第2話 飯南翠という女

 飯南翠いいなんすいは変人である。


 従姉妹という関係性が無かったら、絶対関わっていなかっただろう。



 「うん、やっぱり牛タンと牛カルビは最高だな。一志いっし、網に肉が無い、もっと焼くんだ」

 「はいはい…」


 どうしてこんなことになってるんだ…。


 すいは今、俺の目の前で幸せそうに牛カルビを口いっぱい頬張っている。


 あの後、部屋から無理矢理引き摺り出された俺は、車の運転を強要され、現在は国道沿いの焼肉食べ放題の店に来ている。

 じゅうじゅうと食欲をそそる音と匂いに五感を刺激されながら、俺は翠に言われるままひたすら肉を焼いている。

 「ほら一志、お前も牛とディープキスしろ」

 「牛タンを食べると言う行為の形容がキモすぎるだろ…」

 言いながら翠は俺の目の前に牛タンを差し出した。


 これは所謂あーん♡と間接キスの合わせ技というやつか…。


 相手が血のつながっている従姉妹でなければ喜んで鼻の下を伸ばしただろう。だが残念なことに相手は従姉妹だ。特に旨みはない。

 「ほら、あーん」

 翠は揶揄うように目を細める。悔しいがその表情はめちゃくちゃ可愛い。

 牛タンに罪はないので、俺は大人しく口を開けて頬張った。脂が良く乗っていて美味い。

 「美味いな、これ」

 俺がそう言うと翠は満足気に頷いた。


 「私と食べてるんだ、美味さも倍増だろう」


 ああ、コイツ変わってないなあ…。

 こう言うやりとりにもはや懐かしささえ感じ、何だかしみじみとする。


 

 飯南翠を一言で例えるなら、天上天下唯我独尊という言葉を捧げるのがぴったりだろう。


 まず、かなり頭が良い。要領がいいのか才能なのか、何でもすぐに吸収し修得する。

 小学校入学時には既に小学校で習う勉強の知識は一通り入っていた。もう学校行く意味あんま無いだろという出来っぷりで、退屈した翠が授業中寝ていても遊んでいても先生は何も言わずに悲しそうな目をしていた。親が試しに某公文式学習塾に入れてみたところ、みるみる勢いで高校、大学の範囲まで到達してしまい、もう教えることはないですと講師を泣かせ前代未聞の卒業を余儀なくされた。あの日く⚫︎んで開かれた翠のためだけの卒業式を俺は忘れることはないだろう。く⚫︎んのCMで見たことのある人が舞を踊り、社長は号泣、大量のプリントが宙を舞っていた。カオスとはあの空間のためにある言葉だった。

 ちなみに、翠の古臭いような男勝りな喋り方は、中学生の時に読破したと言うハードボイルド小説か何かの影響らしい。19になってもまだ厨二病が抜けていない。


 さらに容姿も良い。やや吊り目で猫のような瞳はぱっちりと大きく、基本的に無表情な様子からは神秘ささえ感じ取れてしまうほどだ。唯一の欠点としては身長が平均をかなり下回ると言うくらいだが、それはそれで愛嬌になっている。小中の頃はモテにモテた。身内で見慣れていても未だに見惚れてしまうくらいだ。翠とは高校卒業以来一年ぶりに会ったが、その恵まれた容色は変わっていない。なんならさらに垢抜けているようにも見える。


 しかしながら、頭脳明晰・容姿端麗という誰もが羨むものを持っているにも関わらず、翠の言動・性格はそれらではカバーできないほど残念だった。

 周りには自分よりも頭の良い人間がいなかったから、翠は基本的にうっすらと皆を見下している。つまり性格が悪い。

 中学の時は翠の容姿に釣られて寄ってきた人間を手練手管を使って洗脳…翻弄し、最終的に家来的な人間が20人くらい出来ていた。昼休みには家来を人間椅子にし、人間椅子積み上げゲーム(負傷者多数発生)を開催していて、コイツは頭がイカれていると思った。

 見兼ねた俺が、程々にしろと釘を刺すと、一志にも一人分けてやろうと恐ろしい提案をされ、俺にも家来的な人間が一人できたことがある。一瞬で解雇したが、あれは恐ろしい経験だった。自分を無条件に慕ってくる人間の瞳というものはブラックホールのようで、見ていると精神がおかしくなってしまうということを学んだ。

