第5話

 ——翌日。今日から授業も始まるわけだが、最初のコマはどの教科も大抵、授業計画の説明がほとんどになるので、まだまだ身が入らない。


 しかし理由はそれだけではない。僕は自分の席から視線を動かして、誰も座っていない空席を見る。


 昨日休んでいた工藤梨花と岸谷海音は今日も休みだ。欠席を取った時、なんとなくクラス委員長の方を見たが、彼女はどこか思い詰めたような表情をしていたことが気に掛かる。


 それに今日はいよいよ桜織高校で起こっている怪事件に迫っていく。いや、まだ事件だと決まったわけではないが、昨日のミコの話を聞いてから改めてこの学校に来てみると、どことなく妙な違和感を感じる。


 はっきりと何かがおかしいと思ったわけじゃない。強いていうなら、学校全体の空気というべきだろうか。誰にも気づかれないところにある澱みが、少しずつ漏れ出ているような、そんな感覚。


 あんな話を聞いた後だから、それこそ気にしすぎているのかもしれないが。


 結局、何も確信を得られないまま、思考は憶測だけで堂々巡りしていく。


 先生の話はまるで頭に入ってこないまま、1限目は終了した。次の授業も移動はなく、教室内の空気が弛緩し、徐々に喧騒が満たしていく。


 僕は椅子から立ち上がることなく、窓際から教室内を軽く見渡した。記憶のない僕には、かつての式島奏多がクラス内でどう立ち回っていたのかわからない。


 スマホには同じクラスの人の連絡先も多少入っているものの、直近での交流はなかった。今も、僕に話しかけようとするクラスメイトはいなかった。


 安堵する反面、少し寂しくもあった。いや、自分がネクロマンサーによって蘇った動く死体——屍人ゾンビであり、式島奏多であるということを周囲に悟られないようにするといった点では、やはり好都合というべきか。


 よくよく考えれば、僕だって遠藤ミコというネクロマンサーの手によって蘇ったいわば別人であり、ずっと感じていたこの学校全体に感じる澱みのような違和感の一つでもあるといえる。


 隣にいる当たり前のように生きている人間が、実は既に死んでいて、中身がなくなっている——まるで奇妙な創作の中の世界だ。


 居心地が悪い…僕以外の、僕と同じような境遇にいる屍人はどのような思いで、今この場にいるのだろう。


 僕は教室の中にいる生徒の顔を、順々に確認していく。もちろん顔を見ただけでは、その人が屍人がどうかなんて判断ができない。


 僕自身、屍人だということは周囲からバレていないのだから、当然なのかもしれないが。


 続けて2限目も、僕はそわそわとした感覚のまま過ごした。ミコとあの家出者リストの人物をあたるのは、昼休みからだと事前に連絡を受けている。だからそれまでは待機すればいい。


「…ちょっと、いいかな?」


 そう思っていたのだが、僕は2限終わりの休み時間で、一つ行動を起こしていた。


「式島くん? 何かしら」


 僕がその時間、声をかけたのはこのクラスの委員長である水無川だ。今朝からの様子を見るに、彼女は今日も休んでいる2人の女子生徒のことをかなり気にしているようだ。


 現状ではあくまで2日連続で休んだだけの状況、ということを考えると、少し過剰な気がする。もしかすると何か、ミコも手に入れていない情報を持っているかもしれない。


 何もする必要はないのだが、僕も個人的に今回のことは気になってしまっていた。


「えっと、工藤さんと岸谷さんのことなんだけど…」


「式島くん、2人のことを何か知っているの?」


 僕が話を切り出そうとしたところを、水無川は食い気味にそう言い寄ってくる。僕は若干たじろいだ。


「そういうわけでは、ないんだけど…僕も少し気になって。ほら、ここ最近この学校の生徒が一時的にいなくなることが多いとか…もしかしたら、休んでいる2人も何か関係あるのかな〜なんて」


「あなた…もしかしてネット掲示板で、おかしな噂話でも読んだの?」


 水無川は目を細めて僕の方を見る。僕が自分の意思で見たわけではないが、図星を突かれた気がして、僕はビクッと反応してしまう。


「あぁ、実はそうなんだけど…」


「そういえばあなたって、オカルトチックなことが好きだったわね」


 …前の僕って、意外と趣味をオープンにしていたのかな。微妙に周知されているのは気まずいのだが。


 それにしても水無川の視線はどことなく冷たい。明らかに僕が下世話な好奇心に引き寄せられた無礼者に向けるような目だ。


「べ、別にそれが理由で気になっているわけじゃない」


「へぇ? じゃあ、どうしてかしら?」


 水無川は懐疑的な態度を崩そうとはしない。どうやら彼女が抱く疑いを晴らせなければ、話は聞けないみたいだ。しかしどこまで事情を話しても良いものなのか…


 僕の今の行動は、アドリブみたいなものだ。ミコの許可を得ている訳でもないから、あまり勝手に喋りすぎるのは避けたほうがいいかもしれない。


 無論、ネクロマンサーとか屍人だとか、そういった方面の事情は話したところで信じられるわけもない。


「知り合いが…その件を色々と調べまわってるんだ。なんというか…それが放って置けなくて」


 僕は出来うる限り言葉を濁しながら、事情を説明する。我ながらクサイ嘘をついてしまったと思う。本当な単なる好奇心だ。もしかすると水無川の言う通り、オカルトや心霊好きの衝動が、記憶を無くしてしまってもなお、残っていたのかもしれない。


