第3話 ラブコメの予感
フリーターの朝は遅い。
バイトは大抵夜勤なので目覚ましはかけずに、いつも16時くらいに起床する。冬なので太陽はすでにかなり傾いていて、外から聞こえてくる下校中の小学生の楽しそうな笑い声で目が覚める。今にもカラスが鳴き出しそうなオレンジ色の綺麗な夕焼けを見て、今日という日もまた何もせずに終わってしまう…と絶望に襲われる。これが19歳週2勤務弱小フリーター俺のルーティンである。
今日もひとしきり絶望し終わり、とりあえずメシでも食うか、と部屋を出ると、リビングの方が何やら騒がしい。
…なんかいやな予感がするな。
そんなわだかまりを胸に、足音を立てないよう静かに階段を降りてリビングの扉の前まで行き、リビングから聞こえてくる会話にそっと耳をそばだててみる。中からは
「じゃーーん!!見てみて翠ちゃん!ハイパードデカおっぱい!!」
「流石ママ上、ハイパードデカおっぱいがよく似合う。ママ上の美魔女っぷりに拍車がかかっている。だが臀部にも風船を足してハイパードデカお尻を作ることでもっと魅力的なマグナムボディになると思うんだが、どうだ」
「さっすが翠ちゃん、頭いいわね〜!スカートの中に風船入れるの手伝ってくれる?」
「もちろんだ」
……聞かなきゃよかった。
俺は人間に耳がついていることを初めて呪った。
翠はともかく、実の母親がハイパードデカおっぱいとか言ってはしゃいでいるのを耳にして、俺は今日2度目の絶望をキメた。
そうだ、もう一回寝ようかな。今日もバイト無いし。
そう思い立ちリビングから離れようとした瞬間、ガチャと音を立ててリビングの扉が開いた。
「
リビングの扉を開けた翠に腕を掴まれて逃げられなくなる。
気づかれていたらしい。めざといやつだ。
観念してリビングに入ると、ハイパードデカおっぱいとハイパードデカお尻、もといただの風船を二つ服の中に入れたマグナムボディを手に入れてはしゃいでいる母さんが目に入る。
俺は本当にこの人から産まれてきたのか…?泣きたいよ。
「あら一志、おはよう。見て〜お母さんのナイスバディ」
俺に気づいた母さんは胸元に入れた二つの風船をバインバインと大袈裟に揺らした。…あんた、いくつだよ。本当にやめてください。
「…一体何をやってるんだよ…」
「あれ、言ってなかったっけ?パーティの準備よ」
「パーティ?」
リビングをよく見ると、壁や窓にガーランドや風船、モールがあちらこちらに飾り付けられている。ダイニングテーブルには特別な日にしか見ないようなチキンやサラダが並べられている。
「そ、翠ちゃんおかえりパーティ。可愛い翠ちゃんが帰ってきてくれて、うちに華やかさが戻って嬉しいわ〜♡」
「え、帰ってきたって…もしかしてまたうちに住むってことか?」
「当たり前でしょ。翠ちゃんの実家はうちなんだから」
…話が分からなくなってきた。翠は関西の大学に通うためにうちを出て一人暮らししているはずだ。今は一時的に帰省してきてたわけじゃないのか?
「翠お前、大学は?」
「ああ、辞めた」
「は!?辞めた?!」
翠があまりにあっけらかんと言い放つので思わずでかい声が出る。翠の通う大学は日本でも指折りの難関大学だが、翠の頭でついていけないはずでもないだろうにどうしてだ。勿体なさすぎるのではないか。
「やめたってなんでまた…」
「昨日言っただろ、お前と一緒にいるためだって」
「いや、それは理由になってないだろ…」
「れっきとした理由だ。私にとってお前といることより大事なことは無いぞ」
翠はいたって大真面目に真顔でそう言うから、聞いているこっちが恥ずかしくなる。母さんが面白そうにニヤニヤした顔でこちらを見ていて居た堪れない。
くっ、親の前でこれはつらい。
「そう言うことだから、私もニートってわけだ。一緒にニート生活を謳歌しよう。よろしくな」
「どう言うことなんだ…あと俺はニートじゃなくてフリーターだ」
『引きニート生活は今日で終いだ』ってこういうことかよ!!
どうせ早速明日から引きこもる暇もなく翠にあちこち連れ回されるのだろう。それはそれで退屈しないんだろうけども。
色々はぐらかされている気がするし、相変わらず翠の行動は読めなくて頭を抱える。
しかしながら俺も精神を病んで大学を辞めているし、翠にも何かしら突っ込まれたくない事情があるのだろう。
「まあ、お前がいると何だかんだ楽しいし…理由はどうあれ、帰ってきたってんなら歓迎するよ。おかえり」
「うん、ただいま、一志」
翠は目を細めて嬉しそうに笑った。
相変わらず何を考えてるかよくわからないが、こういうところは憎めない奴だ。
まあいくらラブコメフラグが立っているといっても高校までは一緒に住んでいたわけだし、今更特に心配することなど無いだろう…
「そうだ一志、しばらくはお前の部屋で寝させてもらうぞ」
「…はい?」
「一人暮らしする際に寝具を一式持って行ってしまったから、今私の部屋に布団がないんだ。通販でポチったのが明々後日届くからそれまではお前のベッドに邪魔するぞ」
何言っちゃってんだコイツは?
19歳の男女が同じ布団で寝るなんて、罷り間違ってなんかあったらどうするんだ…いや、何にも起きるはずはないけども!
「普通にそれはまずいだろ!」
「何がまずいんだ?」
「いや、何がって普通に考えたら…」
「ああ、お前エロいこと考えてるんだろう。一志はムッツリだもんな」
ニマニマと小憎たらしい顔をしながら翠は煽ってくる。くそ、むかつく。ちょっと否定できないところもむかつく。
「…それに別に、そうなっても構わないし」
翠が小さな声でつぶやいた言葉は、俺の耳がバッチリとキャッチした。
俺は再び、耳がついていることを呪った。
…前言撤回。ラブコメフラグはこれでもかと言わんばかりにビンビンに作用している。
俺は思わず天を仰いだ。
「…いや、寝室の押し入れに父さんの布団があるからそれ使え。それから俺の部屋には絶対に入ってくるな」
「ああ、パパ上は去年から単身赴任をしているんだったな。まあ、私みたいな美少女と一緒に寝るなんて童貞の一志には刺激が強いだろうし、その案を採用しよう」
「なんか色々聞き捨てならないところはあったが…是非そうしてくれ」
ありがとうお父さん、父さんが単身赴任までして働いてくれているおかげで俺の貞操は守られました。
「まあどうせこれから一緒に住むんだ、同じ布団で寝たくなったらいつでも言ってくれて良いからな」
「誰が言うか!」
ああ、コイツといると本当に疲れる…
かくして、翠との同居生活が一年ぶりに幕を開けたのであった。…心配しかない。
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