第2話
結局のところ、僕は血が流れなくなるまで血を流しても、死ぬどころか意識さえ失わなかった。
「どうなってるんだよ…これ」
「だから言っただろう? 今のお前は全てが仮初なのだとね」
仮初。もう死んでいる身体。そして、死人を蘇らせるネクロマンサー。
深く刺された傷から流れる血が全て流れてもなお、僕の身体は動いた。痛みはすでに引いている。ひとまず上半身だけを起こした。
先ほどまでの激痛の渦に全ての気力を削がれてしまったせいか、驚愕の気持ちが表に出ず、ただ放心状態になっている。
「それにただ死なないだけじゃないぞ…ほら」
まだ何かあるのか…力なく放心していた僕は、少し目線を上げた。遠藤の視線の先を追うように動かしていくと、再び視線は下がり、僕が流したであろう大量の血が視界に映る。
「−−うわっ!?」
間も無くして、僕が流した血は、みるみるうちに揮発して赤い霧となっていく。そしてそれらが僕のお腹に空いた深い刺し傷の中に吸い込まれていき、やがて僕の傷は完全に塞がった。
血が巡り出したのか、僕の肌は真っ青から赤みがかかっていき、体温の上昇も感じる。
まるで、生きているみたいに。
言葉は出なかった。自分の身に起こっていることなのにまるで信じられず、僕は刺された箇所を何度も確かめる。傷はない。服についた血も綺麗に無くなっている。ただ、制服の刺された箇所が破け綻んでいるだけ。
「まぁ、安心しろ。この私が術を施したのだから、今みたいなよほどのことがない限り、普通の人間と見分けはつかんだろうさ」
「…どうして」
「ん? 何か言ったか?」
「どうして、こんな風にしたんだ」
もし目の前の少女にしか見えない遠藤の言葉が全て本当だとして、つまり僕は一度死んで、彼女が蘇らせたということだ。
「そんなことを聞いてどうする?」
「どうするって…」
「お前には記憶がないんだ。聞いても仕方がないだろう」
僕はその言葉に反論することができなかった。確かに記憶のない僕が、何を聞いたって、それを受け入れられるかどうかは微妙なところだ。
「…ならどうして記憶も戻さなかったんだよ」
思わず不服がこぼれた。僕に目覚める以前の記憶があれば、多分もっと現状を受け入れられたかもしれないし、そうすればあるいは腹を刺されることもなかったかもしれない。
そう思うと、もしかすると自分は受ける必要のない苦痛を受けたことになるのではないだろうか。
しかし僕の不服に、遠藤は呆れたようにため息を吐いた。
「死者は蘇らない」
「…は?」
「死んだ人間は決して生き返ったりしない。そんなことは世の常識だろう」
「いやいや、だって現に僕は生き返ったんだろう?」
「生き返ったのではない。あくまでもそう見えるように再現した、だよ」
僕は首を捻った。何が違うというのだろうか。死んで、それがこうして動ける身体と思考を持ち、死ねぬ身体となった。
死んだ人間は生き返らない−−確かにそれはこの世の常識であり、絶対だった。それを覆したのは、紛れもない目の前にいる少女だ。
「どれだけ精巧に再現したところで、在るべき魂がなければどこまでいっても再現なのさ」
遠藤はふと目を細めて言った。そして僕と目が合うと、それを隠すようにして海の先を見つめる。
「じゃあ僕は…いや、だから仮初なのか」
今の僕は、本来在るべき魂ではない−−式島奏多の魂じゃない。だから、仮初。
「なんだ、ちゃんと考える頭はあるようだな。私としたことが、術式に見落としがあったのかと思ったぞ」
「う、うるさいな。さっきまでは色々混乱していたんだ。それよりも、魂が違うから僕には前の僕の記憶がないったことなのか?」
僕はこれまでの話を繋げ、解釈として構築させる。
僕には式島奏多としての記憶と自覚はないが、多分一般常識的な理解はある。その観点からも今のこの状況はとても常識の範疇にあるものではなく、故に自分の理解は果たして正しいものなのか。
先ほどのからかうような嘲笑が若干脳裏に過るが、遠藤の反応は何故か少しつまらなさそうに唇を尖らせている。
「厳密にいえばそうとも言えないが、概ねその通りだ。いわゆるお前のアイデンティティにまつわる情報は、本来魂の内部に含まれているものだからな」
「じゃあ、魂が元に戻らない限り、僕の記憶は無くなったままなのか…」
「そうだな」
「ちなみに…僕の魂は元に戻るのか?」
それは半ばダメ元の質問だった。現に記憶のない、仮初の僕がここにいる時点でその回答は出ているみたいなものだが。
「…魂とは最も神聖で、神秘的な人智及ばぬ物質。それを完全に復元するというのは、すなわち神に挑むようなものだ」
確かに魂の復元なんて、神様の所業ともいえる。ただどうしてわざわざそんな迂遠な言い回しをするのだろう。
「えっと、それはつまり…できないってことか?」
