第7話 俺、何にもできないじゃん。
「さて…、と」
じーちゃんの仏壇の花を取り替えた後、俺はぬか漬けの入った瓶の前で途方に暮れていた。
「ぬか漬け…ぬか床混ぜるってどういう意味だ?」
『この茄子はもう収穫しないと駄目になる、このプチトマトも、あっちのキュウリも食べ頃だ』と、音無さんに言われるがままに、何故か畑の野菜を収穫する羽目になったつい先程の出来事を思い出す。
野菜の食べ方云々についてまた話が始まってしまいそうだったので、『ぬか漬けにでもして食べます!』と言って慌てて逃げて来たのだが、その時音無さんが『ちゃんと毎日ぬか床混ぜるのよー!』と言っていたのだ。
「…ネットで調べるか」
スマホの画面を開くと、ネットのゲーム仲間からの連絡が結構な数届いていた事にようやく気付く。
「やべ、そういえば昨日ログインしてなかったわ。ボス戦も参加出来なかったし」
俺には、毎日の様に連絡を取り合っているネット上の友達が何人かいる。
中学で不登校になってからやり込んでいたオンラインゲームの同じギルドの仲間で、一緒にクエストをこなしている内に意気投合したのだ。
毎日ログインして、欠かさずボス戦にも出ている俺が何の連絡もなく参加しなかったから心配してくれているのだろう。
慌ててゲームアプリを開いて確認すると、馴染みのメンバーが何人かオンラインになっていた。
「心配かけてごめん! ちょっと家の用事でゴタゴタしてた」
「あっ! トーゴ来た!」
「皆勤少年がいないとか心配したわ。今はもう大丈夫なん?」
「夜のボス戦は来れるー?」
夜のボス戦か……21時からだし、多分大丈夫だよな。
「うーん、なんか慣れない事してるからまだしばらくはバタバタしそう。でも夜のボス戦は行くから!」
「慣れない事?」
「何々? ついにトーゴ新しい事でも始める気になったの?」
「新しい事っていうかばーちゃん家の留守番する事になった。俺、家事とか全然してなかったから何から始めたらいいのか前途多難」
「おばあさん大丈夫? 入院でもしちゃったとか? あ、それとも旅行か何か?」
………
ちょっとイタズラ心が湧いたのと、みんなのリアクションが知りたくてこんな風に書き込んでみる。
「異世界召喚されて、聖女様になってるっぽい」
「ウケるwww」
「異世界物は定番だけど、おばあちゃん召喚されるとか斬新が過ぎるだろ」
「ばーちゃん元気だな!」
当たり前だが誰一人本気にしてくれない。
まぁ、そりゃそうだよなー。
なんて思いながら顔を上げるとぬか漬けの瓶が目に入った。
おっと、そうだった。こっちを何とかしないと。
「なぁ誰か、ぬか床混ぜるってどうすればいいか分かる?」
ついでなので、駄目もとで聞いてみる。
「なんで急にぬか床w」
「やべ、未知との遭遇」
「夏休みの自由研究でつか?」
……まぁそうなるよな。
「私、分かるよ!」
完全に聞く場所間違えたな、と俺が諦めようとした時、意外な返事が来た。
返信してくれたのはソナさん。
都内の大学に通う女子大生で、ギルドのアイドル的存在だ。
「初めてだとちょっと躊躇するかもだけど、ぬか床の上下を入れ替えるような気持ちで思い切って手を突っ込んで混ぜちゃって大丈夫。ちゃんと全体が混ざる様に、左右に分けて混ぜるとやりやすいよ。しっかり混ぜたら、最後に空気を抜く感じで表面を押さえて平らにならしてね」
「ソナちゃん詳しい!!」
「大和撫子は実在したのか」
「結婚して下さい」
クランのみんながソナさんを囲んでやんややんやと盛り上がっている。
気持ちは分かる。俺もソナさんなら嫁に欲しい。
……女の子苦手だけど。
「ありがとう! やってみるよ」
俺は一旦ゲームアプリから抜けると、いそいそと手を洗い、えいやっとばかりにぬか床に手を突っ込んだ。
ばーちゃんが漬けてある野菜を引っ張り出したことはあるけど、こんなに思いっきり手を突っ込むのははじめてだ。
ぬか床は、思ったよりフカフカしていて、でもしっとりしていて不思議な感触がする。
……なんかちょっと、癖になりそう。
ソナさんに教えて貰った通りにしっかり混ぜた後、茄子とキュウリをぬか床に埋めて、残ったプチトマトをはたと見た。プチトマトはぬか漬けになるのだろうか?
