幕間2 あるネクロマンサーの最愛

 死霊術師、あるいはネクロマンサー。私のご先祖様は、代々その力を受け継いできたらしい。


 でも時代が変わるにつれて、力を持つ者はいなくなり、おばあちゃんやその前代、前々代は、代々一族に仕えていた彼を動かすこともできなくなるほど弱くなっていた。


「おはようございます。お嬢様」


 彼を呼び起こして、もう数日が経った。どうやら彼は私をおばあちゃんの正当な後継者であることを認めてくれて、もうすっかり従者のような振る舞いで、私の世話をしてくれている。


 ちなみにパパやママにはおばあちゃんの縁ある家事代行という形で説明している。


 そのため、パパとママは私のことをすっかり彼に押し付けて、それぞれの仕事であちこち飛び回っている。まぁ、顔を合わせてもすぐ喧嘩ばかりでロクなことにならないから、私としては一番過ごしやすい状況に落ち着いてくれた。


 どうしてあの二人は離婚しないのだろう…大人のことはよく分からない。


「朝食を準備いたしましたので、お呼びにあがりました」


「はぁい…って、やっぱりその呼び方慣れないや」


 私は布団から出て、障子の向こう側で待機している彼に顔を見せる。背が高くて、小学生の私では近寄ると、目一杯見上げないと彼の表情は見えない。


 私がそうやって見惚れていると、彼は目線を合わせるためにしゃがんでくれる。そしてまるで花を愛でるかのように、頭を優しく撫でてくれる。


「それでは…別のお呼び方にいたしましょうか?」


「ううん。今まで通りでいい。それより、早くご飯食べたい。抱っこして連れて行って」


「ええ。それでは失礼致します」


 彼は私のどんな些細な願いだって叶えてくれる。私を何より大事にしてくれて、優しくて、そして王子様のようにかっこいい。


 そんな彼に好意を寄せるのなんて、あっという間だった。


「ねぇ…」


「如何致しました、お嬢様」


「私のこと好き?」


「もちろん、お慕い申し上げております」


 そして彼も、私のことを愛してくれている。


◆====◆ ====◆ ====◆ ====◆


 中学生になってから、私は本格的にネクロマンサーということについて学ぶことになった。


「あなたは本当に変わらないね」


「お嬢様は大変美しくなられました」


 彼は変わらず優しく、そして完璧な姿だった。小学生の頃からずっと一緒にいるけど、彼には劣化という概念がない。


 人間は歳を重ねるだけで細胞が劣化し、DNAは傷ついていく。この前ネットで調べてみたら、何でも染色体の末端であるテロメアという部分が、細胞分裂と共に失われ、それがなくなると細胞は分裂をやめてしまうのだとか。


 でも彼は屍人。既に通常の生命活動は終わり、死霊術という別の理によって動いている。そこに成長や劣化などはなく、彼は完璧な状態で停止しているのだ。


 だから彼はずっと永遠に完璧なのだ。


「今日はまた、おばあちゃんの地下書斎に行くね」


 私はしばらく恭しくする彼に見惚れた後、今日の予定を一言で告げる。おばあちゃん地下書斎とは、彼と初めて出会った、離れの物置に隠された地下部屋のことだ。


 あの場所にはおばあちゃんの家系が代々受け継いできたネクロマンサーや死霊術に関する資料が多く収められている。


 私は今、その資料を紐解いていきながら、死霊術について学んでいる。おばあちゃんは私には才能があると、そして代々続くこの知識を受け継いでもらいたいと願っていた。


 大好きなおばあちゃんのために頑張りたい。それにこれはきっと私にしかできない特別なことで、いつしか私の生きる意味みたいなものにもなっていた。


「かしこまりました。ご昼食は如何致しましょう」


「うーん、稲荷寿司かなぁ」


 彼の作る稲荷寿司は、おばあちゃん秘伝のレシピで作られている、私の大好物の一つだ。あれを食べる度に、私は優しく微笑むおばあちゃんを思い出すことができて、幸せな気分になれるのだ。


