第11話

 まさか向こうから停戦を提案してくるとは思いもよらなかったから、僕は一瞬その言葉をそのまま受け入れようとせず、何か裏があるんじゃないかと思考してしまう。


 ミコもほんの数秒固まったが、僕よりもすぐに立て直し、いつも通りの不敵な笑みを浮かべ直した。


「やめるって…そもそもそっちから始めたことだろう?」


「…あなたは、勝手に…割り込んで、きた…」


「おいおい、まさかそんな言い訳が通じるとでも思っているのかい。そこの木偶の坊は私の小間使い…それに手を出したからには、当然戦争だろう?」


 木偶の坊って…しかしここまで状況に何もついていけず、目的も何も果たせず、ただ傷と無力感だけを押し付けられた僕には言い返せるわけもない。


「…これ以上、やれば…人目にも、つく…それは、そちらも…望まないの、では」


 ミコは明らかに煽っている。それでも工藤はあくまで停戦を貫く気だ。


「ははは、ここまで派手にスプラッタしておいて、それはないだろう」


 血臭漂う工事現場で、ミコは愉快そうに笑った。


 正直、異常だ。出会った時からミコはずっと異常だったが、今はそれがより際立って感じる。僕にとっては一応味方という立場なのに、工藤や黒い男なんかよりもずっと不気味だ。


「彼は…こちらで、処置する」


 処置——文字通り淡々とした工藤の言葉の意味は、つまり上沢も今の工藤と同じ状態になるということだろう。


「なるほど…なら今夜の出来事は、誰にも知られる心配も、大事になって騒ぎになることもない、か。私がこのままおとなしく引き下がり、この場をそちらに任せれば、面倒ごともなくなる」


 ミコはつらつらと工藤の要求を飲んだ際の利点を口にする。先程の態度とはいきなり打って変わって、まるで要求を飲むつもりでいるような——


「仕方がない。今夜はこれまでにしてやろう」


 ミコの突然の変わり身に眉を顰めていると、あっさりとその予感通りの言葉を口にしてしまった。


「え…いいのか?」


「面倒なことをやってくれるらしいからな。それに、確かにこんなところで派手に戦い続ければ、人目につく…とにかく、私がいいというのだから、いいんだよ。ほら、おまえもいい加減だって動けるだろう?」


 僕は生返事をしながら、立ち上がる。


「さて、さっさと帰るぞ…って、その前にその格好をどうにかしないとな」


「格好…? あぁ…」


 ミコが出口に向かう途中で僕の方を振り向いて口にした言葉に、僕は視線を自分の体に向けて納得する。


 身体は再生しても、服までは再生しない。僕の制服は腕や足、胸元下などからバッサリ無くなっている。ミコに刺された時と同様、幸いにも僕の血は残されていないが、ところどころに残っているのはおそらく上沢の血だろう。


