第7話

 桜織高校で頻発している学生の家出。4日前後ほど完全に消息を絶ち、戻ってきた時にはまるで人が変わったかのように変貌している。


 僕はミコの後について、実際に家出をして戻ってきた生徒と対面したが、その誰もが一様に覇気が無く、虚な印象だった。


 ミコは数人の家出生徒と対面して、この高校で起きている家出は、彼女と同じネクロマンサーが引き起こしているものだと確信していた。


 そして家出者リストと、桜織高校の全生徒名簿とを照らし合わせた結果、家出をしている生徒の多くが僕やミコと同じ2年の生徒であり、3年生に至っては誰一人として家出者が出ていないという結果が出たのだ。


「どういうことなんだろう…」


 本日最後の授業が終わった後、僕は学年とクラスを追記した家出者リストを見つめながら溢す。


 全生徒の名簿は、昼休み中にミコが教員しかアクセスできないデータベースから、ハッキングによって引き抜いたものであり、授業が終わった今、万が一にも誰かに見られないよう、カバンの中に隠している。


「——式島くん、それは何かしら?」


 僕がリストの名前を見つめていたところに、頭上からこの学校に来てミコ以外で唯一まともに会話をしてきた委員長——水無川の声が聞こえる。


「えっと、これは…」


 思わず腕でリストを隠しながら、僕は逃げ口上に思考を巡らせる。


 しかし顔を上げたところで、その意識は水無川の隣に立っていた女子生徒に向けられる。


「急に声をかけてしまって、ごめんなさい」


 声をかけてきたのは、水無川の方だが…と思いつつ、僕はそう言ってきた女子生徒の方を見る。


 同じクラスの、確か月守麗奈(つきもり れいな)だ。クラスメイトの名前は、家に帰ってからも必死に覚えてきているので間違いない。


「委員長と、それに月守さんまで…僕に何か用なのか?」


「この学校のあの噂の件——式島くんも調べてるのでしょう? 今日一日調べ回ってたらしいじゃない。何か進展はあったのかしら」


 僕の問いかけに、水無川がそう答える。


「進展って…そんな1日では、流石に…」


「そうかしら? じゃあ、その腕の下にある紙は?」


 うっ…やっぱり見られていたのか。


 さて、どうするべきなのだろうか。僕の腕の下にあるリストには、おおよそこの学校で家出をした生徒の名前とクラスが記載されている。


 噂についての調査の進展というなら、間違いなくこのリストがそうなのだろう。しかしこの情報は果たして開示しても良いものなのだろうか。


 この学校で起こっていることには、もうほぼ間違いなくネクロマンサーという危険な存在が関わっている。そんな中で、ミコから得たこのリストを共有するのは、目の前の二人を渦中に巻き込んでしまう可能性がある。


「よっと!」


「あっ!」


「ちょっと、碧波っ?」


 僕が迷っているうちに、その意識をすり抜けるようにて伸びてきた水無川の手が、僕の腕の下にあるリスト用紙をあっさり引き抜いた。


「これは…名簿? いえ…もしかして——」


「家出をした生徒の、リスト?」


 水無川が抜き取ったリストを覗き込んだ月守が正解を言い当てる。


「…驚いたわ。まさかここまで調べているなんて」


「いや、違うんだ。これは僕が今日1日で調べたものじゃない。あくまで僕は手伝っている程度で…」


「手伝ってるって、もしかして今朝言っていた、噂について調べてる知り合いって人のことかしら。ウチの学校の人だったの?」


 ずいっと水無川が顔を寄せてくる。ちょっと距離感がおかしくないだろうか。


 大きな丸めがねの向こう側にある長いまつ毛とその下の大きな瞳に、まるで吸い込まれてしまいそうだ。


「あの〜、もしかしてその知り合いって、S科の転入生の方ではないですか?」


 僕がドキマギして言葉を失っていると、後ろにいた月守が遠慮気味にそう言ってきた。


「どうして、それを知ってるんだ?」


 高鳴っていた鼓動が急激に冴えていく感覚。僕のことはともかく、ミコのことを知られているということに対して、反射的に警戒してしまった。


 それを感じ取ってしまったのか、月守はあからさまに狼狽してしまう。


「いえ、あの…えっと」


「…はぁ。別にあなたの事情を詮索していたわけじゃないわ」


 月守に助け舟を出したのは、ため息混じりに肩を落とした水無川だった。


「…どういうこと?」


「彼女、今学校を休んでいる工藤さんや岸谷さんと仲が良かったのよ。それで、今回の件についても色々調べてる中で、あなたとS科の転入生が同じように調べているってことを偶然知った…そうよね?」


