第8話
喫茶店での会計を済ませた後、ミコはさっさと帰ってしまった。本当に何も手伝ってくれはしないらしい。
キッパリと断られたというのに、僕は一体何を期待していたのか…いや、期待していたというより、いざ1人になって、孤独と一抹の焦燥が混じり合った感情を持て余している状態だろうか。
何をするべきかはすでに頭の中にある。僕は後ろ髪を引かれるような感覚に踏ん切りをつけて、スマホを取り出した。
連絡先リストから選んだのは2年C組のクラス委員長・水無川だ。上沢の行動については、定期的に連絡をもらっているらしい彼女であれば何か知っているはずだ。
時刻は既に17時を回っている。今の季節ならまだまだ明るいが、今から上沢を探すとなると、きっと暗くなる時間にまで及ぶことになるだろう。
このようなタイミングで上沢の捜索を急に始めるなんて連絡を渡せば、間違いなく怪しまれるに違いない。
…どう誤魔化せば良いか。
「あんまり、考えてる時間ないよな…」
水無川の連絡先を見つめながら僕は独り言を漏らす。クラスの女子2人、工藤梨花と岸谷海音がいなくなって、少なくとも3日は経過している。
家出をした生徒は4日ほどと、ギリギリ警察沙汰にまでは発展しない期間だけ姿を消す。その間どのタイミング、またはどれくらいの時間をかけて、犯人が対象となった生徒を屍人にしているかは分からない。
ただ3日という時間を考えれば、あまり楽観的思考に至れない状況だ。その上で僕が考えなければならないのは、上沢の身の安全。
そう考えるとやっぱり悠長にしている暇はない。僕は逡巡を振り払い、水無川にコールする。彼女が応答するまでのこの間に、上手い言い訳を考えよう。
「——もしもし」
そうして数回のコールの後、水無川の電話には無事繋がった。
結論から言えば電話に出た水無川から上沢がいる大体の場所は教えてもらえた。上沢は無計画な家出人が集まりやすい繁華街の方を中心として工藤の捜索にあたっているらしい。
…聞き出せたはいいものの、かなり怪しまれただろうなとは思う。事態が大きくなれば犯人側がアクションを起こす可能性がある以上、暗に上沢の身に危険が迫っていると知らせることもできない。
それでいて僕という部外者が、上沢を探そうとするのを納得させるだけの理由。それを理路整然と説明することは正直できなかった。ほとんど感情で押し切った形だ。
話を聞いて、その事情に踏み込んでしまった以上、何もしないでいることがもどかしい。もちろんそういった面があるのも事実だ。
何にせよ、上沢の居場所に関する手がかりは手に入れた。電話の後に水無川から上沢の顔写真をもらうことも忘れずに、僕は行動を開始した。
バスを利用して繁華街付近に到着したのは17時30分前。まだ空は青いが、繁華街には微かに夜の雰囲気が出始めていた。
「暗くなる前に見つけよう」
僕は水無川から送られてきていた写真画像から、上沢の顔を再度確認する。緩めのパーマを当てて、暗めの茶色に染めた髪とくっきりとした顔立ち。威圧的ではないものの、強い印象を受ける瞳。それでいて笑顔で写っている上沢からは少年っぽい明るさを感じる。
そしてその彼の肩に触れる距離で一緒に写って、笑っている緩いウェーブがかった女子——彼女がきっと恋人の工藤梨花ということになるのだろう。
まさに陽キャカップルといった感じだ。
…よし、顔は記憶した。僕はスマホをポケットをしまって、足取りを早めた。
繁華街には徐々に人が増え始めていた。僕はその中で人の顔を見ていきながら、上沢がいないか探す。メインの通りよりも、少し外れた場所の方がいる可能性は高そうだ。
虱潰しではあまりにも時間がかかりそうなので、僕は歩きながら捜索の方向性を絞り込む。
ちらほらと、同年代の人が集まる場所に足を踏み入れる。しかしやはり上沢らしい人物は見当たらない。
それからかれこれ30分くらいは探しただろうか。もう18時を回ってきていて、蒼天には微かな夕日の気配が漂い始めている。
暗くなるにはまだ時間はあるだろうが、暗くなっては探すのも難しくなる。
なかなか見つからない。この辺りもハズレか…
