第3話

 式島奏多。

 男。年齢は17歳。

 都立桜織高等学校、普通科2年。

 出席番号は12番。

 趣味はカメラや動画撮影で、特に廃墟やパワースポットの撮影に凝っていたらしい。

 学内での成績は中の下。

 家族構成は妹が1人と両親も共に健在。

 父は出版社で働いており、母は専業主婦。

 妹は近くの中学に通っており、来年受験が始まる。

 交友関係は狭め。日常的に連絡を取るような友人はいない。


 これが、ひとまず夏休みが終わる数日で分かった僕自身のことである。


 正直危うい場面は何度もあったが、まさか記憶喪失になっているとまでは思い至らなかったようだ。まぁ、僕も都合よく自分のことだけ忘れている記憶喪失なんて、フィクションだと思う。


 ともかく僕はこの夏休みを乗り切り、都立桜織高校では新学期が始まろうとしていた。


 僕の通学手段はバスと徒歩である。最寄りのバス停まで歩き、そこからバスで移動、そして学校まで歩く。


 そのバス停に向かう途中だった。


「−−ひとまず式島奏多として溶け込むことはできたようだな」


「うあっ!?」


 完全に不意をつかれたおかげで、僕は両肩を跳ね上がらせた。


「…って、遠藤ミコか」


「数日ぶりだな」


「…その制服、うちの高校のものだったのか」


 目の前に再び現れた遠藤ミコは、出会った頃と同じ黒を基調としたセーラー服姿だ。僕の言葉に、彼女は軽く桜織高校の制服の靡かせてみせた。


「似合うだろう? 今学期からの転入生という体だ。そして、お前をわざわざ蘇らせた理由の1つでもある」


 歩き出した遠藤ミコを追いかけながら、僕は空気を嚥下する。


 自分が通う桜織高校についてネットで調べ、その制服を遠藤ミコが着ていたと分かってから思っていたことだ。


 彼女の目的は自分と同じネクロマンサー達を殺すという狂気に染まったものであり、その協力者として僕−−式島奏多を死から蘇らせたのだ。


 その僕と同じ高校にわざわざ転入という形にしてまで遠藤が潜り込んできたということは、答えは1つしかないだろう。


「まさか…高校にネクロマンサーがいるのか?」


「まだおそらく、という域は出ていないが…私の経験則に従えば、確率は高いな」


「それはつまり、誰かまでは分かってないと…」


「その辺りのすり合わせは、また学校でしよう。今はそれよりも…」


 そう言って遠藤はポリカーボネート製の大きなケースに収められたスマホの画面をこちらに見せてくる。小さい彼女の手も相まってか、掴まれているスマホがやけに大きく見える。


 …と、そんなディテールの感想を巡らせている場合ではないな。提示されたスマホ画面の時刻が、遅刻の気配を薄く漂わせている。


 今朝はやはり少し家を出るの躊躇ってしまった。なにせ今日という日に至るまで、記憶にない式島奏多として過ごすのはそれなりに苦労があった。


 それにもようやく慣れてきたところだというのに、今度は学校だ。分かっている苦労に飛び込むというのは、必要と理解していても躊躇ってしまう。


 結局家を出たのは、予めバスの時間なども計算して、ギリギリの時間だった。


「少し走らないと、バスに遅れる…」


「そういうことだ。ひとまずバス停まで急ぐぞ」


 遠藤が小走りで移動を始め、僕もそれを追いかける。すると遠藤ミコは思い出したかのように振り向き、


「そうそう、私のことはミコと呼んでくれていいぞ。というか、フルネームで呼ぶのは少し不自然だろう」


 僕はそう言われて、先ほどフルネームで彼女のことを何気なく呼んでいたことを思い出す。何故だろう。きっと彼女がネクロマンサーということを知る前から感じていた、どこか常人離れしたような畏怖を抱かせる雰囲気のせいだろうな。


 しかしだからといって、いきなり下の名前というのはどうだろうか?


