横の棚に置かれているランプを消した。明日は平和な一日であってほしい、そう思いながら、アズは眠りへと落ちていった。
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