 上沢——僕は視線を事切れた彼に移す。バラバラになった、臓物が散らばった、もはや人としての形を保っていない…言葉にするとなぜだか安っぽい。


 また吐き気が押し寄せてくる。鳩尾あたりにずっと、蠢いて締め付けてくるような感覚がある。


「おい、着替えはあるのか? 流石にその格好で繁華街を歩くのは目立つぞ」


「いや…替えの服なんてない」


 まさかこんな事態になるとは予想もしなかったし、今日は体育もなかったので体操服も用意してない。


「まぁ、だろうな。なら、ここを出たらこれにさっさと着替えろ」


 ミコは気力という気力がなくなった僕に、紙袋を投げよこしてくる。その中にあったのは、桜織高校指定の制服——しかも男子用だ。


「どうして、こんなの持ってるんだよ…」


「こういうこともあると考えて準備していただけだ。なに、安心したまえ。これは必要経費というやつだから、お前に請求はしないさ」


 得意げに言ってくるが、もはや僕の方は苦笑いすらする気も起きない。


 ただ紙袋を手に持って、僕の反応につまらなさそうに鼻を鳴らしてさっさと歩き出したミコの背中をとぼとぼと追いかけた。


◇====◇ ====◇ ====◇ ====◇

 どうして、こんな状況に僕は身を置いているのだろう。


 僕はさっとミコから受け取った替えの制服に着替えると、黙って歩くミコの後ろについて、色々と思い返す。


 自分の通っている高校に、ミコと同じネクロマンサーが潜み、生徒の命を食い物にしている。そして上沢という男子生徒に次の矛先が向いていることが分かった。


 上沢とは知り合いじゃない。出会ってからも少し会話をした程度で、思い入れも特にない。それでも彼が危険だと知りながら、それを放置するのは罪だと思った。


 結局、助けたいとか、正義感からとか、そんな崇高な動機じゃない。自分が嫌な気持ちになりたくないという理由だけで僕は動いていた。


 だから今も悲しいとか、上沢を救えなかったやるせなさとかそういう気持ちはあまりない。ただ胸にぽっかりと空白が出来たかのような、空虚な気持ちはあった。


「本当によかったのか?」


 黙っていると行き場のない思考ばかりが募っていきそうで、僕はたまらずミコへ会話を投げかけた。


「…何がだ?」


「工藤たちのことに決まってるだろ。あのまま放っておいて本当に大丈夫なのかって話。それにあの黒い男は、君にとっては標的だったんじゃないのか?」


 ミコの目的は彼女と同類であるネクロマンサーを殺し、その魂に刻まれた魂の設計図の一端を奪うこと。その目的を口にした時の彼女は狂気的で執着に身を染めていた。


 そんなミコが、その標的——ネクロマンサーを目の前にしてあっさり引き下がるなんておかしい。


「勘違いしているようだが、あの黒い輩はネクロマンサーではないぞ。あれはお前と同じ屍人ゾンビだ」


「え…? そ、そうなの?」


「当たり前だろう。もしネクロマンサーなら、すぐに殺しに向かっているところだ」


 平然と猟奇的なセリフを口にするミコに慄く。そして彼女の隣を歩く自分があまりに不相応であることを今更ながら実感した。


 出会った時から理解していたつもりだ。でも僕自身屍人という人ならざる存在になり、それまでの記憶を失って、自分もまた特異的な存在なのだと思っていた。


 でも冗談でもなく、人を殺すことを当たり前の日常と捉えているようなミコを目の当たりにして、僕とは次元が違うことを思い知らされる。


 自覚すると、途端に唇に渇きを感じるくらいに気が張り詰めた。


「でも、それなら尚更…貴重な手掛かりだったんじゃないのか?」


 あの黒い男や、最後の工藤の様子は、学校にいる佐藤達とは明らかに違った。僕ですら、あの2人には何か特別なものを感じたのだ。それをミコが気が付いてないとは思えない。


「この私が、獲物の気配を感じた途端に、涎を垂らしながら飛び込む獣だとでも? …ともあれ、今回は私が相手の力量について読み違えてしまったというのもあるが」


「相手の力量…? それって、あの二人の…」


 そう聞き返した僕の脳裏に過ったのは、あの黒い男による見えない斬撃や、工藤に触れられた時に感じた気力を奪われる感覚。


「あぁ、そういえばお前にはまだ話していなかったな。特別な屍人の存在——血解けっかい持ちについて」


 繁華街は既に外れ、喧騒は遠くになりつつある。そこでミコは初めて聞く単語を口にした。僕は黙って、その説明を待つ。


「血、それを理解すると書いて、血解。普通の人間はもちろんのこと、私のようなネクロマンサーにもない、少数の覚醒した屍人が持つ異能の力の総称だ」


 異能——


 僕が今の僕として目覚めてからずっと、非常識な出来事が立て続けに起きていたが、いよいよそんな単語まで出現してきたか。


 喉を鳴らし、唇を舐める。想像力が追いつかずに、宙に浮かんだような感覚のある思考を、無理やり現実へと縫い止めた。


「あの金属もスッパリ切ってしまう斬撃も、その血解とやらの力なのか…でも、屍人の覚醒って、そんなことが起きるのかよ。屍人って、ただ蘇った人間じゃないのか?」


 正直理解が進んでいない僕は、自分なりの認識を言葉にする。僕は自称最高峰のネクロマンサーであるミコの術法によって蘇った屍人だが、とてもあの黒い男が同類とは思えない。


「別に覚醒していなくとも、血解…厳密にはその原理となる力なら、お前も既に使っているぞ」


「え…僕が? いやいや、そんなのいつ…」


「さっきだって散々な目に遭って、発動していたじゃないか。スッパリ斬られて、その後にな」


 言われて、またあの地獄がフラッシュバックする。ほんの刹那、幻覚痛として蘇った気さえした。


 でも”その後”と言われて、僕は幻影ともうあるはずのない痛みを振り払い、思い至る。バラバラにスプラッタされた後、僕はそう、まるで巻き戻るように再生したのだ。切断された手足や胴、血に至るまで。


「つまり、僕の力は再生?」


「いや、損傷した肉体が再生するのは、よほど雑な術法で復元した屍人でもなければ、デフォルト機能だ。しかし大元の原理は同じといえる」


 ミコの目が僅かに細められ、気のせいかキラっとしたエフェクトが見えたような気がした。もう何度か味わっている気配だからわかる。これはミコが自分の知識を得意げに話す前兆——そしてそれは予想通りとなった。


「血肉が再生する…それは言い換えれば、血や肉が今の正常な状態に戻るように”動いた”ということだ。しかし本来それは屍人になる前の…人としての生存本能と、屍人としての特性が引き起こす現象であり、無意識に起こってしまうものといえる」