「プチトマトって、ぬか漬けに出来るのかな?」
再びアプリを起動してスマホに文字を打ち込むと、直ぐにソナさんから返事が返って来た。
「出来るよ! 私はよくチーズも一緒に漬けちゃうんだけど、これがまたおつまみにもなって美味しいんだなー」
おおっ! 何だか急にぬか漬けがオシャレな感じに思えて来た!! さすがソナさん!
俺は未成年だから勿論お酒は飲めないけど、姉ちゃんが喜びそうな気がする。確か冷蔵庫にチーズもあったし、プチトマトと一緒に漬けてみよう。
冷蔵庫をゴソゴソ漁っていると、チーズはすぐに見つかったものの、他にも沢山のタッパーが入っている事に改めて気が付いた。
きんぴらやひじきの煮付け等、そのまま食べられる惣菜系はありがたく頂くとして、この水に浸かったキノコや、謎の葉っぱはどうすればいいんだ……?
俺の自炊力ではどうにもならなさそうな物はさておき、これだけあればご飯と味噌汁があれば立派な夕飯になりそうだ。
姉ちゃんが何時に帰って来るかは分からないけど、とりあえずボス戦までに米を炊いておこう。さすがの俺も米位は炊けるのだ!
◇ ◇ ◇
……と、思っていた頃が俺にもありました。
「嘘だろ。炊飯器が無い……だと?」
台所のどこを探しても炊飯器が見当たらないのだ。あるのは炊事台にドーンと鎮座した土鍋だけ。
いやいやいや、昭和初期かよ!?
確かにばーちゃんが土鍋で米を炊いていたのは知っている。
小さい頃はよく土鍋で米を炊くばーちゃんの横にくっついて、鍋の蓋がカタカタ揺れるのを眺めていたものだ。
お焦げの部分が特に美味しくて、炊き立てご飯で握ってくれるおにぎりに、お焦げをいっぱい入れてくれ! とねだっていたのが懐かしい。
あの頃は、何でも作れるばーちゃんのしわくちゃな手が、絵本に出て来る魔法使いのお婆さんの手に似ていて、ばーちゃんは本当に魔法が使えるんじゃないか、なんて本気で思っていた。
……今頃は本当に本物の魔法をぶっ放しているかもしれないけど。
たまに土鍋を使うけど、何と言うかそれはイベント的な扱いで、普段は当然炊飯器を使っているのだと思っていた。
まさかばーちゃんが普段から土鍋で米を炊いていたとは、これは俺の家事スキルではどうにもならない。
「……よし! パックご飯を買いに行こう」
そうして俺は、自転車を飛ばして近所のスーパーへ行き、パックのご飯とインスタントの味噌汁を買って来た。
米を炊くのと同様、味噌汁くらいは自分で作れるだろうとたかを括っていたのだがとんでもなかった。
ばーちゃん家の台所にあったのは、ばーちゃん特製の手作り味噌にやたらデカい昆布。煮干しらしき物はあったが、明らかに俺が知っている煮干しとは魚の種類が違う。
これは最早俺が太刀打ちできるレベルでは無いと全てを諦めた。
ばーちゃん家が多少特殊な環境なのは確かだろうが、それにしたってご飯と味噌汁さえ作れない自分にがっかりだ。
『無理に学校行けとはばあちゃんも言わんよ。じゃったらせめて家の事はせんば』
ばーちゃんの言葉が耳に蘇る。
「……ごめん、ばーちゃん。確かに俺、甘えてたみたい」
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