「少なくとも今は、だ。魂の復元…神へ挑むに等しきその業を成し遂げることこそ、ネクロマンサーの命題であり、つまり存在理由といえる。私も、そうだ」
遠藤の語気が若干強まったような気がしたのは、気のせいだろうか。
でも絶対に不可能ではないということなのだろう。それなら、希望は残されている。
「だったら、僕の記憶もいつか、戻るかもしれないんだな」
「そんな簡単な話じゃない。なにせ私も、もう何千年と挑み続けているが、未だ成し遂げられないのだからな」
「は?」
「驚いたか? 今の私は身体の時間を止めているのだよ。私のもう一つの極地さ」
僕は硬直した。彼女の言葉のスケールがすぐには実感という形で頭の中には入ってこなかったからだ。
冗談を言っているようには見えない。それに今の自分の身に起こっていることや、まるで老齢の学者と話しているような理路整然とした印象ーー確かに創作の中ではありがちと言える。
「一体、何歳−−」
「【黙れ】女性に年齢を聞くものではないぞ」
僕の口は途中で無理やり閉ざされてしまった。いや、先に言ってきたのだそっちだろう。あとその強制は理念に反するんじゃなかったのか。
「まぁ、見た目通りの年齢ではないことだけは確かだ。もっと敬ってくれても良いんだぞ?」
遠藤は平らな胸を張る。同時に僕の中にあった、縛られる感覚がなくなった。
「…それはともかく、何千年かけても無理なら、僕はもう結局このままということなのか?」
僕は胸をはる遠藤を見て見ぬふりをして、話を戻す。降って湧いてきた希望だったが、そのあまりの淡さに少し落胆の色が僕の声には混ざっていた。
「これまで魂の完全復元が成されなかったのは、一つ致命的に足りないものがあったからだ」
「足りないもの?」
「…設計図さ。あぁ、これはあくまで例えだがね。実際に魂の作り方なんて書かれた用紙なり石板なりがどこかにあるわけじゃない。だが、神が作り出したものを人間が再現するのに、正しい設計図もなしというのはあまりに無謀で傲慢だとは思わないか?」
いまいち実感には乏しいものの、多分ごもっとも、というべきなのだろう。でも−−
「そんなものがないからこそ、何千年も不可能だったんじゃ…」
「その通りだ。だが、なければ作ればいい」
断言すして不敵に笑う遠藤に、僕はまた否定の言葉を告げそうになる。だってそれはもはや卵か先かニワトリが先かみたいな話になるではないか。
「…そんなこと、できるのか?」
「ここしばらくはそのための研究をずっと行ってきた。そしてその途中経過…いや、副産物という方が正しいか。それが、今のお前だ」
遠藤は、先ほど僕を刺した腹を指差す。
「仮初の魂…」
「そう。だが今の私にはこれが限界。今のままでは決してこれ以上の成果は臨めない」
「…は?」
あっさりとした望みのない断言に、僕は呆気に取られる。僕からしてみれば、もうあと一歩のような気がするが…
「さて、ここで問題だ。魂という物質のことは、記録も記憶もできない。しかし私は仮初とはいえ、このように魂を復元する術法を再現することができている。それはなぜか」
人差し指をピンと立てて、ミコは問いかける。しかし僕にその答えがわかるわけもなく、それどころか問いかけている内容すら、言葉遊びのようにしか感じない。
「それは魂に関する術法は、術師の魂そのものに刻まれるからだ。つまり、私のこれまでの研究は、私の中でののみ概念として記録されている」
「な、なるほど…?」
僕は首を傾げつつも、なんとか理解の姿勢を示す。要は、彼女の中でのみ、情報は蓄えられているということだろう。
「しかし所詮人間の魂では、神の奇跡の全てを刻むことはできない。容量不足なんだよ。つまり人1人で挑むにはあまりにも無謀だったんだ」
さらにそう言って、遠藤は肩を竦めた。ただその態度に諦めのようなものはない。
「私にできたのは、せいぜいこの魂に刻まれた神の御業の一端を再現することくらい…だがそれは、いわば私の魂は母なる神が創造した魂という物質の設計図の一部分になり得るのではないかと考えた」
「…つまり、どういうこと?」
だめだ。そろそろ頭の容量のキャパを超えそうだ。
「ネクロマンサーは私1人じゃない。この世界には、私とは別の概念を魂に刻んだ者がいる。それもまた魂の設計図の一部であり、それを一つに集約すれば、魂の設計図は完成する」
その時の遠藤の笑みは、挑戦的であるようにも見えるし、酷く冷めているようにも見えた。
潮風が肌に触れ、じっとりとした嫌な予感がした。その続きを聞いてはならない。理解が及んでいないのに、頭の中ではそう警鐘が鳴っている。
でも僕の意識は遠藤の人外的な雰囲気に呑み込まれて、耳を塞ぐことはできなかった。
