第9話
「橋本と…そっちは確か、保健室の天城? どうして2人がこんな場所に」
僕が目を丸くしているところに、隣で同じ反応をしていた上沢が、思い出せなかった解答を口にしてくれる。
担任の橋本と一緒にいた女性の先生——始業式では見覚えはあったが、保健室の先生だったのか。
「こら、先生を呼び捨てにするな…それよりも、そのケガはどうした?」
「別に、関係ないだろ。転んだんだよ」
「そんな言い訳が通じると思うのか…全く」
橋本が眉を顰めながら、一歩僕らに踏み込んで呆れながら注意を上沢に飛ばす。斜め後ろにいた天城は心配そうに上沢の怪我を見つめていた。
橋本は芸人ばりの爽やかイケメンだ。しかもその服装もシワひとつないスーツをスマートに着こなし、主張しすぎないものの、一目でハイブランドとわかる腕時計や革靴とかが、エリートって雰囲気を出している。
そんな彼の隣に、左目の泣きぼくろと長い髪を大きな三つ編みで一つにまとめ、おっとりとした雰囲気が特徴の美女である天城。
2人が並んでいると、学園ドラマの撮影かと思うような絵だ。
「ところで、2人は本当にどうしてここに? もしかしてデートですか?」
橋本に注意されて言葉を引っ込ませていた上沢に代わって、僕はそれまで上沢との間にあった鬱屈とした雰囲気を隠すようにして、冗談を交える。
橋本はそんな僕の冗談を呆れた表情で受け止める。
「はぁ…大人を揶揄おうとするな。仮に天城先生とデートしてるなら、お前らに声をかけるわけないだろう」
「それもそうだ」
橋本の的確な返しに関心しながら、その斜め後ろに控えるように立っている天城の方を見てみると、目線だけ空に逸らすようにして、まんざらでもない様子…まさか、天城の方はその気なのか。
僕らが2年C組の担任、橋本一樹先生は顔も良ければ、その容姿に見合う爽やかな性格に、授業での説明もスマートでわかりやすいと評判のしごできマンときている。そりゃあ、モテて当然だろうな。
「…最近、うちの高校の生徒の間で、家出をする子が急増しているのは、知っているだろう?」
「何もしないよりはマシ、程度ですけれど、当番制で家出した子が集まりやすそうな場所を、先生たちが見回っているんです」
橋本の言葉に続けるように、天城がそう口にする。
横目で上沢のことをみると、関心を薄くしていた彼の意識が、橋本の一言で逆転した。僕も驚いた。学校ではあくまで問題は表面化していなかったから、学校側は冷たく静観の姿勢をとっているものだと思っていたが、水面下ではしっかり動いていたのだ。
「り、梨花は…っ、工藤梨花は見かけなかったか?」
上沢は焦った様子で橋本に詰め寄った。尋常じゃないかわりように、橋本は眉を顰めながら、
「工藤か…やっぱり、彼女も」
「そうだ! 俺に連絡もなく、突然いなくなったんだよ。多分、岸谷も一緒だ」
捲し立てるように上沢が言う。橋本と天城は依然難しい表情を浮かべている。
「あなたは、確か…B組の上沢君、よね? 工藤梨花さんとはもしかして恋人…だったのかしら」
上沢は天城の言葉に沈痛な反応で押し黙る。でもそれが何よりの肯定であり、天城は申し訳なさそうに俯いた。
「残念ながら、2人とも見つかっていない。親御さんは大事にしたくはないようで、警察への連絡はまだだが…このままなら時間の問題だろう」
「そんな悠長なこと言ってる場合かよ…っ 梨花は絶対にただの家出なんかじゃねぇ。俺に何も連絡がないんだ…もし何かの事件に巻き込まれたりしてたら…」
「落ち着け、上沢。確かにその可能性がないわけじゃない。だからこそ、大人に任せるんだ。お前、最近ずっと学校に来てないそうじゃないか。竹内先生が嘆いていたぞ」
今の上沢こそ、激情にも似た嘆きの中にいるが、橋本はそれを理解した上で、落ち着かせようとその肩にそっと手を置いた。
「じっとなんて、してられるかよ…っ」
「お前の親御さんも、心配なされるだろう…はぁ、これは言うつもりはなかったが、仕方がないか」
橋本は諦めたようにため息を吐いた。その意味深な言葉に、気まずく俯きがちになっていた僕も、嘆き歯噛みしていた上沢も、顔を上げた。
「実は昼間、この辺りに桜織高校の制服を着た女子生徒を2人見かけたという問い合わせがあったんだ」
僕らは揃って大きく目を見開いた。
「それって…」
「もしかすると、工藤と岸谷かもしれん…」
「橋本先生、よろしいのですか?」
天城が不安げに橋本を見上げる。確かについ先ほど制止のための説得をしていたのに、今の情報はそれを吹き飛ばすほどの燃料を投下したと言ってもいい。
