第4話 私の弟(side 美咲)

《side 美咲》


「えっ? ばーちゃんがいなくなった!?」


 本来であれば人気ひとけがなくなってもおかしくない22時のオフィスは、電灯が煌々と輝きキーボードを打つカタカタという音がそこかしこから聞こえる。


「高森うるせぇ!! 電話なら外でしろ!」

「はいっ! すみません!!」


 私は慌てて部屋を飛び出すと、給湯室に駆け込んだ。ここなら電話していても邪魔にはならないだろう。


「で、お父さんどういう事? ばーちゃんがいなくなったって」

「昨日、母さんがお盆の件で何回か電話したんだが出なかったようでな。今日透吾に様子を見に行かせたんだが、ばあちゃんの姿が無いんだ」

「そんな…」

「透吾の話だと、お隣が最後にばあちゃんを見たのも一昨日らしい。警察にも一応相談したんだが、あまり当てには出来なさそうだ」


 残念だけど、高齢者とはいえ成人した大人の姿が1日2日見えない位じゃ警察は動いてくれないだろう。


 ……実際、ばーちゃんの行動力たるや私達の想像の斜め上をさらに垂直飛びする位の物なので、ひょっこり帰って来る可能性も十分にある。


 ばーちゃんは行動力の鬼神だ。


「父さんは今、ばあちゃんの家から帰ってる最中なんだが、透吾がどうしても帰らないと言い張ってなぁ……」


 透吾か……あの子は昔からばーちゃんっ子だからな。


 透吾は、今高校一年生の私の弟だ。

 少し歳が離れている事もあり、小さな頃はそれはそれは可愛かった。


 当時お隣には、「かなで」ちゃんという透吾と同じ歳の女の子が住んでいて、2人はいつも私の後をちょこちょこ付いてまわっては、遊んで遊んでとせがんでいたものだ。

 

 私は、透吾はもちろん奏ちゃんの事も可愛くて仕方なくて、本当の妹の様に可愛がっていた。


 しかし小さい頃にはよく一緒に遊んでいた私達も、私が高校生になって学校の勉強や部活が忙しくなったり、透吾も塾通いで忙しくなったりと、段々と一緒に過ごす時間は少なくなっていった。


 その頃には透吾ももう小学校の高学年。


 いつまでも姉と遊んでいる歳でも無いのだろうと深く考えもしなかったのだが、この頃の事を、私は今でも後悔している。


 気が付いた時には、透吾は学校へ通えなくなっていたのだ。


 多分、最初の異変があったのはまさにその頃だと思う。


 透吾は私よりもずっと頭が良くて素直な子供だったので、母の勧めで中学受験をする事になった。

 通っていた塾での成績も順調に伸び、志望校である中堅大学の附属中学校も十分に合格圏内だと言われていた透吾が、急に志望校を変えたいと言い出したのだ。


『桜慶大学附属中学校に行きたいんだ…』


 桜慶大学といえば、泣くも群がる名門大学だ。

 私自身、何度『私のぉ、彼氏がぁ、桜慶出身でぇー』とかいうマウンティングに遭った事か。


 弟が桜慶の附属中学……中々の響きだな。なんて邪なことを思わないでもなかったが、それ以上に透吾がそんな事を言い出したのが意外だった。


 透吾はあまり学校のブランドとか、そういう物にこだわるタイプではないからだ。

 両親がなんで桜慶がいいのかと聞いても、


『何となく格好いいから』

『成績が上がって狙えそうだから』


とか、曖昧な事しか言わない。


 確かに成績が上がればもっと上を目指したくなる物かもしれない、と両親は納得してしまったようなのだが、私には何とも言えない違和感が残った。


 ……ここで、外部の意思の介入を疑うべきだったのだ。



『え? これ、奏ちゃん?』


 ある日、貸していた本を返して貰いに入った透吾の部屋で、見慣れない雑誌が目に付いた。透吾が持つには似合わない小中学生の女の子向けのファッション雑誌。


 何となく気になり、ペラペラとページをめくると、読者モデルのページで小首を傾げて可愛い笑顔を向けているお隣の奏ちゃんを見つけた。


『かなちゃん、キッズモデルの事務所に入ったんだって。お母さんと買い物してたら、スカウトされたって言ってた』


 そう言っていた透吾は、嬉しそうだったろうか。寂しそうだったろうか。


 その頃には、透吾と奏ちゃんが一緒に遊んでいる姿も見かけない様になっていた。


 透吾も塾で忙しそうだし、奏ちゃんもモデルなんて始めたなら、そりゃ忙しいだろう。


 そうでなくても、幼馴染といつまででもずっと仲良くってのは中々に難しい。

 特に男女であれば尚更だ。


『大きくなったら、とうちゃんのお嫁さんになるの!』


 透吾は奏ちゃんの事を『かなちゃん』。

 奏ちゃんは透吾の事を『とうちゃん』と呼んでいた。

 

 はじめ聞いた時は心の中で、「なんかおとっつぁん感がすごい」と、戸惑いを隠しきれなかったのだが、まぁ慣れた。

 奏ちゃん可愛いし。


 そんな奏ちゃんが、いつか本当に私の妹になってくれたらなー、なんて淡い夢を抱いたこともあったけど、いくら私でも子供の頃の話を本気にする程アホではない。


『そっかー、奏ちゃん凄いね! 負けないように、透吾も頑張らないとね!』

『……うん』



 3年前の早春、透吾は見事に桜慶大学附属中学校に合格した。


 そして恥ずかしそうに、だけど確かに言ったのだ。


 かなちゃんと、付き合う事になったと。

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