 水無川がそう確認すると、月守はぶんぶんと首を縦に振った。工藤さんと岸谷さんの友達…それを聞いて、僕は始業式のことを思い出す。


 あの時水無川が話しかけていた女子グループの一人に、月守の姿があったことに。


「なるほど、そういうことか」


 つまり水無川と月守もまた、協力してこの学校で起こっていることを調べているのだ。


「それで、式島くんはあのS科の転入生とどういう関係なのかしら?」


 水無川が目を細める。まさかこんなタイミングで探られるとは思ってもみなかったから、二人を納得させることができる回答なんて用意していない。


 もちろん正直に言うわけにもいかない。さて、なんと答えるべきなのだろうか…


「えっと…実はい、いとこ…なんだ。僕がこの学校の噂を教えたら、一緒に手伝ってくれるようになって。このリストも、前々から彼女が調べてくれていたものなんだ」


 差し障りのない嘘話を、なんとかその場で絞り出すことができた僕は二人の反応をみる。僕の言葉の辿々しさに、水無川の方は少し懐疑的な視線を向けてきていたが、後ろの月守は純粋に驚いた表情をしている。


「…そうだったのね。それで、式島くんはこのリストの生徒と話をしたのよね?」


 水無川が一度月守の方に視線を向けた後に、僕にそう尋ねた。そうか、おそらく昼休みにミコと僕が歩き回っていたところを、月守に目撃されていたということだろう。


 そこまで知られてしまっては、変に隠し立てする方が不自然だろう。それに目の前の二人から、何か有力な情報を得られる可能性だってある。


「流石に全員じゃないけど、数人とは話したよ。でも家出をしていた時のことや事情については、誰も話してくれなかった」


 だから僕は結果だけを告げた。そこで感じたあの、同じ人と繰り返し話しているような違和感のことには触れずに。


「そう…普通に考えて、部外者には話したくはないでしょうね…かといって、総当たりで話を聞くというのも…」


 水無川はリストを見つめながら、悩ましげな表情を浮かべていた。


「僕たちが話をしに行った時も、すっかり拒絶されたよ」


 僕は少しわざとらしく肩をすくめて、水無川の言葉に同調する。リストの生徒一人一人と話すのは、完全に時間の無駄になるだろうからだ。


 ミコは既にあの生徒たちがネクロマンサーの手にかかっていること——つまり屍人であることに確信を得ており、今では僕もそうだろうと思っている。


 そしてそれが真実であれば、誰に話を聞いたところで、おそらく返ってくる答えは全てが同じ。それによって何か事態の解明が進むことはない。


「…でも、もしかしたらこの中の人なら、梨花や海音のことを何か知っているかもしれない、ですよね」


「噂では、家出をした生徒が、1週間もしない内に戻ってくるけれど、まるで別人に変わったような状態で戻ってくる…だったかしら。もしこの人数の生徒が同じような境遇なのだとしたら、共通する何かしらの事情があっても確かにおかしくないわね」


 流石委員長、と言って正しいのだろうか。しかし少なくとも見た目の印象通り、水無川は頭も察しも良い。内容はともかく、状況の輪郭は正確に言い当てている。


「月守さんは工藤さんや岸谷さんと仲が良かったんだよね?」


「…よく、一緒にはいました」


 話の焦点を工藤梨花と岸谷海音にしたのは、あまり踏み込ませるのも良くないかもしれないという気持ちと、現在進行形で姿をくらませている二人に関する情報を得られるかもしれないという下心からだった。


 しかし返ってきたのは歯切れのない回答に、僕は首をひねる。先ほど水無川が同じこと言っていた時には、特にそんな印象はなかったが。


「それなら、二人がその…家出をする前に、何かそういう前兆を感じたりは?」


「いえ、そいうことはありませんでした。あくまで私が把握する範囲内で、ということになりますが」


「…どういうこと?」


「その…私たちは、確かに日頃一緒にいますが、相談事とか、秘密を全員が共有しているわけではなかったんです」


 月守はまるで逃れるように視線を逸らした。言葉にしてはいけないことを、言葉にしてしまったといった感じだ。


 それを言わせてしまったことに、僕は少し罪悪感を覚える。確かに仲の良いグループだからといって、悩みまであけすけに打ち明けることはないということは、当然といえば当然だ。