「ええ、聞かせると逆効果になると思いましたが、今のこいつらを見ていると、知らせない方がかえって無茶しかねません」
橋本の言い分にも一理ある。特に僕はつい先ほど、ボロボロになりながらそれでも無理を通そうとしていた上沢の姿を見ている。
もし目撃された2人の女子生徒というのが工藤と岸谷であれば、少なくともまだ無事であるという可能性の芽が出てきたということだ。あるいは、2人の家出は本当に家出であり、ネクロマンサーとは関係ないということも十分に有り得るだろう。
一縷の希望とはまさにこのことだ。
「上沢、お前の気持ちは分かる。教師として、これは言っちゃならないと思うが…この際、お前が学校を無断欠席して工藤や岸谷を探すことにとやかく言うことはやめよう。だが、せめて夜は家でじっとしていろ」
「そうよ。ご両親が心配するだろうし、この辺りは夜になると危ないことも多くなる。巻き込まれてからでは遅いのよ。ここからは、大人の私たちに任せなさい」
橋本の落とし所に、天城は深く頷きながら、優しくしかしながら力強く、上沢を諭すための言葉を口にする。
僕はそっと伺うように、上沢の方を見た。2人の大人の説得と落とし所は絶妙で、多分僕たちへの最大の譲歩だったのだろう。
でも僕は上沢が、どれほどの覚悟を持って、工藤のことを探しているのかを知っている。だから俯きがちの上沢の目がギラついているのを見逃さなかった。
やっぱり彼は止められない。きっとここで僕が橋本や天城の方についたって、状況が傾くことはないだろう。だったら、僕が選択するべき行動は——
ふと橋本と天城の方を見る。橋本は、何かアイコンタクトを天城に送っていた。それだけでも、僕は漠然とだけど、2人の考えが分かってしまった。
「——わかりました。それでは、先生たちに任せます」
咄嗟に出たのがそんな言葉で、僕はその勢いに身を任せることにして、上沢の服を引っ張って無理やり連れ出す。
「あっ…」
「お、おいっ!」
反発する上沢を僕は無視を決め込んで、とりあえず2人の先生から足早に離れていく。途中振り返ってみるが、どうやら橋本と天城は追いかけては来てないみたいだ。
明らかに僕の挙動はおかしかったが、僕らよりも本来与えられた職務を優先してくれたのか、とにかくなんとか2人からは離れることに成功した。
「いい加減引っ張るのやめろ!」
ほっとして弛緩した瞬間、上沢に服を掴んでいる僕の手を強く振り払われてしまった。
「ごめん…つい、力が入りすぎた」
「くそっ…俺は帰る気なんてさらさらねぇぞ」
「わかってるよ」
「は、はぁ…?」
さっきの対応と違う答えがあっさり返ってきたことに上沢は目を丸くする。多分、僕の予感は当たっている、はずだ。
「…多分、あのままいたら、ちゃんと帰るか確かめるためについてきてたよ」
あの瞬間はそんなこと思い至らなかったが、今ここに至って考えてみると、あのアイコンタクトはそういうことだったのだろう。
やがて上沢も納得したような表情になりつつも、今度は僕の方に怪訝な視線を向けてくる。
「お前、俺のこと止めに来たんじゃなかったっけ?」
僕もはっとする。そうだ、あのまま上沢を家に帰していれば、当初の僕の目的は——と考えたところで、いやと自分の考えを否定する。
「…あそこで仮に帰らされたとしても、どうせまた探しに出てたろ」
「…ま、そうだな」
けろっと答える上沢に、僕は嘆息する。そうだ、結局上沢は一度帰らされたとしても、また戻ってくる。その時に一番困るのは、一度僕と上沢が引き剥がされて、その後再度合流できなかった場合だ。
上沢に危険が迫っているかもしれない。それが今日とは限らないし、ただの取り越し苦労になる可能性の方がきっと高い。
それでも明確に彼の危険に対して想像できているのは、僕だけなのだ。
「それに…気になる手がかりも聞いたことだし、僕も今更引き下がれないよ」
「そういえば、ネットの神隠しがどうたらの調査もしてるんだっけな…どうでもいいけど。それよりも、俺はもう戻るぞ。探すならやっぱり、あの繁華街だったんだ」
繁華街で目撃された2人の桜織高校の生徒…上沢はどうやらそれが工藤と岸谷だと確信しているみたいだ。
「僕も行くってば。2人の方が、効率いいだろ」
「勝手しにしろ。ほんと、お前って変なやつだな。こんなことに首突っ込みやがって…」
上沢は小言でそう言いながら、さっさと歩き出してしまう。僕は慌てて、その後を追った。
◇====◇ ====◇ ====◇ ====◇
繁華街に戻った僕と上沢は、今も周辺を歩いている橋本や天城に見つからないよう警戒しながら捜索を開始した。
