第6話 前途多難なご近所付き合い

 次の日の朝、目が覚めたら姉ちゃんはもう会社に行った後だった。


 起きて見送りぐらいすれば良かったかな、と思いながらノロノロと布団から這い出す。

 もう日は随分と高い。


 食卓の上には、おにぎりと卵焼きが置いてあった。


姉ちゃんが俺の分も作ってくれたのか…。


 ばーちゃん特製の酸っぱい梅干し入りのおにぎりに、ほんのり甘い卵焼き。


 そういえば昔、ばーちゃんと別々に暮らし始めてすぐの頃。

 珍しく子供達だけの留守番で、寂しくてお腹がすいてぐずぐず泣いてる俺に、姉ちゃんが卵焼きを焼いてくれた事があった。

 ほんのり甘い卵焼きは、少しだけ焦げてたけどすげー美味かったのをよく覚えている。


 ……姉ちゃんとあんなに話したのも随分久しぶりだな。


 本来なら多少の気まずさ位ありそうなものだが、状況が状況なだけに気が付けば普通に話していた。


 何だかんだ姉ちゃんも優しいんだよなー。


 その優しさが嬉しい癖に、少し居心地の悪さも感じてしまう。

 自分が周りから与えて貰っている物と、自分の今の状況とが釣り合っていないからだ。


 俺はみんなに何も返せていないどころか、迷惑ばかりかけているという自覚はある。

 ばーちゃんのお叱言が無いと何だかバランスが取れない自分に苦笑した。


『明日も、今日と同じ時間に電話がかかって来るって事だよね。私もまたこっち来るから! 出来るだけ早く帰るからね!』


 昨日、寝る前にそう言っていた姉ちゃんの言葉を思い出す。


 あれから姉ちゃんと、『ばーちゃんは本当に異世界に行ったのか』とあれこれ話し合ったけど、当然答えが出る訳も無く。


 とりあえず電話のばーちゃんは元気そうだったし、今日また連絡があるのを待つしか無いという結論に至った。


「……となると、俺がする事って特に無いよなぁ……」


 こんな異常事態に巻き込まれたっていうのに、昼近くまで寝過ごして、人様が作ってくれた飯を食い、ダラダラしている自分に心底嫌気がさす。

 ゴロリと寝返りを打つと、ふと昨日ばーちゃんが『ばーちゃんの代わりをしろ』と言っていたのを思い出した。


 ばーちゃんの代わり……とりあえず、じーちゃんの仏壇のお参りとか?


 仏壇には既に朝のお参りをした形跡があった。

 姉ちゃんだな……と思いながら、俺も線香に火をつけてじーちゃんに挨拶する。


 流石に花を替える時間は無かったみたいで昨日のままだったので、庭の花でもとって来ようと園芸用の鋏を手に庭に出た。



『ミーンミンミンミンミンミーン』


 外に出た途端、蝉の鳴き声と夏の日差しが容赦なく襲ってくる。


「やべっ、これ畑に水とかやった方がいいよな?」


 昨日も水やりなんてしていなかった事を思い出し、慌ててホースを引っ張り出していると隣のおばちゃんに声を掛けられた。


「あらあらあら、ちょっと待って透吾君。こんなに暑くなってから水やりなんてしたら、かえって枯れちゃうわよ?」

「え? あ、そう……なんですか?」

「そうよぉー、水があったまって土の中が蒸れちゃうでしょ?夏の水やりは、夕方かもっと朝早くに、ね」

「あー……知らなかった、です。ども」


 人と話をするのは苦手だ。

 ボソボソと何とか返事をしてそのまま家に逃げ込みたかったのだが、おばちゃんのお喋りは止まらない。


「昨日、おばあちゃんを見てないかって聞いてたでしょう? あれから家族にも確認したんだけど、やっぱりみんな最後に高森さん見たのは先一昨日だって! おばあちゃんどうしたの? いなくなっちゃったの?」

「あ、いや……その。ちょっと連絡が取れなかっただけで……」

「変だなとは思ってたのよ! 畑に水もやってないみたいだし、トラはお腹空かせてミャーミャー言ってるし」

「……トラ?」

「そうそう、畑の水は心配しなくても、昨日の夜ついでにうちのお父さんがそっちの畑にも撒いといたって。あ、いーのいーの気にしないで! この辺はみんなそんな感じで助け合いだから!」


 圧倒されて頷く事しか出来ない俺に構う事なくおばちゃんは喋り倒す。


「だからね、畑の事なんかは心配しなくていいんだけど、おばあちゃんに何かあったらいけないからね、心配してたのよ。一昨日から洗濯物も干して無かったでしょ? いつもはそんな事無いから!」


 ーー洗濯物の有無まで把握されてるとは、恐るべしご近所ネットワーク。


「透吾君が来てくれて一安心だわ! ……で、高森さんはどうしたの?」

「あーその、急な用事で知り合いの所へ行ったみたいで。その間、俺が、家とか、任された……的な」

「あらそうなの! 偉いわねー、透吾君。若いのによくおばあちゃんの所にも来てるし、おばあちゃん孝行ねー」


 背中にダラダラと流れていく汗を感じながら、ジリジリと後ろに下がって行く。


 え? これどうやって話切り上げたらいいんだ?


「じゃあしばらくは透吾君がお隣にいるのね。高森さんいつ頃戻るのかしら?」

「……ちょっとまだ……予定が……」


そんなのこっちが聞きたいよ。

というか、そろそろ俺を解放してくれー!!


「ところで、透吾君。今朝早くにここから出かけて行った美人さんは誰かしらー? 駄目よ、おばあちゃんいない間に彼女連れ込んだりしたら!」

「……姉、です」

「え!? あらやだ美咲ちゃん!? まぁーしばらく見ない内にすっかり大人になってて分からなかったわぁ! それなら声かければ良かった!」

「……あは、あははは……」


 その後、ゆうに30分は話し込まれ、俺はじーちゃんのお仏壇用の花の他にも茄子やらきゅうりやらプチトマトやら庭に生えていた野菜を両手に抱えてフラフラと家の中に戻って来た。


 圧が…圧が凄い!!


 お隣のおばちゃんは推定年齢50代。

 詳しいことは何も知らないが、名前は音無おとなしさんという。


 この日俺は、名は体を表さないという事を知った。


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