 確かに僕の血肉は、まるで巻き戻るように動き、再生した。ただ彼女の言う通り、そこに僕の意思は介在していない。


「その無意識に起こる現象を意識的に引き起こす——その多くは血を介していることが多いために、血の力を理解し、使役する者として、その力のことを血解、そしてその力に覚醒した者を血解者と呼んだりする」


 そう言われて、僕はあの黒い男が自身の手首から血を流していたことを思い出した。


「血解の力は個体によって千差万別であり、その内容も血を操作するだけにとどまらず、血から全く異なる物質を創造することさえできる、まさしく異能。あの黒い男の血解は、血を操作し真空波のようなものを生み出して、物体を切断する能力なのだろうね」


「ほんと、漫画やアニメみたいな話だな…もしかしてあの男の力は、相当やばいのか…」


 直接味わった身としては、やばいなんて言葉では言い表せない。


「別に、あの黒ずくめの男の能力自体にそこまでの脅威はない。現に私には全く通用していなかっただろう?」


「そういえば…というか、その血解? は屍人にしか使えない異能、なんだよな? それがまるで通じない君のそれはなんなんだよ…」


「私の目的が目的なだけに、血解者と相対することは必至だ。もちろんある程度の対抗策は講じているさ」


「本当に何でもありだな…」


 相変わらず、遠藤ミコという存在は底がしれない。何も知らず、想像でしか現状を推し量れない僕には、当然といえば当然だが。


 ただ相手の能力が脅威でなかったのなら、やっぱり退いた理由がよく分からなかった。その疑問を正直に口にすると、ミコは呆れた表情でため息を吐いた。


「相手の血解者が一人だけとは限らないだろう。今回の相手、色々と詰めの甘さが目立っていたから、大したネクロマンサーではないと思っていた。しかし血解者を従えているとなれば、少し警戒度を引き上げる必要がある。今の私には、あまり戦力がないからな」


 戦力という言い方に少し引っ掛かりを覚えたが、それにしたって、あの黒い男の斬撃を悉く無力化していたというのに、それでも不足なのか。


「慎重なんだな」


「当然だろう。私の目的を果たすには、ネクロマンサーを確実に殺す必要があるからな。過剰なくらいの戦力で万が一もなく圧し潰すのが理想的だ」


 容赦無く万全を期す。どうやらミコは自身の目的に妥協はなく、確固たる意志を持っている。何千年も続く果てのない野望。僕にはそこに宿る彼女の気持ちなんて想像すらできない。


 ただ、間違いなくミコはドSだ。


「でも大丈夫なのか? 向こうにはこっちのことは知られてしまったし、明日から学校とか…」


 あの黒い男の力は見えない斬撃だった。それを使えば、のこのこと学校に顔を出した僕らを陰から狙い撃つこともできるだろう。


 口にした言葉が尻すぼみになるほど、脳裏によぎった可能性に慄いていると、ミコは鼻で笑いながら、


「学校で騒動になるようなことは起きないさ。向こうはわざわざ人気のない場所に夜中、しかも自発的に訪れるよう誘導するくらい慎重だったんだ。ネクロマンサーの私が敵対したということは向こうにとっても想定外だろうが、桜織高校という場での活動に固執しているなら、少なくとも活動しづらくなるような目立つ行動を起こすとは思えないな」


 ミコの推察では、標的のネクロマンサーは桜織高校の関係者。それは標的となっている大部分が桜織高校の生徒だったのことから当然の考えであり、その活動の中心点が桜織高校であることは明らか。


 それならば、今後の活動も考えて、少なくとも桜織高校で騒動となるようなアクションは起こさないというのは筋が通っている話だ。


 ひとまず僕は明日学校で襲われることはないことにほっと胸を撫で下ろしつつ、ふとミコの言葉に引っかかりを覚えた。


「…あのさ、話はちょっと変わるんだけど、ミコっていつから僕らのことを見ていたんだ?」


「初めから…お前が、私の前から大層意気込んで駆け出した直後からだ」


 工藤を見つけて、その後を追っていった上沢の様子も把握しているようだったので、何事もなく口にしたミコの返答は予想通りだった。


「…そう、か」


 だったらどうしてもっと早く助けに入ってくれなかったのか。そうすれば、僕があんな熱されるような痛みに苦しむことも、上沢が死ぬこともなかったかもしれない。


 でもそれを言葉にはしなかった。言ったところで、どうせ躱されるだけだし、そもそも彼女に人としての倫理観を問うこと自体が無意味だ。


 見た目は人でも、彼女は紛うことなく人ならざる存在なんだ。


 ただその事実がはっきりとした。濁った不信感を残しながら。

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