ep.10

「うっ、く・・・・・・・」

 全身が痛い。

 ありとあらゆる所を地面に打ち付け、すりむいたり打ち身になっていたりするようだ。

 崖下に落ちている最中、私は咄嗟に防御魔法を展開しようとして――押しとどめた。

 後で皆に合流したとき、崖から落ちた人間が無傷でした、なんて変に思われてしまう。

 私はあくまで普通の王女でありたいのだ。

 前世のように神格化されたり、同じ人として扱われないなんて絶対に嫌だ。

 だからこそ、今の状況は

「私にとっては好都合、かしら」

 私は痛む体を叱咤して、ゆっくりと立ち上がる。

 目の前には、落ちていく衝撃で腕から離れた子犬、いや、成犬ほどの大きさになった四足獣がいた。

 獣からは、ゆらゆらと黒いもやが絶えず立ち上っている。

 ・・・・・・・ああ、本当に忌々しい。

 真っ赤な怒りが身を焼き焦がしてしまいそう。

 私はあのもやの正体を知っている。

 知っている、どころではない。あれは、始まりの聖女わたしが一生をかけてこの世から滅ぼしたもの。

 獣は、うなり、全身で威嚇をしているものの、時折苦しそうなうめき声を上げる。

 その時、ズキンと先ほど子犬に噛まれた傷跡が大きく痛んだ。

 パッとそちらを確認し、思わずくちびるを噛む。

 これは、ただの噛み傷ではない。噛まれた場所がどす黒く変色し、しかもその範囲を徐々に広げていっている。

 私自身も、内から浸食されているような、だんだんと内側から体が壊されていく感覚を捉える。

 私は、この感覚をよく知っていた。

 これの原因は全て、あの黒いもやを見れば自明だ。


“呪い”


 あの獣は、呪いに侵され呪獣となってしまったのだ。

 呪いとは、この世ならざるもの。人間の黒い感情が魔力と呼応し呪力となり、呪いとなる。

 呪獣に与えられた傷は、ただの傷ではない。少しでも傷をつけられれば身体は内から壊され、やがて精神も身体も塵となる。

 呪いを完全に浄化できる力は、ない。


 聖女の力以外で


 私は1度目を閉じ、深く呼吸を繰りかえす。

 その目を開けたとき、私の両目は紫水晶と黄金色に煌々と輝いていた。

 腕の噛み傷を、黄金色の光の粒子がほんわりと包み込む。

 光が晴れると、噛み傷は残っているが、どす黒い色は綺麗さっぱり消えていた。

「さあ、こちらにおいで」

 私は、呪獣を受け入れるように両手を広げる。

 顔には慈悲深い笑みが浮かんでいることだろう。

 呪獣は、後ろ足に力を込めて、私に向かって飛びかかる。

 口を大きく開け、私の首筋に思い切り噛みついた。

「・・・・・・・っ!」

 痛い、痛い痛い痛い・・・・・・・けど!


「捕まえた、わ」


 私の身体から溢れ出す黄金色の光。光が、呪獣もろとも私の全身を包み込んだ。

「消えなさい!」

 パンッ

 呪獣にまとわりついていた黒いもや――呪いが、はじけとんだ。

 四方に飛んだ呪いは、シュワッという音共に消えて無くなる。

「はっ、はっ、は――」

 私の腕の中にいた呪獣は、しゅるしゅると元の子犬の姿に戻る。

 子犬は、くったりと私に身体を預けた。

 私はその身体にスリッと頬ずりをする。

 ――――!?

 な、なに!?なにかが、頭に流れ込んでくる


~~~~~~~~~~


『ちっ、また失敗かよ』

 石作りの部屋の中央で、黒いローブを着た人物がたたずんでいる。

 その人物―声からして男―が、目下にうずくまる黒いぼろ雑巾のような何かを蹴った。

(あれ、は。なに?)

『クウーン クン クーン』

 どこからか現れた子犬がそのぼろ雑巾のようなものに駆けより、鼻をこすりつけた。

(あの子は、さっきの子犬。じゃあ、あの黒いものは――子犬の母親!?)

『はあ。ったく、しょうがねえな。次は、お前だ』

(やめっ、やめなさい!)

 黒いローブの男は、子犬にゆっくりと左手を伸ばす。

 その手の甲には、斜めに走る傷跡があった。


~~~~~~~~~~


 ・・・・・・・そうか。そういうことだったのね。

 これは、この子犬の記憶。

 自然発生型の呪いは、始まりの聖女わたしが全て浄化した。

 再び自然発生型の呪いが発現するには、時間が経っていなさすぎる。

 なら、今、呪いが発生した原因は、人為的なものしかない。

 無意識にギリッと奥歯を噛んだ。

 許さない。許されるはずがない。こんな、こんなこと

「はあ――――――っ」

 落ち着け。

 ここで私が激怒したって仕方ないだろう。

 でも、やっと分かった。

 私という存在が、前世の記憶を抱いて生まれ変わった理由。

 現状、呪いの対抗策は聖女の力だけだ。

 呪いを人為的に発生させる方法を確立できたなら、聖女が不在の今、私さえいなければこの世の全てを手に入れる事も不可能では無かっただろう。

 ・・・・・・・つまり、私は、また前世のような人生を歩まなくてはいけないの?