 話が逸れたが、中学でそんな様子だったから、高校では翠の悪い噂(事実ではあるが)が広まり、『女王様』といういかにもなあだ名が付けられた。勿論翠を慕う意味は無く悪意100%の由来だったが、翠はそれを気に入ってしまった。いや気に入るなよ。そしてどういう思考回路をしているのか、そのあだ名に相応しい振る舞いをして見せようと、翠は高校でヒール役を演じることに徹底した。もう意味が分からない。

 翠は自分の好感度の低さを利用して、自分vs全校生徒という構図を築いたのだ。

 翠が定期考査で良い成績を取ると、生徒たちはアイツが一位なんて許せないと負けじと勉強をした。結果、翠を抜くことはできなかったものの高校の偏差値は右肩上がりに急上昇した。

 翠が誰もやりたがっていなかった生徒会長に立候補すると、アイツを会長にさせるわけにはいかないと立候補者が爆増し、過疎ってほぼ信任投票のみと形骸化していた生徒会選挙は活気を得た。あの時は選挙カーを持ち出す奴まで現れて怖かった。そして最終的に生徒会長に相応しいと言える人物が当選し、校則が改善されたり行事が増えたり、うちの高校はみるみるうちに素晴らしい学校へと改善されていった。

 結果的に、翠という共通の強敵を作り出し、それを乗り越えようと生徒たちが味方同士で切磋琢磨しあうことで、田舎のパッとしない進学校だったうちの高校は、偏差値が高く評判も良い名門高校に生まれ変わったのだった。

 翠はそんな生徒たちの様子を見て、「ガキは単純で可愛いな」と満足げにしていた。お前も同い年だろ。

 かく言う俺は、友達はおろか話し相手もいない翠に、いとこだからと言う理由だけでべったりとくっつかれていたせいで中高ともあまり友達ができなかった。あいつ、飯南翠のいとこらしいよ、そういえば苗字一緒だな、と囁かれ遠巻きにされていたあの頃は風呂で密かに泣いた日もあった。俺の青春を返せ。ちくしょう。


 …長々と翠の武勇伝を語ってしまったが、翠がこんなに唯我独尊なのも、俺が翠と縁を切れず青春を逃したのも、全てには原因がある。


 それは翠の父親、つまり俺の叔父だ。

 歴史研究をやりつつ、副業でどっかの大学教授をやっているらしい。翠が生まれて早々に離婚し翠の親権を持った叔父は、そんな家庭環境だから翠を一人でも生きていける子に育てたかったらしく、勉学から人心掌握術までありとあらゆることを叩き込んだ。目に入れても痛くない可愛い可愛い一人娘をとにかく強く、人から舐められないように鍛え上げた。翠の天上天下唯我独尊っぷりはここから来ている。


 ここまではまだ良い。


 ここからが問題だ。先に叔父は歴史研究をやっていると言ったが、ある日その研究とやらを極めたいと言い出し叔父は突然姿を消した。俺と翠が小学2年生の時だった。

 いくら鍛えられたと言っても子供が一人で生きていけるわけでもなし、翠は俺の家に引き取られることになった。

 俺の家と翠の家は小さい頃から親交があったとはいえ、突然親が消えて家庭環境がめちゃくちゃになった翠は毎日泣いていた。学校や俺の両親の前では強がっていたが、一人になると震えて泣いていた。