 その若干の気まずさを、しかしながら水無川は僕の都合の良いように汲み取ってくれたらしい。彼女は神妙な表情を作りながら、


「…なるほどね。でも私だって、詳しいことは何も知らないわよ。もちろん、休んでいる2人のこともね」


「工藤さんと岸谷さんとは、連絡は取れてるのか?」


「いいえ。2人は姿を消しているわ。彼女たちと仲の良い子たちにも連絡は来ていないみたいね。2人は突然、誰にも相談なく家出をした、ということになっているわね」


「水無川さんはどう思う? 本当に2人は家出をしていると思う?」


「そうね…正直、あまりピンとは来てないわ。あの2人は、飾らない言葉で言うと、少し不真面目な生徒だったから、親に無断で外泊することもあったようだし…」


 飾らない言葉で「不良」ではなく「不真面目」が出てくるあたり、水無川の清らかな精神が浮き彫りになっている。僕は話の途中で思考が一瞬脱線しかけつつも、1限目の休み時間や、昨日の水無川の行動を思い出す。


 あれはやっぱり工藤や岸谷のことを聞き回っていたということだろうか。


「それなら、今回もどこかに外泊しているだけってこともあり得るのか…」


「分からないけれど、不審な点ならあるわ。確かに親への無断外泊を2人は何度かしている。でも、決まって友人たちにはそれを話していたのよ」


「…もしかして、そのことを聞きまわって?」


「ええ。ただ今回の件については、彼女たちと仲の良い子たちに聞き回ってみたけれど、誰も知らなかったわ」


 それまでは少なくとも誰かに伝えて外泊していたような2人が、誰にも言わず忽然と姿を消した。水無川が不審だと思うのは無理ない状況で、客観的に見ても事件性があるように思える。


「そんな状況なら、捜索願とか…警察が動きそうなものだけど…明らかに不自然じゃないか」


「2人の普段の素行と、最近家出が流行しているって認識が周知されているせいもあって、警察にはまだ連絡されていないわ。ただ、まぁ…今の状況が続くとしたら、それもきっと時間の問題になるでしょうね」


「そんな悠長な…もし何らかの事件に巻き込まれていたら…」


 警察は動いていないという事実に、僕は驚愕する。


「今までも同じような状況は何度もあったわ。でも結局消えた生徒は戻ってきて、大事になることはなかった。だからといって、今回もそうだとは限らないのだけれど」


 水無川のその言葉を聞いて、僕はゾッとした。ミコは一連の件を自分と同じネクロマンサーによる仕業だと半ば確信している。


 犯人は桜織高校の学生を攫い、殺した上でそれを屍人として復活させて日常に戻している。あくまでそれは状況から見た推察ではあるが、ミコのその推察がもし事実だとしたら、その犯人はギリギリ大事にはならないよう立ち回っていることになる。


 一度そんな思考が過ぎると、ミコの言っていたことこそが真実なのではないかと思ってしまう。


「そういえば…水無川さんは、家出から戻ってきた人と話したことはある? ほら、噂では魂が抜かれたような状態になるとかなんとか、いわれているけど」


「あぁ、そんな感じの噂もあったわね…でも流石にそれは噂につきものな尾鰭だと思うわよ。確かに、暗くなっている印象はあったけれど、そもそも1人で家出をしてしまうほどなのだから、少なからず本人も思い詰めていたはずだわ。そう考えれば、何も不自然なことじゃないでしょう」