 それは、嫌だ。絶対に。

 私は、普通の王女として生きることを絶対にあきらめたくない。

 ギュッと子犬を抱く腕に力を込めた。

「・・・・・・・え、あれ?」

 唐突に、くらりと視界が揺れる。

 まっすぐ経っていられなくなり、何歩かたたらを踏んだ。

 そうか。血を、流しすぎたのか。

 私の身体は子犬に負わされた噛み傷だけでなく、崖から落ちたときの擦り傷や打ち身だらけだった。

 呪いは全て浄化しているものの、あちこちから血が流れ、とうとう意識もはっきり保っていられなくなってきてしまった。

 聖女の力と魔法の力も、どんどん抜けていく。

 ・・・・・・・ダメだ。この子を連れて、みんなのところに戻らないと。

 もう、す、こし

 ふわりと浮遊感を感じた瞬間、一気に意識が遠のく。

「お・・・・・・・い、しっか・・・・・・・ろ!」

 どこからか、叫び声が聞こえるような気がする。

 ぼんやりとぼやける視界の中、誰かが駆け寄ってくるのが見える。

 誰かは、一瞬で私のそばまで到達し、強い力で崩れゆく私の身体を支えた。

「リアラ!!」

 ・・・・・・・だん、な、さま?

 ああ、そうか。これは夢だ。だって、あの人が私の名前を呼ぶはずが、ないもの。

「こ、の子を、保護、して・・・・・・・」

 夢と分かっていながらも、伝えなければと思ったことを伝えて。

 私は、意識を手放した。


 俺――ヴェルトは、腕の中で力なく目を閉じるリアラを見下ろしていた。

「ヴェルト様!奥方様は!!」

「気絶しているだけだ」

 遠くから駆けてくる俺の護衛に叫んで答え、俺はテントに戻るべくサッと王女を両手で抱えた。

 ・・・・・・・軽いな。

 彼女の腕には、眠っている子犬が抱かれているにも関わらず、だ。

「急ぐぞ。彼女の傷がひどい」

「はっ」

 俺は、森の中を駆けながら、己の中に渦巻く激情を必死に抑えていた。

 ・・・・・・・くそっ。なんだ、この、気持ちは。

 どうして、傷ついた彼女を見て、こんなにも苦しい気持ちになる。

 俺は、言いようのない激情に身を焦がしながら、ただ前へと歩みを進めた。


「リアラ様っ!!」

「リアラっ」

 テントに着くと、血相を変えた彼女の侍女とフレア様が飛び出してきた。

 フレア様は、青い顔で目を閉じる彼女を見て、目に涙を浮かべた。

「そんな、リアラ」

「すぐに医師の元へ運ぶ。馬を」

「こちらです」

 俺は、頼れる側近のランスが用意した馬に乗ろうと手を伸ばしたが

「その必要はございません」

 その手を、侍女の声に止めた。

「どういうことだ?」

「リアラ様を、こちらに寝かせていただけますか?」

 侍女が手で指し示したところには、一枚の布が地面に敷かれていた。

「まさか、彼女をそこに寝かせろ、と?」

「おっしゃるとおりでございます」

「君、何を言っているんだ。主人が危ういんだぞ?今すぐ山を下りて」

「全て承知しています!」

 侍女が、ランスの言葉を遮り、ギッとにらみつける勢いでこちらを見つめた。

「早く、こちらへ」

「・・・・・・・わかった」

 その瞳から、強い覚悟がにじみでていて。

 俺は、侍女の言うとおりにそちらへ向かう。

 ランスはなにか言いたげだったが、俺の判断に否やをいうことはない。

 俺は、そっとそこに彼女を寝かせた。

「それで、どうするつもりだ」

「見ていただければ、分かります」

 俺に対しての不遜な物言いに、ランスがピクリと眉を動かす。が、ランスは優秀だ。ここで口に出すことはしない。

 侍女は、1度深呼吸をすると、彼女の身体に両手をかざした。

「参ります」

 変化は、歴然だった。

 侍女の瞳の若草色が深みを増すと同時に、彼女の身体が緑色の光に包まれる。

 と、みるみるうちに彼女の傷が塞がっていき、顔色も良くなっていく。

 侍女の顎から、汗がしたたり落ちた。

 彼女の寝息が、安定したものに変わる。

「・・・・・・・完了です」

 侍女がかざしていた手を膝の上に戻し、息をついた。

「治癒の力、か」

 聞いたことは、ある。緑の瞳は治癒の力を表わすと。

 見たのは初めてだが、まさかこれほどのものとは。

 しかし、その力は一部の一族にのみ伝わっている力のはずだが・・・・・・・

「傷は全て塞ぎましたが、完全に回復したわけではありません。1度、お医者様に見ていただければ、と」

「分かった」

 今は、それを考えている場合ではないな。

 俺は今度こそ彼女を抱え、山を下りるべく馬を駆けたのだった。


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