「…遠藤じゃ、ダメなのか?」


「なんだ、まさか歯痒いなんて言うんじゃないんだろうな?」


「いや、えっと…」


 揶揄うような遠藤ミコの顔に僕は言い淀む。図星であることを認めたくなくて、否定しようとしたものの、そこまで吹っ切れなかった中途半端な返事となってしまった。


 そんな僕を彼女は呆れたように見ながら、


「遠藤というのは、日本の高校に潜り込むために設定した苗字なだけだからな。まだ呼ばれ慣れてない」


 遠藤ミコ−−もといミコは、サッと僕を揶揄う雰囲気を閉ざして、合理的な理由を告げた。


「なるほど…分かったよ」


 僕はそう返事をしつつも、高校に潜り込むだとか、そのために苗字を設定しているだとか、まるでスパイ映画のようなことをしている事実に少し面食らう。


 本当に何者なのだろう…死者を蘇らせることができるネクロマンサーという常識を超越したような存在であることは今更疑いようもないことだが、僕はそれ以外のことを何も知らない。


 今回私立桜織高校に潜入するために遠藤という苗字を設定したということは「ミコ」という部分は本名だということだろうか…いや、単に長く使っているだけということかもしれない。


 僕は先を進んでいくミコの背中を追いかけながら、根拠のない想像ばかりを巡らせた。


 そうしているうちに、バスに乗り、やがて桜織高校に到着する。やはり少しギリギリについてしまった。走らなくても間に合う程度ではあるが、校門を通る生徒の数は少しまばらになってきている。


 既に先を行くミコに倣って、僕も校門を通ろうとしたところで、ふと足が止まってしまった。


 桜織高校については事前にインターネットで調べていて外観も分かっている。その時はいつものようにまるで見覚えのない高校だった。立ち止まってしまったのは、未だにこの記憶喪失がふとした瞬間に治るのではないかと期待してしまったせいだ。


 1年以上通い続けた高校を実際にこの目で見ればあるいは…


 しかし案の定、僕の記憶は全く刺激されない。


「おい、何ボーッとしているんだ」


 ついてこない僕のことに気がついたのか、ミコが少し先から僕に声をかけた。そこで僕は我にかえる。


「悪い」


「…まさかまだ式島奏多の記憶に後ろ髪を引かれているのか?」


「そりゃぁ…そうだろ」


「早々に諦めた方がいい。今のお前の魂は、いわば精巧に外観だけ繕ったレプリカ。中身のないものを、出力することはできない」


 ミコは嘆息した。その呆れた様子に僕としては、甚だ遺憾である。僕だって直感的には理解しているのだ。今だって、実際の高校を見ても、わずかな引っかかりすら感じない。僕が式島奏多であるという自覚は完全に失われている。


「それでも諦めることなんてできないだろ。僕の記憶なんだから」


「はぁ…そうか。まぁ、あるいはその方がいいのかもしれないな。お前の記憶を取り戻す道は、そのまま私の野望に繋がっているのだから」


 野望。その単語には、仄暗い感情が含まれているような気がした。全てのネクロマンサーを殺し、魂の設計図を構築する。そして魂の完全復活の法が確率すれば、僕は式島奏多としての記憶を取り戻すことができる。


 僕はネクロマンサーのことだって何もわからない。故にその人たちを殺すことで魂の完全復活ができるといわれても、当然ピンとはこない。


 むしろ僕にはミコがその妄執に取り憑かれているのではないかとさえ思ってしまうほどだ。


 僕たちは校舎の昇降口に入る。僕は2年の下駄箱だ。クラスは4つある普通科のうちのC組。これは生徒証明書から得た情報だ。僕は目で2ーCの下駄箱を探す。


「−−さて、ここからは一旦別行動だ」


「え?」


 隣にいたミコの言葉に僕は下駄箱を探すのをやめて、視線を隣にいる彼女の頭上まで落とす。


「悪いが私はS科への転入だからな。帰国子女という設定だ」


「…大丈夫なのか?」


 S科というのは商業科のことを指している。クラスがS1とS2の二つに分かれており、これからのグローバル社会におけるビジネスで活躍する人材の育成という名目で設立された学科らしい。普通科とはカリキュラムも異なり、英語やその他第二言語に関する科目が多く導入されている。