しかし有力な手がかりを得たとはいえ、そう簡単に見つかるはずもない。結局空が黒に染まって、繁華街が煌びやかな光で溢れかえる時間に突入してしまった。
「…人が増えてきたな、くそっ」
周囲の光に群がるが如く、繁華街の通りはいつの間にか多くの人で賑わっている。今も首を振りながら、歩いている人々の顔を見回っているが、もう確認はまるで追いついていない。
それは僕の少し前を歩いて、悪態をつく上沢も同様らしい。
こうなるなら、橋本にはもっと詳しい目撃位置を教えてもらうんだった。いや、あの時の状況で、教えてもらえるわけもないか。
無意味なたられば思考が頭の中を埋めていく。集中力や気力といったものが途切れている証拠だろう。しかし目の前を歩く上沢はまだまだ捜索を続ける雰囲気だ。
僕の方から捜索の中断を申し出ても、彼は1人でもこの繁華街の隅から隅まで歩き、それでもなお探し続けることだろう。
繁華街で目撃されたからといって、当然今もいるとは限らない。それでも僅かに芽生えた可能性というエンジンが、上沢を突き動かしている。
僕が先に根を上げるわけにはいかない。それでは彼についてきた意味がなくなる。僕は無意識化から溢れ出てくる無駄な思考を払い、首を動かして周囲の人々の顔に焦点を当てていく。
チカチカと周囲を煌びやかに彩る発光体が視界に点を作り、次の瞬間には流れていく。首を動かすたびに、様々な色のスタートレイルのような軌跡が浮かんで、だんだんと人の顔をぼやけていくような気がした。
声が聞こえる。たくさんの人の声。ここは日本だから、みんな当たり前のように日本語を話している。近くを通り過ぎた人の言葉は、一瞬聞き取れるが、それもすぐに周囲の声と溶け合って、意味のない喧騒になる。
見つからない。そもそも、僕らのような学生が歩いていない。もし歩いていたら、きっと目を引くはずだ。
「…あ」
動かしていた視線が、ピタリと止まった。意識はしていなかった。でも決して偶然じゃない。赤や緑や、時には紫や青、白と色とりどりの繁華街を染める光源、その隙間にある闇夜に紛れ込むように、黒い桜織高校指定のセーラー服を確かに捉えた。
驚きを隠せなかった僕の反応に、前を歩いていた上沢が振り返り、次の瞬間には僕の視線の先を追っていた。
「梨花…梨花!」
上沢は声をあげながら、走り出す。見えるセーラー服の誰かは後ろ姿しか見えていないが、上沢にはそれが工藤梨花であると確信があるようだった。
しかし上沢の叫び声も、喧騒にかき消されてしまっているせいか、セーラー服の人物はこちらに気がつく様子はなかった。
上沢は人混みを押し除ける勢いでセーラー服の人物のところに向かっていく。僕も後を追おうとするが、前を突き進んでいく上沢で乱れた人混みに遮られて、追いつくどころかどんどん離れていく。
ふと、セーラー服の人物がメインの通りから外れていくのが見えた。上沢はそれを追って、僕も見失うギリギリのところで人混みから解放される。
何か、嫌な予感がした。
「上沢!」
僕が追いつく頃、セーラー服の人物は見えなくなっていたが、上沢が白色の高いパネルで囲われた工事現場の中に入っていくところが見えた。
どうしてあんなところに。いよいよ僕の脳裏で警鐘が激しく鳴り響く。
急いで僕も後を追う。工事現場に建てられた仮の扉。本来封鎖すべく鍵がかかっているはずだが、ドアは何故か開放されている。
「どうして…」
僕は一度周囲を確認してから、そっと中にはいる。監視カメラとか、ないよな…そんな具合の悪くなる可能性を考えながら、肩を縮こまらせて周りの様子を見る。
上沢の後ろ姿はすぐに見つけることができた。暗くて、近くても少々見えにくいが、それでも彼が何をしているかは分かる。いや、上沢がというよりあのセーラー服の人物——工藤梨花と、といった方が正確か。
2人はまるでドラマのワンシーンのような抱擁を交わしていた。ここが夜の工事現場で、星の見えない空の下でなければ、さぞロマンチックに映えていたことだろう。
それでも感動の再会というのに、変わりはないか。僕は先ほどの嫌な予感というのが杞憂だったことにほっと胸を撫で下ろしながら、2人の邪魔をしないようにそっと扉を閉めようとした。
「り、か…なんで」
掠れた上沢の声で、扉を閉めようとした僕の手が止まる。見ると、こちらに背中を向けている上沢が、小さく震えているように見えて——
次の瞬間、大量の生々しい液体が、地面にボタボタと落ちたのだった。
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