「では、時間になりましたらお呼び致しますね」


 彼は私を地下書斎のある離れまで見送ると、家事へと戻っていく。私は外の空気を一度大きく吸ってから、地下へと入った。


 ネクロマンサー。最近じゃ漫画やアニメ、ゲームとかで架空の存在として耳にすることはあるけど、この地下書斎ではそれが実在した存在として記された書類が大量に残されている。


 ネクロマンサーとは、死者を蘇らせるという究極の悲願を達成するために死霊術と呼ばれる術法で、魂に干渉し研究する者を指す。


 ところがこの地下書斎には、研究の記録らしいものばかりで、死霊術の核心ともいえる魂への干渉や、それを蘇生させる方法について記されてい書物はなかった。


 そもそも研究書物を見ている限り、魂の完全な蘇生方法というのは確立されていないらしい。


 では私に付き従ってくれている彼はどういう存在なのかというと、彼は死んだ誰かの魂を復活させたのではなく、0から作り上げた人工の魂という位置付けだった。


 それは復元よりも凄いことなのではないかとも思ったけど、どうやら彼が動き出した当初は人格らしい人格はなく、幾度の暴走や崩壊を経て、今の人格を獲得したらしい。


 これらの研究書物は、そのまま彼の歴史ともいえる。私は自分の知らない彼に触れることができているようで、ただおばあちゃんの願いを叶えたいという思い以外の理由でも、書物あさりに夢中になった。


 何より、実際に魂にはどう干渉するのか、私は研究書物を読んでいくうちに不思議と理解することができた。


 言葉にはできない感覚での理解。でもそれが正しいことに確信はあった。もしかすると、これがおばあちゃんの言っていた才能ということなのかもしれない。


 ただ私には完全なる魂の復元や、死者を生者として蘇らせるというネクロマンサーとしての宿願に、あまり興味を持たなかった。


 もしかするとネクロマンサーとしては致命的かもしれない。でも私にとって大切な人はおばあちゃんと彼だけ。パパもママも、死んだところで蘇らせたいとも思わないだろうし、おばあちゃんだって大往生だったから、大好きだけど蘇らせたいとは思わない。


 彼に至っては、死ぬ心配がない。それどころか、今でも十分に彼は完璧だった。


「完璧じゃないのは、むしろ私かぁ…」


 研究書物に目を通しながらため息を吐いた。死霊術については大分理解は進んだが、これからさらに研究を進め、最終的なゴールに至るまで、おそらく想像を絶する時間がかかってしまうだろう。


 そうしている間に私は年齢を重ね、どれだけ美しくあろうとしても、あっという間にしわくちゃのおばあちゃんになる。


 そして次の世代へ、彼と共に送り出すのが、私の役目。そう考えると虚しさもあった。


「…お嬢様、ご昼食の準備が整いました。そろそろ一息ついてはいかがでしょうか」


「ありがとう、そうするよ。あなたも一緒に食べよう?」


「かしこまりました」


 私は没頭する思考を止めて、書物から視線を上げる。愛しい彼の声が扉の向こうから聞こえてきて、私は何より大切な今の時間へと戻ってくる。


 彼の作ってくれた稲荷寿司は絶品だった。料理も掃除も完璧で、私の生活から不自由は消えた。


 何より、彼は私の見た人の中で最も美しい。外見もそうだが、心もとても清らかで、私に尽くしてくれている。


 懐かしいおばあちゃんの味と、優しく微笑みを見せてくれる彼——今の私はそれだけで満たされている。


 ずっとこんな時間が続けばいいのに…


 そう思った私は稲荷寿司に伸ばした手をピタリと止めた。私の幸せなこの夢を、叶えられる可能性が脳裏に過ぎったからだ。


 死霊術だ。彼は、代々受け継がれていく研究の末に生まれた存在。だったらその術法を、私自身に転用することができれば、私も彼のように劣化しない存在になれるかもしれない。


 彼と同じになれば、ずっとこの時を過ごせる。まだ見ぬ次の世代とやらに、彼を奪われなくても済む。


 そうだ、そうすればいい。


 私は、私が不老不死になるために、この死霊術の術法を発展させていく。


 そして彼との愛を、永遠にするのだ。

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