 ミコは見た目的には完全に純日本人という感じだが…


「なに、設定といっても海外を旅した経験は実際にある。私はマルチリンガルだ。S科なら無双できるだろう」


 得意げなミコの表情を見て、些細な杞憂であったことを悟る。僕は海外のことについて少し気になったが、ここで長話をしているわけにもいかない。


「すごいな…じゃあ、僕はこのまま教室に行けばいいとして、そっちは転入生なんだよな?」


「あぁ。私は一度職員室に向かう必要があるな。今日は始業式だけだから、詳しい情報のすり合わせはどこかで昼食をとりながらでいいだろう。また連絡する」


 そう言って職員室のある校舎の方に向かうミコを僕は呼び止める。


「ちょっと待ってくれ。連絡って、連絡先なんか交換したっけ?」


「スマホを見てみろ」


 僕はそう言われて、自分のスマホを取り出し、連絡帳を見る。そういえば、ちゃんとスマホの連絡帳を見た記憶がない。


 見覚えのない連絡先が並ぶ中、下の方に「ミコ」という登録名があることに気が付く。


「いつの間に…」


「お前の記憶にはない時だ」


 僕が顔を上げた時には、すでにミコは職員室のある校舎の方に歩き出していた。


 僕の記憶にない時−−つまりは記憶をなくす前ということだ。なにがどうなって、式島奏多はミコと連絡先を交換するようなことになったのだろう。


 今日まで式島奏多として過ごしてきたが、一言で表現するなら「普通」だ。家族にも環境にも特に変わったことがない。そんな式島奏多が普通とはあまりにもかけ離れたネクロマンサーのミコと出会うきっかけとは一体何なのだろうか。


 …思い出せないことを考えていても仕方がない。僕はほんの少しだけ躊躇った後、視線をミコから外し、彼女とは反対側の校舎へと歩き出した。


 桜織高校の校舎は3階建で、上階から1年2年3年と教室が配置されている。つまり2年の教室は2階だ。


 教室に向かう僕は、何となく先程確認したスマホの連絡帳に視線を落としていた。というのも、意外と連絡先が多くてびっくりしていたのだ。


 夏休み中友人との交流がなかったので、てっきり学校ではぼっちかと思っていたが、連絡帳を見る限り、学校ではそれなりに交流を持っていたということだろうか。それにしたって夏休みの間に誰とも連絡を取らないあたり、浅い付き合いだったのだろう。


 まぁ、趣味が心霊スポット巡りとなれば、付き合ってくれる友達もいないのは納得のいく話だが。


 そう思いつつ、クラスの中でどう立ち回るべきか悩んでいるうちに、教室にたどり着く。引き戸に手をかけたところで、これまで自覚しなように努めていた緊張が湧き上がってくる。


 家族にだってバレなかった。だから大丈夫、問題はない。


 僕は改めて自分に言い聞かせ、深呼吸を一つ挟んだ後、控えめに引き戸を開いた。引き戸によって遮られていた喧騒の波が一気に押し寄せてくるように大きくなった。


 できるだけ身体を縮こませて入室するものの、僕が入った瞬間に教室が静まりかえるだとか、みんなの視線が一気に集まるだとか、そんな状況にはならなかった。よくよく考えてみれば、当たり前なのだが。


 さて教室に入ったところで、最初の試練。自分の席が分からない。


 僕はゆっくり教室の後ろのロッカーに沿って歩きながら、真ん中あたりで立ち止まって、不審に思われないように注意を払いつつ、教室を見渡す。


 僕が時間ギリギリに入ってきたからか、教室にはほとんどのクラスメイトが揃っている。時計を見てみると、残り5分もない内に予鈴が鳴る時間だ。僕の中に若干の焦りが生まれてくる。5分前でもクラスメイトの多くが席を立っていて、自分の席の場所が全く特定できない。


「夏休み前ぶりね、式島くん。どうしたの? そんな不審者みたいにキョロキョロして」


 不審には思われないように注意していたつもりが、後ろから不意にかけられた声の主にはどうやら意味がなかったらしい。


「お、おはよう…ございます?」


「何その挨拶。どうやら頭の中はすっかり夏休みのようね。満喫していて何よりだわ」


 振り返ると、僕に声をかけてきたのは大きく薄い丸メガネと、肩まで伸ばした少し明るめの髪色をした女子生徒だった。もちろん名前は思い出せない。ただここまで皮肉めいたことを言われるとなると、そこそこ交流があった人物ということだろうか。