 それを見兼ねた小2の俺はあの日、言ってしまったのだ。

 あの日も今日みたいな薄寒い冬の日だった。翠はいつものように家の隅っこで泣いていた。

 「翠、泣くなよ…」

 「だって、パパいなくなっちゃったもん!わたし、捨てられちゃったんだ…」

 「捨てられてなんかない!すぐ戻って来るよ」

 「すぐっていつ?それまでわたし一人で待ってなきゃいけないの?」

 「…いつかは分かんないけど…でも一人じゃないよ、おれも一緒に待つから」

 「…ほんとに?」

 「うん、約束する。翠のお父さんが戻って来るまで、ずっと翠と一緒にいるから」

 「…約束だよ?一志、ずっと一緒にいてね」


 お わ か り い た だ け た だ ろ う か。


 小2の俺はカッコつけて、『ずっと翠と一緒にいるから』なんて臭いことを宣ってしまったのだ。その後どうなるかも知らずに。

 こんなの、ラブコメにおけるお約束もお約束の、話の中盤ぐらいで明らかになる実は幼少期に建っていましたというフラグである。

 恐ろしいことに俺はそのラブコメフラグを従姉妹とガッツリ建ててしまったのだ。

 そんなことがあって、翠は俺にべったりで、俺も自分で言った手前翠を無下にすることもできず、高校までずっと一緒だったというわけだ。


 そんな翠となぜ一年ほど会っていなかったと言うと、理由は単純、一緒に受けた大学に俺だけが落ちたからだ。

 うん!分かりやすいね!…泣いてないよ。


 翠は一人暮らしをして関西の有名国立大学に、俺は実家から通える地元の私学に行くことになった。

 そこからなんやかんやあって俺は一回生でドロップアウト。翠だけにはこのことを絶対に知られたくなくて、親にも絶対に言うなと釘を刺しておいたが、今日翠が押しかけてきた様子を見るにいつの間にか知られていたようだ。



 「一志、手を動かせ」

 いつの間にか自分の世界に入り込んで肉を焼く手が止まっていたらしい。翠に手の甲をペチンと軽く叩かれて我に帰る。

 「ああ…ごめん」

 すぐに自分の世界に入り込んでしまうのは俺の悪い癖だ。そう反省しながらトングで肉を転がす。

 …いやなんで俺は今翠の言いなりになって肉を焼いて、自分の悪いところ反省会までしちゃってるんだ?

 再び我に帰る。そうだ、そもそもなんで翠は長期休みでもないのに急に帰ってきたんだ。て言うか『引きニート生活は今日で終いだ』って一体どう言うことだ。あと『人の金で焼肉』って言ってたけど、それは誰の金なんだ。

 一度気になってしまうと、聞きたいことが次々と頭に浮かんできて、もう肉を焼くどころの話ではない。

 

 「翠!お前なんで急に…」

 「一志」


 俺が口を開くことを読んでいたかのように、翠は俺の言葉に被せて言った。


 「昔、約束したよな。ずっと一緒にいるって」

 

 牛カルビの脂が網の下に垂れて、網から火柱が轟轟と上がった。それに目もくれず、炎の向こう側でじっと俺を見つめる翠は驚くほど絵になっていて、思わず固唾を飲む。

 

 「…うん、覚えてるよ」

 俺がそう言うと翠はにっこりと笑って満足そうに頷いた。そのままテーブルの脇にある氷バケツから氷を取り出して網の上に転がした。

 「だから帰ってきた」

 ジュッと大きな音を立てて火柱は消えた。網の上で小さくなった氷が宝石みたいに輝いている。


 「一志と一緒にいたいから、帰ってきたんだ」

 

 焦げたカルビから上がる黒々とした煙さえ、翠は絵画みたいに背負ってみせた。まるで翠のために存在しているようだった。

 翠はこの一年、会っていない間に驚くほど魅力的になっている。俺はそれを認めざるを得なかった。

 

 「っ、熱っ!!!」

 そう思わず見惚れていると、急に焼きたて熱熱のカルビを口に当てられて飛び上がる。

 「今私に見惚れてただろう」

 翠がカルビを俺の前で振り回しながら得意げに言う。

 「…いや、別に」

 ああ、コイツは自分の生まれ持ったものを行動で全て台無しにするやつだった。ヒリヒリと痛む口元を手で押さえながらながら半ば呆れかえる。いや、てか結構ガッツリ火傷してないこれ?めちゃくちゃ痛いんですけど?


 「喜べ一志!今日からまた私と一緒にいられるぞ!」

 …あの時思った、クソみたいな日常が変わるかもしれないと言う期待はあながち間違っていなかったらしい。思い返せばコイツといて退屈した日はなかった。

 まだ翠に聞きたいことは沢山あるが、ともかく、また新しい日常が始まる予感がする。

 そう俺の心臓は高く跳ねた。


 「こんな美少女と一つ屋根の下でイチャイチャ出来るんだ、さぞ嬉しかろう」

 「…遠慮しときます」


 …どうやらあの時建てたラブコメフラグも健在であるらしい。

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