「言われてみれば、確かに…」


 ネクロマンサーによって蘇った人間は、生前の記憶を失う。彼女曰く、どれだけ精巧に復元したところで、本質的には本物じゃない。


 ミコによって復元された僕は、今の所致命的なボロは出していない、はず。だからこそ今もこうして水無川に何も疑われることなく、自然と会話できている。


 そう考えると、もし家出から戻ってきた生徒が僕のような屍人の場合、噂になるくらいには違和感が生まれている。これがネクロマンサーとしての練度の差ということだろうか。


 もっとも水無川の話を聞く限りでは、社会に溶け込む分には問題はなさそうな感じだ。どうも判断がしづらい。


「私が知っていることもこの程度よ。何かお役に立てたかしら?」


 少し思考に耽っている隙間に、水無川の声が差し込まれる。


「僕は完全にネットだけの情報だったから…ありがとう」


「そう。それならよかったけれど、多分あんまり関わらない方がいいと思うわよ」


「どうして?」


「もし何か事件性があるとしたら当然だけれど、ただの家出だったとしても、関わって碌なことにならないのは目に見えているでしょう」


「…それはごもっとも」


 そこで賑やかな教室内に、予鈴が響き渡る。どうやら水無川は時間を見ながら話をしていたらしい。流石クラスを代表する真面目な委員長である。


「もし式島くんの方でも、何かわかった時は私にも教えてね」


「わかった。ありがとう」


 最後にそう言葉を交わして、僕は自分の席に戻る。正直確信を得られるような話を聞けたわけではなかった。結局自分の目で見て判断するしかない。


 ひとまずミコと合流するまで時間が経つのを待とう。


 ガラリと次の授業を担当する先生が入ってきた。僕は教材とノートを取り出して、頭の片隅で先ほどの水無川の話や、これまでミコから聞いた話を延々と反芻しながら、授業を受けるフリを続けた。


◇====◇ ====◇ ====◇ ====◇


「気になったんだけどさ、ネクロマンサー同士なら、お互いが蘇らせた人間の区別ってつくのか?」


 昼休み、僕はスマホのチャットアプリでミコから呼び出され、合流した後にそう尋ねてみた。


「それが“私の目から見た時、普通の人間と屍人で異なる映り方をするか”という意味での問いなら、答えは否だ」


「えっ、そうなの?」


 思いもよらない回答に、僕は驚嘆の声をあげてしまった。てっきり造作もないみたいな答えが返ってくると踏んでいたからだ。


「あくまで屍人という存在に、ネクロマンサーにだけ分かるような明証はない、というだけの話だ。私ほどのネクロマンサーにかかれば、98%は正確に判別できる」


「今回の場合も?」


「問題ない。私から言わせれば、今回の標的はまだまだ未熟だ。噂になるほど違和感を残している時点でな」


 ミコの言葉は、その全てが毅然としていて、揺らぎがまるでない。まだ何も確証的なことは何も得ていないのに、彼女の確固たるその態度が、全てが事実だと思ってしまう。


 これも僕が彼女の手によって蘇った屍人だから?


 いや、違う。僕に記憶がないからだ。何を信じるべきか、どう行動するか、その指針を委ねるに足る過去の積み重ねが。


「…ネクロマンサーの基準はよく分からないけど、その噂だって多分、わざわざ桜織高校の生徒ばかりに標的を集中していなければ、なかっただろうに」


 僕は投げやりになりそうになった思考をグッと留めて、再び回転させる。僕には信じるべき、自己の芯はないが、それでも思考停止してはならない。


 受け取った言葉を自分の中で咀嚼できなければ、それこそ僕はただの人形となってしまう。


 だから僕は歩くミコについていきながら、彼女から渡されたリスト用紙を眺めて、思いついたことを吐露した。


「まぁ、考えられる可能性としては、調達がしやすいということだろうな。ターゲットがこの学校の関係者であるなら、身を置いているこの学校内の人間を当たっていくのが何かと都合も効率も良いはずだ」


「そんな理由で…何がしたいんだ?」


「愚問だな。ネクロマンサーの究極の目的は”死者を完全な形で甦らせること”にある。そのためには試行錯誤の繰り返しであり、必然的に材料も大量に必要となる」


 やけに実感のこもった言葉に、僕はゾッとしつつも、確かに愚問だった。そもそもネクロマンサーとは”死者を生き返らせる”存在なのだから。


 一方で僕はふと疑問に思うことがあった。


「…ミコは、誰かを蘇らせたいとか、思っていたりするのか?」


「当然だ」


 即答だった。しかし僕にとってその肯定は少し意外だ。ミコなら特定の誰かというよりは、人間の魂という深淵に挑み、探究しているかのような、そんなイメージを勝手に抱いていたからだ。


 でもよくよく考えれば、好奇心だけで、同族殺しを敢行しようとするなど、あまりにも狂気的過ぎだ。


 狂気に身を落としてもなお、生き返らせたい誰かがいる。


 ふいに昨日喫茶店で見せた年相応の少女のようなミコの姿が脳裏を過ぎる。死んだ誰かと再び会いたい、その願いの人間らしさによって想起されたのだろうか。


「私はそのためなら、どんな道であろうと、決して止まることなく、進み続ける」


 しかしこの時のミコのその瞳にあったのは、おそらく執念。それは空っぽの僕には想像することすら叶わない、これまで焚べてきた途方のない時が灰となってもなお、激しく燃え続ける炎のようだった。

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