そう思って場所をまた変えようとしたその時、僕の耳が誰かの怒号のようなものを微かに捉える。その騒ぎが聴こえてくるのは路地裏の方からだ。
別に何か確信があったわけじゃない。ただそういえば路地裏のような人の集まっていない場所に目をつけていなかったというきっかけを得たから、なんとなく近づいただけだった。
「——調子ノッてんじゃねェぞ!」
「うぐッ…」
バレないように顔の半分だけで覗いた先には、半グレのような見た目の数人の男たちから、1人の男が一方的に暴力を振るわれている図だった。
ゴミ置き場のような場所でうずくまっている男に、現在進行形で蹴りと罵声が繰り返されている。
誰かが誰かに暴力を振るう。それはきっとこの世界中で当たり前のように起こっていることだ。知識だけが残っている僕にも、それは理解できている。
でも生で見るそのバイオレンスな光景は、知識やモニター越しにはない生々しさと、一種の非現実さがあって、鳩尾のあたりがぐっと掴まれるような不快感に似た緊張。
同時に自己嫌悪した。ミコや水無川の前ではあれだけ正義感を振りかざしていた割に、いざそれを目の当たりにすると、見て見ぬ振りして今すぐこの場を去りたいという衝動に動かされそうになっている。
自分の中にあった感情が、これほど空虚なものだったとは、気がつきたくなかった。
「…俺は、ただ…あいつ、の…」
「だから知らねーよ、そんな女は。てめェ、これ以上うざってェことしてっと、こんなもんじゃ済まなくなンぞ?」
僕が動けなくなっている間に、男たちの暴力は一旦落ち着きを見せていた。暴力を受けていた方の男は、今にも途切れそうな弱々しい声で、なおも縋りつこうとしている。
状況が読めなかったが、暴力を受けていた男の顔を見て、僕は思わず声が出そうになる。
さっきスマホで見た顔と同じ——工藤梨花の彼氏、上沢悠介だったのだ。
「おい、そろそろ行こうぜ」
「…っち、そうだな。おい、てめェ…次に舐めたことしたら、殺すからな」
そう言って、一番イラつき暴力を率先的に行っていた男が、最後に上沢の体に蹴りを入れると、半グレ風味の男達はその場を去っていった。幸いにも、僕が見ていた方とは逆側の方向に去っていってくれたおかげで、茫然自失としていた僕が見つかることはなかった。
「く、そっ…」
上沢が苦しそうに毒づきながらも、立ちあがろうとしていた。でもつい先ほどまで激しい暴力を受けていた身体は、思うように動かないらしい。
呆然としていた僕はそこでようやく我に返り、動き始めた。自己嫌悪と後悔に苛まれてばかりもいられない。今更でも、ここにきた目的を果たすんだ。
「お、おい…大丈夫か」
「なんだ、お前…って、うちの、制服…?」
駆け寄って声をかけた僕に、上沢は一瞬表情を険しくさせたが、僕の制服姿を見て、わずかな安堵を漂わせる。ミコとの話し合いの後、そのまま来てよかった。
「僕は、式島。えっと、そう、水無川と同じクラスの」
未だに自分の名前を告げることに慣れないな。
「水無川の知り合い? なんでこんなところに」
「君を探していたんだ」
「はぁ…?」
「…話はとりあえず後にしよう。救急車とか、呼んだ方がいいかな?」
上沢の目にはまだこちらを怪しむ気配があった。とはいえ、こんな場所で傷だらけの彼と落ち着いて話せるわけもない。
気も失っていなければ、会話もちゃんとできてる。それでも上沢の今の状態を見れば、すぐに救急車を呼ぶべきなのだろうが、同時に彼の事情を考えると、それは軽率な行動に思えた。
「いや、いい。俺は大丈夫だ」
案の定、救急車を呼ぶことを上沢は拒絶した。僕は取り出しかけていたスマホをしまって、さらに歩み寄る。上沢の表情がまた険しくなった。
「ひとまずここからは離れたほうがいいと思う。肩、貸すよ」
「んな必要は…っ痛…!」
上沢は強がって立ちあがろうとしたが、やはりかなり辛そうだ。僕は構わず、肩を貸して彼が立ち上がるのを支える。
「…っ、すまねぇ。助かる」
「気にしないでくれ。とにかく、落ち着いて話せるところにいこう。薬局かコンビニの近くがいいな」
