狐の鬼火と葉のうちわ

@opossum1126

狐の鬼火と葉のうちわ

 これは昔も昔、甲斐国(かいのくに)という場所で起こった、なんとも奇怪な話であります。

 村の近くの大きな山に、もう何十年も生きる狐が住んでいました。その狐はとても賢く、人の言葉をすっかり理解し、あらゆるものに化けることも出来ました。そんな賢い狐が、いつものように山を散歩していると、草陰の向こうからいかにも強そうな侍が姿を見せます。

「おや、お前は狐だな。きっと悪さをするに違いない。退治してやろう。」

「とんでもない。私は理由もなく悪さなどしません。どうかお見逃しください。」

「ええい。お前の嘘には騙されないぞ狐め。」

 それを聞いた狐は、一目散に逃げ出します。いくら賢いとはいっても、真正面から人間と対峙したらひとたまりもない。それを見た侍は、絶対に逃がすまいと弓をかまえ矢を放つと、その矢は見事に狐の足に当たりころりと転ばせました。

「それ見た事か。今捕まえてやる。」

狐は捕まるまいと、侍が掴もうとする手をするりとかわし、死に物狂いで草陰に飛び込んで咄嗟に石に化けます。

「くそう、もうどこかへ逃げたか。逃げ足の早い狐め。」

 幸いにも、侍は狐には気付かずにそのまま山を下りていきました。狐はその様子を伺い、侍の足音がしなくなってしばらくしてから元の姿に戻りました。一刻も早くここから離れようとしましたが、先程の矢のせいで脚が思うように動きません。

「これじゃあ巣にも帰れない。参ったなあ。」

 そんな風に途方に暮れていると、何やら木の向こうでガサガサと物音がします。狐はほかの動物だろうかと恐る恐る近づき、そっと顔をのぞかせると、全く同時に白髪の爺さんがこちらに顔を向けました。

「わっ。また人間だ。」

「おお、狐か。」

 お互い驚いて声を出すと、さらに向こうから婆さんが様子をうかがいに来てしまいました。

「爺さん、どうしたんですか。」

 突然現れた爺さんと婆さんに、狐は警戒しますが、先程の侍とは様子が違います。爺さんは申し訳なさそうに狐に声を掛けました。

「驚かせてすまない狐。わしらは山菜を採りに来たのだ。おや…」

 爺さんはふとなにかに気づくと、何やら婆さんと話したあと、困ったふうな顔を狐に向けます。

「そうか。足を怪我して歩けないのか。可哀想に。」

「そういえばここまで来る途中に、怪我にいい薬草があったよ。採ってきてやろう。」

 婆さんはそういうと、先程来た方向へ歩いて行き、しばらくすると、薬草をいくつか持って戻ってきました。それを爺さんが、狐の脚に巻いてくれました。すると、脚の少し痛みが少し和らぎ、多少なりとも歩けるようになりました。これなら巣までは戻れそうです。

「よしよし。歩けるようになったか。」

「これなら数日もすれば、治るはずだよ。」

「ありがとうございます。これで巣まで戻れそうです。」

 狐は、爺さんと婆さんに深々と頭を下げ、自分の巣まで戻っていきました。

 しばらく経ったある日、婆さんが家の囲炉裏で火を炊いていると、見覚えのある狐が現れました。大きな葉を背負っていますが、山で脚を怪我していたあの狐です。

「おやおやあの時の。脚はすっかり治ったんだねえ。」

婆さんはびっくりしながらも、畑にいる爺さんを呼びました。爺さんも驚きつつ、狐の無事を喜びました。

「先日は私を助けてくださりありがとうございました。あなたたちに恩返しに来ました。」

 狐はそう言うと、先程から背負っていた大きな葉っぱを2人に差し出します。

「これはあなたたちにもらった薬草から作った、悪いものを吹き飛ばす、特別な葉のうちわです。今日の晩、このうちわを持ち、村に住む役人の屋敷に行ってみてください。きっと役に立ちますよ。」

 爺さんと婆さんは不思議に思いながらも、役人の屋敷の前に行ってみようと思いました。

 その日の晩、狐は役人の屋敷に忍びこんでいました。今日は宴会が行われているようで、多くの人々が集っています。そしてその中には、あの時狐に矢を放った侍もいました。どうやら、狐を追い払った時のことを自慢げに話しているようです。

「少しだけ仕返しをさせてもらいますよ。」

 そう言うと狐は鬼火(おにび)に化け、屋敷の真ん中に降り立ちました。人々はどよめき、役人は怪訝そうにその鬼火を見ていました。そんな中、1人が大声を上げました。

「鬼火だ!!!」

そう、あの侍です。侍はひどく驚き、友人も役人も放ったらかしに1人で逃げ出してしまいます。

 さて、爺さんと婆さんが屋敷の前に着いた時には、鬼火騒ぎで屋敷はどよめき、数人が屋敷から出てきている最中でした。

「なにかあったんですか?」

「屋敷に鬼火が出たんだ。今もまだ中にいるらしい。」

 その言葉を聞いた爺さんと婆さんは、狐の言っていた言葉を思い出します。まさかと思いつつ顔を見合わせていると、その屋敷の主である役人も家臣に守られながら外へ出てきました。するとその時、その役人の後ろから、鬼火がすっと現れました。再び屋敷がどよめく中、爺さんは鬼火に歩み寄ります。

「狐や。言っていたのは、こういうことなのか。」

 爺さんがそう呟いて葉のうちわを振るうと、鬼火は、狐のいた山の方へとすっかり吹き飛んでいきました。

「まったく。この度は村の者のおかげで一件落着したものの、真っ先に逃げるとはなんとも情けない侍じゃ。」

 こうして、侍は大恥をかき、それに対して爺さん婆さんは、役人から多くの褒美を受け取り、幸せに暮らしたそうだ。

 たとえ狐であっても受けた恩はきっちり返し、受けた仇もきっちりと返す。だから人であっても動物であっても、決していたぶることはしてはいけないのです。

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