「ただ私たちの中でも、梨花と海音の二人は仲が良かったと思います。中学からの親友だったみたいなので」


「ちなみに私も、工藤さんや岸谷さんとは同じ中学だったわ」


 思ってもみなかった繋がりだったが、同時にそれを聞いて、僕は水無川と月守という目の前の二人の組み合わせに納得がいく。


 というのも、水無川はザ・真面目清楚といった印象であることに比べ、月守は態度こそお淑やかな感じだが、学生にしては少し凝ったヘアメイクに明るい髪色、メイクもしっかりしており、見た目だけならギャルっぽい。


 一緒にいた女子たちも、クラスの中では目立つ、いわゆる陽キャグループだ。


 そんな彼女と委員長である水無川とでは、ある意味双極といえるだろう。


「なるほど、それで二人は一緒にあの噂について、調べていたわけか」


「そうね。ただ、例の噂について調べている理由についてはそれだけじゃないの。私は、工藤さんと岸谷さんの家出について、少なくとも工藤さんの家出については懐疑的に思っているわ」


「もしかして、家出をする前の工藤さんと、何かあったとか?」


 これまた思いがけずに降ってきた、新しい手がかりの可能性。あまりがっついては、釣れた獲物を逃しかねない。そう思った僕は、あくまで平静を装って問う。


「…まぁ、こんなリストを用意できる式島くんなら、共有しておいてもいいかもしれないわね」


「用意したのは、僕ではないけどな」


「そこはどうでもいいでしょう。ただこれは隣の月守さんにだって打ち明けられていなかった工藤さんの秘密だから、広めるのは控えて欲しいのだけれど、いいかしら?」


 同じ女子グループに所属していなかった月守も知らなかった秘密——そして工藤の家出を不自然だと、水無川に感じさせた根拠か。


 何か決定的に事態が前進する気がする。僕はまっすぐこちらを見る水無川の言葉に頷き、そして語られるその秘密に耳を傾けた。


◇====◇ ====◇ ====◇ ====◇


「——なるほど、それは興味深い話だ」


 以前訪れた最寄駅の近辺にある喫茶店。僕とミコは再びその場所で落ち合い、そこで僕は先ほどの水無川と月守との一部始終を話した。


 ミコは今日もチーズケーキとブラックコーヒーを頼んでおり、僕の話を聞きながらもしゃもしゃと食べていた。果たして僕の話をちゃんと聞いていたか怪しいものだったが、どうやら耳はこちらに向いていたらしい。


 僕が放課後の教室で、水無川から語られたのは、工藤梨花に関するとある秘密。それは、工藤梨花に同じ高校に通う幼馴染の恋人がいた、ということだった。


 工藤梨花の恋人——2年B組の上沢悠介という人物だ。クラスも異なるので、当然僕は面識はない。


 多分、記憶を失う前の僕も、上沢とは面識がないだろう。これまで水無川以外にまともに声をかけられなかった僕だが、何故だかスマホの連絡帳には複数の生徒の連絡先が保存されている。しかしその中にも、上沢という人物はいなかった。


