第5話 バックハグとちょっと修羅場

 家から車を15分ほど走らせたところにある、国道沿いの寂れたショッピングモール。空き店舗も多く若者向けの店はあまり無いが、フードコートやスーパーがあるので地元民にとっては命綱のような存在だ。一つ不満があるとすれば、高確率で知り合いに会うことぐらいか。

 

 そんな田舎のオアシスとも言える場所で俺は今。


 「はーい、じゃあ彼氏さんが彼女さんを後ろから抱きしめる形でポーズお願いします!ラブラブな感じで!」


 「ふむ、バックハグか。じゃあ一志いっし、頼む」

 「…すい、やっぱりやめない?」

 「何言ってる。ここまできて今更引けるわけないだろう」


 人前で翠を抱きしめなければいけないという試練を課されている。

 …なんでこんな事になってるんだ。





 遡る事数時間前。


 フリーターの俺とニートの翠は特にやる事もなく、リビングでダラダラと過ごしていた。

 …改めて字面を見ると色々と酷すぎる。

 まあそれはさておき。

 そんな俺たちに、朝から忙しなく家事をしていた母さんが声を掛けてきた。


 「ねえ、一志、翠ちゃん。悪いんだけどおつかい頼まれてくれない?」

 「おつかい?」

 「そ、晩御飯の材料と、あと日用品。はいこれ買うものリストのメモ。じゃあよろしくね♡」

 感じる…"これぐらいは働け"という圧を。

 母さんは俺たちに買い物メモを押し付けてまた家事に戻っていった。

 まあでも、これくらいは手伝わないと流石に申し訳ない。

 

 翠はメモを見みながら神妙な顔で頷いた。

 「働かざる者食うべからず、と言ったところか。そうだな、とりあえずイ⚫︎ンに行けば買えるだろ。一志、運転頼むぞ」

 「俺は一応働いてるけどな…」

 週2だけだけど。


 と、まあこんな感じでショッピングモールに行く事になったわけだ。

 

 平日だからショッピングモールにはあまり人はいない。この客足なら知り合いにも会わずに済みそうだ。さっさと買い物して帰ろう。


 入り口をまっすぐ歩いたところにあるスーパーに直行しようとした俺の腕を、翠がガッチリとホールドした。


 「一志。せっかく来たんだ、ただおつかいするだけじゃ勿体無いだろう」

 「え、俺はべつに」

 「フードコートにクレープ屋があったよな。行くぞ一志」

 「ええ…」

 翠は俺の意見など聞く耳を持たず、腕を組んだままフードコートへと歩き出した。


 俺を引っ張りながら、ずんずんと擬音が聞こえてきそうに楽しそうに歩いている。どんだけクレープ食いたいんだコイツは…

 クレープは良いとして、せめて腕は解いてほしい。もし知り合いとかに見られたら変な勘違いをされそうだ。

 そんな俺の心配は杞憂に終わり…となればどれだけ良かったことか。

 

 「そこのお兄さんお姉さん!!」

 

 フードコートに向かう途中の通路で、スタッフの男性に声を掛けられて俺たちは立ち止まる。オレンジ色の半被を着て、首からはカメラを提げている。なんだかハッピーそうな人だ。


 「お二人、とっても仲良しですね〜!」

 「はあ…あの、何か…?」

 俺の訝しげな視線に気付いたのか、男は少し焦りながら、

 「今実はカップルの方限定のイベントを行なっておりまして!このモニュメントの前でお二人のお写真を撮らせていただけましたら、お食事無料券を差し上げてるんです!良かったらどうですかね?」

 と、ピンク色の小さなライトで電飾されピカピカ輝いているハート型のモニュメントを指差しながらそう説明した。


 …つまり俺たちはカップルに間違われているということか。そりゃあ、不可抗力とは言え腕を組みながら歩いてたら側から見たらカップルに勘違いされてもおかしくはない。


 「ここに立って貰えれば僕が写真撮るので、さあどうぞ!」

 ノルマでも課されているのか、それともそもそもこの寂れたショッピングモールになかなかカップルなど来ないからか、男は有無を言わせず俺たちに写真を撮らせようとしてくる。


 まあでも彼には悪いが、俺たちはカップルでもないし、こんな恥ずかしいことをさせられる義理もない。ここは断ろう。


 「あーすいません、俺たち…」

 「そのお食事無料券ってのは、クレープ屋で使うことはできるのか?」

 

 俺の言葉を遮って翠は男にそう尋ねた。


 「はい、勿論ですよ!このショッピングモールに入っている店舗なら何処でもお使いいただけます!」

 「クレープ無料券か…」


 まずい、食いついている!!

 コイツは見かけによらず食い意地がすごいのだ。この前焼肉屋に行った時も焼くのが追いつかないくらい大量に頼んでいた。


 「そのモニュメントの前に立って写真を撮るだけで良いんだな?じゃあやろう」

 

 承諾しやがった…!!!コイツに恥はないのか…?あと俺の意思を尊重する気持ちも無いの?泣くよ?