上沢の体は色々なところをぶつけたり切ったりしていて、ボロボロだ。せめて簡単な応急手当てくらいはしないと、落ち着いて話なんてできない。
かといって遠くまで歩かせるわけにもいかないので、僕たちが腰を落ち着けたのは、小さな公園——遊具なんてないから、広場に近いが。
僕はベンチに上沢を座らせると、少し待つように伝えて、近くにあった小さな薬局に向かった。そこで応急手当に使えそうなものを、買えるだけ買って、急いで上沢のところに戻った。
「はぁ、はぁ…っ、これ、色々買ってきた」
「…なんでそんなに息を切らしてるんだよ」
ダッシュで買って、ダッシュで戻ってきたから、短い距離とはいえ、額からは汗が噴き出ていた。息もすっかり上がってしまっている。
上沢に指摘されて、確かにここまで急ぐ必要はなかったと思い返した。何となく、急がないと上沢が姿を消すんじゃないかと、勝手に思い込んでしまっていたのだ。
「まぁ、とにかく…最低限は手当しよう。あっ、傷はそこの水道で流さないと」
「別にそこまでしなくても…いや、すまん。ありがとう」
上沢は遠慮気味な様子だったが、もう手当のためのものも揃えている僕の手元を見て、諦めたように受け入れた。
「——それで、お前は何で俺を探してたんだよ。えっと…式島、だっけ?」
一通りの手当を終え、ようやく落ち着いて話ができるようになった頃、辺りはようやく夕焼けに染まっていた。
「水無川から話を聞いたんだ。その…工藤さんのこととか」
「は? 何で? お前、梨花とどういう…」
上沢の目が細められる。あらぬ誤解をされてしまっている気配。
「あぁ、いや…工藤さんとは、ただのクラスメートだよ」
「それじゃあ、どうして…」
上沢は懐疑的に僕を見ている。そりゃ、ただのクラスメートなだけの同級生が、踏み込んで自然といえる事情じゃない。
とはいえ、何と言ったものか。中途半端な嘘はすぐに看破されてしまいそうだ。なら、多少気まずくても真実を告げる方が誠実だろう。
「工藤さんというより、実は…僕の知り合いが最近うちの高校で流行っている家出のことについて調べていて…ネットで神隠しとかって言われてるんだけど」
「神隠し…? あぁ、そういえば水無川のやつも言ってたっけ…まさか、そんなのマジで信じてんのか、お前…」
「えっと、まぁ信じてるっていうか…何というか」
僕は言葉を濁し、目を逸らす。流石に、まるっきり全部話しても信じてもらえない以上、こういう状況にはなるのは当然か。
「…つまり、ただの好奇心、だと?」
「うっ…それは」
突き刺すような上沢の視線に、僕は言葉を萎ませる。オカルト調査路線で話を持っていけば、当然真剣に恋人を探している上沢にとってはいい気はしない。
ただ、僕としても決して遊びじゃないんだ。
「ふぅ、はぁ〜…ごめん。きっかけは正直そうだった。でも今は、違う。僕もふざけてここまで来たわけじゃない」
深呼吸して、僕はまっすぐ上沢のことを見る。さっきは情けなくも二の足を踏んでいたくせに、都合の良い覚悟だとは重々承知の上だ。事は目の前にいる彼の命に関わる問題かもしれないのだから。
「そうかよ。まぁ、別にそこはどうでもいい。助けられた身の上だしな」
上沢はそう言って、手当された自分の怪我を見下ろした。僕の薄っぺらい覚悟を、どうやら呑み込んでくれたらしい。
「…そういえば、どうしてあんな状況に? 工藤さんとあの半グレっぽい人たちと、まさか何か関係があったりするとか?」
「はっ、あいつらは半グレなんて大それたものじゃねぇよ。ただここいらの半端者を仕切ってるだけのグループの連中さ」
犯罪の一つや二つやってそうな雰囲気の顔ぶれだったが、なるほどこの辺りの若者を仕切っている人たちなら、上沢が接していた理由もわかる。ただ——
「相手の連中、相当キレてたみたいだけど…一体何したんだ?」
「別に…ただ、梨花を探すなら、男よりも女に聞いて回った方がいいと思って…んで、その中に連中の女が居ただけの話だよ」
…色々端折っているがつまり、痴情のもつれってやつか。それにしても過激過ぎる。