「しかも、工藤さんは誕生日が近くて、それを祝う約束もしていたみたいなんだ」


「なるほど。そんな彼女が家出をするとは思えない、というのが委員長くんの主張なわけか」


「委員長くんって…水無川だよ。それより、その上沢なら姿を消す前の工藤さんの詳しい状況も知ってるんじゃないか? もしかしたらそこから犯人の跡を辿れるかも…」


「…確かにその点も興味深い」


 ミコの前に置かれていたチーズケーキは、綺麗さっぱり消失していた。そして残りのコーヒーを飲み、一息つく。


 本当に興味を持っているのか、その淡白な反応からは推し量れないが、僕は話を続ける。


「ただ、その上沢も始業式が始まってから学校には来てないみたいなんだ。今も水無川とは連絡が取れているみたいだから、無事ではあると思うけど」


「ほう…その上沢なる生徒は、なぜ学校に来ていないんだ?」


 そこで初めて、ミコの視線がこちらを向く。


「そりゃあ、工藤さんのことを探してるんだよ。それも朝から晩まで。きっとそれだけ工藤さんの家出が、彼にとって不自然だったんだろうな」


 おそらく水無川が学校の内部から、上沢は学校の外側を、という協力体制をとっているのだろう。


「そうか。だったら、あるいは次はその上沢なる人物の番ということかもしれないな」


「次…?」


 含みあるミコの言葉に、僕は思わず眉をひそめた。


「相手は明らかに桜織高校でも”家出をしても不自然ではない生徒”を狙っている節があった。しかし工藤梨花においては、これまでとは異なる状況になっている——もしこれが相手の思惑とズレており、そのことを煩わしく思っているとするなら、件の生徒も物言わぬ人形にしようと、考えそうじゃないか? ちょうど学校にも来ていないようだから、今が絶好の機会だろうさ」


 ミコが語ったのは、考えたくもない犯人側に立った思考。そしてそれは決して否定できない内容だ。


「…だったら、なんとかして止めないと」


 しかしやめろと言って大人しくやめてくれるはずもない。かといって、危険だと警告しようにも、理由を問い詰められる。そして今の僕に、理由を話したところで、その根拠を提示することはできない。


 ミコに全ての事情を明らかにしてもらうか…いや、そんなことをしたら、もはや人探しどころではなくなる。


 まいったな…有効な手立てが見つからない。僕は助けを求めるようにミコの方を見たが、そこにあったのは僕の想像にはなかった表情だった。


 まるでそう…ゲームとか、テレビとかの内容をモニター越しに見つめているような、傍観者のそれ。彼女の大きな瞳には僕の姿が捉えられているが、きっと僕のことは見ていない、そんな感覚。


「何を言ってるんだ。このまま放っておけば、相手側から出てきてくれるかもしれないじゃないか。わざわざ探す手間も省けるのだから、むしろここは静観するべきだ」


「そっちこそ、何を言ってるんだよ。それじゃ犠牲者がまた…」


「初めから私の目的は、この学校にいるネクロマンサーを殺すことだ。この学校で起きている問題の解決でも、人助けでもない」


 あまりにも淡々と、それでいて合理的な言葉に、僕は何も言い返せなくなる。


 ミコの言っていることは正しい。僕も彼女の目的について聞いていたし、それを達成するだけならば、僕が行動に移そうとしていたことは、無駄なことだ。


「それに、月並みな言い方だが、ただ同じ学校の人間というだけで、知り合いでもなんでもない人間を、危険を冒してまで助ける理由も、メリットもないだろう?」


 ミコが追い打ちをかけるように言った。確かにその通りだ。僕に名前だけしか知らない上沢を助ける理由は何もない。


 強いていうなら、記憶のない僕の中にあった衝動的な良心みたいなものと、知っていて見逃す罪悪感があったからだろう。


 でも空っぽな今の僕にとって、その二つこそ棄ててはならないもの、なのではないだろうか? これは本能的な確信だ。だから、追い詰めるミコの言葉を浴びせられたもなお、僕の中から迷いは消えない。


「…そうか。まぁ、私は別にどうでも構わない。お前の意思を縛るつもりもない。私の理念に反するからな。お前はお前の好きにすればいい」


 僕の表情から躊躇いが消えていないことを察してか、ミコは小さく嘆息しならがら肩をすくめた。


「縛るつもりはないってそれ…説得力はないけどな」


「昼間のことを言っているのか? それはそれ、これはこれってやつさ」


 ミコはまるで悪びれもしない。昼間だけじゃなく、出会った時にも散々してきたのをもしかして忘れているのだろうか?


 命令する側はそんな軽いものでも、される側としては、あの自分の身体が一瞬で自分のものではなくなるあの感覚は、正直何度味わっても気持ちが悪い。


「さて、そうなるとここからはしばらく別行動だな。とはいっても、何か分かれば報告はするように」


 ミコはとてもあっさりとした様子でそう言い、立ち上がった。もうコーヒーカップの中身もすっかりなくなっている。


「…わかった」


 正直僕一人の力で何かが変わるのか、という不安はあった。何ができるかも、何をすればいいかも、今はまだ判然としない。


 ただミコに助けを求めることはできそうにない。彼女の目的を考えれば、自分で動くよりも、相手が動くのを待つ方が、多分いいのだろう。


 だからここからは一人で、なんとかするしかないのだ。

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