「−−だから殺してその叡智を奪う。私と同じように、魂の設計図の一端となった他のネクロマンサーを、全員な」
その瞳は、ただただ狂気に渦巻いていた。
◇====◇ ====◇ ====◇ ====◇
この世界にいるネクロマンサーを殺し、その魂を奪うことで、魂の設計図を完成させ、死者の完全復活させる術法を会得する。
それがネクロマンサー遠藤ミコの目的。
そして死んでいた僕を呼び起こしたのは、それを手伝わせるため丁度良い駒になりそうだったから、ということらしい。
嫌だ−−という僕の意思なんて関係はなかった。何せ彼女はその気になれば強制的に僕を従わせることができるのだから。
これから誰かを殺す片棒を担ぐことになる、そう思うと何よりまず怖いという感情に塗れた。
しかしその日遠藤に僕が言い渡されたのは「家に帰れ」だった。とりあえず夏休みが終わるまで、目立たないように大人しくしていろ、とのことだ。
僕−−式島奏多は、どうやら夏休みを利用して遠出をしていたらしい。リュックの中を見れば、カメラなどが入っていたので、もしかすると写真撮影なんかが趣味なのかもしれない。
「−−ここが僕の、式島奏多の家か」
身分証明証に記載されていた実家の住所までは、電車と徒歩で難なくたどり着くことができた。
ステンレスの表札には「式島」と記載されている。珍しい苗字だし、ここで間違いないはずだ。
ところが僕にはまるで見覚えがない。これも式島奏多のアイデンティティに関わることだからだろうか。
地図アプリでの表示にも、表札にも間違いはない。それなのにドアの取手を握る手は緊張で硬直していた。鍵はどうやら開いているようだ。それにしてもここで間違いはないと分かっていても、全く身に覚えのない家に入るというのは、悪いことをしている気分になってしまう。
「…た、ただいま〜?」
それでも意を決してドアを開け、僕は玄関に足を踏み入れる。
時刻は昼前だ。玄関から続く廊下の先からは、テレビの音と部屋扉の磨りガラスから明かりが見える。
「…あれ、兄じゃん。もう帰ってきたの?」
「あ、あぁ…」
リビングに入った僕に気がついて声をかけてきたのは、ソファに寝転びながらスマホを触っている少女。僕のことを「兄」と呼ぶことから、おそらく妹ということなのだろう。
顔立ちはどことなく僕と同じ雰囲気がある。そこから見ても確かに妹なのだろうが、僕にはまるで見覚えがない。
しかしふと妹がスマホから僕に視線を向けても、すぐにまたスマホの画面に戻す。僕にしてみれば居心地の悪いことこの上ないが、僕は確かにこの家に住んでいたみたいだ。
「…なに?突っ立ったままキョロキョロして」
「あ、えっと…」
何も知らない場所と人に、自然お受け入れらているという状況に困惑していると、再びスマホから目を離した妹に突っ込まれてしまう。
何か返答をしなければと思いつつ、しかし僕は妹のことを覚えていないので、名前や普段どう呼んでいるのかも分からず、言葉は喉元に引っかかってしまう。
「まさか、心霊スポットに行きすぎて、変なものでも見えちゃってるとか?」
「え? 僕って心霊スポットに行ってたのか?」
僕は思わず素で聞き返してしまっていた。確か僕が目覚めたのは綺麗な朝焼けに包まれた砂浜だった。まさかあそこが心霊すぽっとというわけではないだろう。ということは、僕は移動していて、記憶を失ったということか。
いや待てよ? あるいは僕が記憶を失ったのは心霊現象の一つなのかもしれない。
と考えを巡らせたところで、僕は被りを被りを振る。僕は身をもって体感したじゃないか。この身が死ねぬ身体になったことを。
よくよく考えてみれば、記憶喪失との因果がそれで証明されたわけではないが、少なくともこの身に起こったことが事実である以上、僕はあの少女ーー遠藤の言葉を信じる他ない。
「−−ちょっと何それぇ。もしかして、変なものに取り憑かれてたりしない?」
「じょ、冗談だよ」
「ちょっとあんまりトワに近づかないでよね。移っちゃったら大変だから」
どうやら妹の中で幽霊は風邪とかと同列らしい。
それより妹は「トワ」という名前なのか。やっぱりピンとはこない。
「…それより、母さんは?」
「ちょうど出かけたよ〜。もうすぐ帰ってくるんじゃない?」
トワは既に僕から関心を無くしたのか。ソファで再びスマホを弄り始める。
何となく記憶喪失であることを打ち明けそびれてしまったが、遠藤の目立つなという意向を守るなら、このまま隠し続けた方がいいか。
前途多難だな…
僕は天井を何となく見上げる。夏休みの終わりも迫ってきている。ひとまず僕がやるべきは、自分自身のことを知っていくことだ。
せめて家族には怪しまれないようにはしないとな。
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