 とはいえクラス内での自分の立ち位置や、交友関係について分からない僕にとっては渡りに船だ。それにしても、いきなり女子に声をかけられるとは思わなかったが。意外と隅におけないやつだったのかもしれない。


「…それで、どうしたの? 忘れ物?」


「いや…えっと、その夏休みが長かったからか、自分の席がどこだか忘れちゃって…」


「あぁ〜、あるわよね、そういうこと。式島くんの席はあそこよ」


 女子生徒は迷わず窓際の真ん中あたりの空席を指差した。


「…よく人の席まで覚えてるな」


「私、記憶力はいい方なのよ? 知っているでしょ」


 さも当然の如く言われて、記憶喪失の僕としては大変羨ましい限りだ。


「そういば…そうだったな。ごめん、ありがとう」


「どういたしまして…っと、もうすぐ予鈴が鳴るわね。体育館にはこの後、私が全員の点呼を取ってから向かうから、ちゃんと席で待っていてね。それじゃ」


 そう言って女子生徒は颯爽と去っていく。その姿を追ってみると、彼女は色々なクラスメイト、それこそ男女問わず声をかけ回っているようだ。


 なんだ。僕と彼女が特別な間柄というよりは、彼女が分け隔てなく人と接する人格者というだけだったらしい。


 ともかく一つ難関はクリアした。僕は安堵しながら、教えてもらった席につく。そうして間も無く、予鈴が鳴った。


 バラバラに散っていた生徒たちがそれぞれ席についていく。しかし1人、席ではなく教壇に向かう人物−−先ほどの女子生徒だ。胸に名簿のようなものを抱えている。


 そういえば点呼を取るって言ってたな…教員が入ってくる気配がないところをみると、これがこの学校の通例ということらしい。


 とすると、教壇に立つあの女子生徒は、このクラスの代表者−−委員長的な存在なのかもしれない。


「それでは、点呼をとった後、廊下に整列して体育館に向かいます」


 女子生徒はそう前置きをした後、クラスメイト達の名前を呼んでいく。クラスメイトの記憶がない僕にとっては、またとない機会だ。僕はメモ帳を取り出し、クラスメイトの名前を書きながら、顔と名前を繋げて記憶していく。


 しかし教室には2つの空席があった。どちらが名前の人物のかは分からなかったが、欠席しているのは工藤梨花(くどう りか)と岸谷海音(きしたに みお)というどちらも女子である。


 教壇に立つ委員長が欠席理由をクラスメイトたちに尋ねるが、返ってくることはなかった。まぁ、今日は始業式だけということだし、休んでしまいたい気持ちはなんとなく分かる。


 委員長は返ってこない反応に少し考え込むような素振りをした後、点呼を続けた。彼女自身の名前は出ることはなかったが、後で名簿を見れば消去法で分かるだろう。


 点呼が終わった後、委員長は教室の引き戸を開けて、廊下の向こう側、回廊状になっている校舎の対面側を見た。


「今、A組が体育館に向かったところのようね。私たちはB組が出発したら廊下に整列して体育館に向かいます。それまで待機!」


 最後に手をパンっと鳴らすと同時に、クラス内の空気が弛緩し、生徒は各々好きな行動をし始める。僕はクラスメイトの名前を書いたメモを片付けながら、なんとなく教壇から移動する委員長の姿を追った。


 委員長は少し目立つ女子グループの方にまっすぐ向かっていっていた。そこで何やら話しているようだが、その内容までは喧騒に潰されて聞こえてはこない。


 それよりも僕は教壇に置かれたままの名簿の方が気になった。席を立ち、教壇の方に移動する。委員長の名前は…水無川碧波(みなしがわ あおば)だな。


「−−そろそろ廊下に整列するわよ!」


 喧騒の中で水無川の大きな声が聞こえてきた。僕は名簿を閉じ、クラスメイトたちの移動の流れに沿って、廊下へと向かった。

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Necromancer's Mother Print(ネクロマンサーズ マザー プリント) 日陰 @Hinata-hikage

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