 「ありがとうございます!ではこちらにどうぞ、ポーズはこちらで指定させていただきますね!」


 男にグイグイと押されてハートのモニュメントの前に立たされる。

 な、なんでこんな事に…


 「おい翠!何勝手に決めてるんだ!そもそも俺たちカップルじゃないだろ!」

 「別にこういう賑やかしのイベントに事実かそうじゃないかは重要じゃないだろう」

 「そうかもしれないけどな…」

 コイツはいつも最もらしいことを言うから憎たらしい。


 頭を抱える俺に、翠は顎に手を当てて何か考えた後、こう言った。


 「じゃあ付き合うか、私たち」

 

 「……は?」


 翠があまりにサラッと言い放ったので、俺は思わず言葉を失う。

 告白…なのか?これは。

 だとしてもこんな雑な告白があってたまるかよ…!


 翠は俺の目をじっと見つめる。俺が何か言うのを待っているのだろうか。

 ハートのモニュメントに施されたピンク色の電飾が俺たちを照らしていて、目がチカチカする。これが現実なのか夢なのか、分からなくなりそうだった。


 「…翠、」

 「冗談だよ、何もそんな顔しなくても良いだろ」

 翠はそう言って眉を下げて静かに笑った。


 …俺はどんな顔をしていたのだろうか。


 「じゃあお二人、準備お願いします!」


 スタッフに声を掛けられ我に返る。

 とりあえずもう断れる雰囲気では無いのでさっさと撮影してもらって終わらせよう。


 「一志、髪の毛跳ねてるぞ」

 翠は可笑しそうに目を細めながら、俺の頭をふわりと撫でた。キラキラと光る電飾が、より一層眩しくなったような気がした。

 

 「はーい、じゃあ撮りますね〜。彼氏さんが彼女さんを後ろから抱きしめる形でポーズお願いします!ラブラブな感じで!」

 カメラを構えながらスタッフが言う。


 …なんつーポーズをさせようとしてるんだ。人前でそんなことをするなんて冗談じゃない。


 「ふむ、バックハグか。じゃあ一志、頼む」

 翠も翠で何で普通に受け入れてるんだよ!!やっぱりコイツに恥という概念はないらしい。


 「…翠、やっぱりやめない?」

 「何言ってる。ここまできて今更引けるわけないだろう」

 …ですよね。


 翠は俺に背中を向けてもたれるようにピッタリとくっついてくる。近い。あとは俺が翠に腕を回してハグするだけだ。


 ああ、もうどうにでもなれ!!

 俺は一思いに翠に抱きつく。

 翠は身長が低いから、俺が腰を曲げる形になる。…なんか側から見たらこれ不恰好なんじゃなかろうか。ていうか、容姿だけはめちゃくちゃ良い翠とこんな顔を近づけて写真を撮ったら俺の顔の粗がより目立つような…いや、もう気にするのはやめよう。

 俺は思考停止する事にした。


 「いいですね!ラブラブですね〜!!」

 スタッフがシャッターを切りながら茶々を入れてくる。

 スタッフの声がデカイせいで、通行人になんだなんだとチラチラ見られる。

 くそ、恥ずかしすぎる…!


 顔の前に翠の頭があるせいで髪の毛がふわふわと当たってくすぐったい。しかもなんか、いい匂いがする。同じ家に住んでるはずなのに。


 無駄に心臓が速く動いて、これが吊り橋効果とかいうやつなんだろうかと頭の片隅で考える。


 「はい、OKです、ありがとうございました!良い写真撮れましたよ!」


 や、やっと終わった…


 俺たちはお食事無料券と、プリントアウトされた写真をもらってその場を早々と後にした。

 元々の目的だったフードコートに行って、早速無料券を使ってクレープを買った。


 「酷い目に遭った…」

 「そうか?こうやって無料でクレープを食べれてるんだからお得じゃないか」

 「公共の場であんなことさせられて、失ったものが多すぎる…」

 「一志は繊細だな」

 「お前が図太すぎるだけだよ!」

 疲弊している俺とは裏腹に、翠は無料券で得たクレープを食べながらむしろ生き生きとしている。羨ましい精神力だ。


 「…なあ翠、さっきはごめん」

 「さっき?」

 「その……『付き合うか』って言っただろ。なんか変な空気になっちゃったけど、俺、別に嫌だったわけじゃなくて…」

 途端になんだか気まずい空気が流れて、甘いはずのクレープの味がわからなくなる。


 「ああ、冗談だって言ったろ。気にすることはない。まあ、あんな顔されたらちょっとは傷ついたが」

 相変わらず翠は美味しそうにクレープを食べていて、本当に気にしていないみたいに見える。…でも多分。


 あの時俺は、色々と考えてしまった。家族のこととか、周りの目とか。

 俺が臆病で情けなかったために、多分翠を傷つけてしまった。


 「その、俺どんな顔してた?」

 「…迷子みたいな顔。あれは情けない顔だったな。傑作だったぞ」

 「…お前はいつも一言余計だな」


 …従姉妹との間に立ったラブコメフラグは、多分そんなに簡単に回収されたり折れたりするようなものではないと、俺は思い知ったのだった。

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