「なるほど…それは何というか、運がない…でも、無茶しすぎじゃないか」
「こんなの何でもねぇよ。梨花の居場所が分かるなら…まぁ、今回は完全に殴られ損だったが。ふざけんじゃねぇよ、全く」
上沢は大きなため息をついた。殴られ損ということは手がかりは何も得られなかったということだろう。
「——つぅ訳だから、俺からだって大した話は聞けねぇぞ。そんな暇もねぇしな」
「…話?」
「…お前、俺を探してたのって、そのためじゃないのかよ」
言われて、僕はハッとする。そうか、話の流れ的にはそういう風に映るか。
僕の第一の目的は、上沢を危険から遠ざけることだ。ただここまでボロボロになっておきながらも、上沢の目に諦めは一切見えなかった。
正直そんな彼を僕の説得ひとつで止められるとは思えない。
…それでも忠告はしておくべきだろう。
「本当は君を止めるつもりだった。今回のこと、色々調べているうちに、何かがおかしいって思うようになって…そんな時に水無川から上沢のことを聞いたんだ。もしかすると何か危ないことに巻き込まれるんじゃないかって考えたら、居ても立っても居られなくて…」
「…おかしいって何がだよ?」
真相は彼にとって信じ難いものだ。事体の中心にはネクロマンサーという超越的な存在があり、行方不明になった学生は次々と動く屍にされている——そしてその次の標的に工藤梨花や岸谷海音がなっているかもしれない。
「それは、その…何となく、なんだけど…」
ただこの真相をありのまま告げても、信じてもらえるわけがない。結果僕の言葉はみるみる弱くなっていく。
「なんだ、それ。そんな不確かな予感で、街中探し回ってたのかよ」
「…そう、なるな。無我夢中で…」
僕は咄嗟に気まずくなって、上沢から視線を逸らしてしまった。直前の上沢は、怪訝そうな表情だった。
しかし次の瞬間、ぷっと吹き出す笑い声が聞こえてくる。
「お前、変な奴だな。というか、若干きもいぞ」
「うぅ…」
あまりにも辛辣な言葉。ここはお人好しとかそういうステータスが付与される場面じゃないだろうか。
とはいっても上沢の言葉の色にこちらを貶すような気配は感じられない。
「まぁ、でも確かにやめろと言われてやめはしないな。それに、俺も梨花の家出についてはおかしいと思ってる」
確か工藤梨花は誕生日が近くて、2人はそれを祝うための予定もあったという。その中で連絡もなしに彼女は消えてしまった。上沢にとって、それが強い違和感になっている。
「…工藤さんがいなくなる前、何か変わったことがあったりとかは?」
「別に…特にそんなことはなかったよ。いつも通りだった。それなのに…」
「君とじゃなくても、たとえば他の誰かと何かあったりとか、そういうこともなかったのか?」
僕がさらに問いかけると、俯いていた上沢はしばらく顎に指を当てる仕草で考え込み、
「そういえば、大分前になるが…岸谷から相談事を受けていた感じのことは聞いたな」
「…岸谷さんも一緒にいなくなっているんだから、もしかすると何か関係はあるかも。内容を聞いていたりは?」
「いや、分からねぇ…女子同士の話だからつって、教えてはくれなかったよ。俺も別段興味もなかったし」
かかったフックは、あまりに弱すぎるか。ただそれでも工藤と岸谷が行方不明になったのには、仲が良かったという以外にも何か理由があった可能性がある。
確かに大した手がかりにはならない。僕はベンチから立ち上がり、身体を伸ばすことで思考に刺激を与える。
そこで僕は視線の先、公園の外に見覚えのある2人を見かけた。
「あれって…」
夕焼けで染まっているが、見間違いではない。そして僕が気がつくのと同時に、向こう側もまた僕たちの存在に気がついたようだった。
「——お前たち、こんな場所で何をしているんだ」
「…橋本先生?」
公園に入ってきたのは、桜織高校2年C組の担任教諭であるところの橋本一樹、それと隣にも見覚えのある女性——おそらく同じく桜織高校の先生である誰かだった。
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