第3話 悪魔と天使

 中は、外よりも暗く、目が慣れるまで少し時間がかかった。テーブルと椅子が幾つかと、向かって左側にカウンター席が見えた。何かの店だろうか。誰の姿も見えないので、ほんの少しほっとする。突然悪魔が出てきて私を食らうのではないかと疑っていたからだ。


 もう少し中の様子を伺おうと、ゆっくり歩を進めた。テーブルとテーブルの間を進んでいくと、奥へと続く黒い扉が見えた。開けても良いものかどうか一瞬躊躇し、開けてみることにする。一応、声はかけた。やはり返答はない。しかし、扉には鍵がかかっているようで開けることは出来なかった。


 私は、ほうと息をついた。誰かがここを使っていることは確かだが、今は留守なのだろう。仕方がないので家主が戻ってくるまで休ませてもらおうと、手近にあった椅子に腰を下ろす。さすがにテーブルと椅子は、木で作られている。


 誰もいないとわかると、周囲を観察する余裕が生まれた。入って左側の壁に四角く切り取られた穴があり、そこに極彩色の透明な石が埋まっている。そこから入ってくる光源が室内を優しく照らしている。反対側の壁一面には、細長い箱のようなものが詰まっている。


 他にすることもないので、その内の一つを手に取ってみる。箱と思ったものは、こちらに背を向けていた面でのみ繋がっている巻物のようだった。何か異国の言葉で書かれていて内容はわからないが、手触りといい捲りやすさといい、とても高度な技術で作られていることは確かだ。一体何の材質で作られているのだろうか。


 他に、私でも読める言葉で書かれた巻物はないものか、と探してみる。とにかく数が多く、ここにある巻物を全て読んでいるのだとしたら、ここの家主は、よほどの知識人だろうと、私は久しぶりに心地良い高揚を感じた。


「いらっしゃいませ」


 突然、野太い男の声が背後から聞こえてきて、私はあやうく心の蔵が止まるかと思った。振り返ると、そこには見上げるほど背の高い筋骨隆々な男が立ちはだかっていた。頭頂は綺麗に剃ってあるのか生来のものなのか髪一本生えていない。腕の太さは私の両腕を合わせても足りないくらい太く、袖のない上衣の上からでも引き締まった肉体が浮き上がっているのが見て取れる。何より男の目が猛禽類のような鋭さで私を見下ろしていた。食われる、と思った。やはりここは、悪魔の住む家だったのだ。


 私は、慌てて持っていた巻物を放り落とし、先ほど入ってきた扉へと駆け寄った。男が背後で何か言っていたが、気が動転している私の耳には入らない。扉を開けて、外の眩しさに目を細めた。


「いらっしゃいませ♪ 砂漠のオアシスデザート・オアシスへようこそ」


 そこに天使がいた。いや、天使のような微笑みを浮かべた一人の少女だ。髪は黄金色に輝き、肌はぬけるように白い。何よりその青く澄んだ瞳が私の心を射抜いた。背後には悪魔のような男がいて、目の前には天使のような少女がいる。ああ、やはり私は砂漠で死んだのだ。


 がくりと膝をついて頭を抱えた私を見て、少女は慌てた。


「違う違う。あなたは死んでないし、ここは天国とか地獄とかいう所でもないよ。そこにいるのは、ちょっと顔は怖いけど、人畜無害な生き物だから安心して」


 どうやら私の心の声が漏れていたらしい。少女は、私を安心させようと目線を合わせて、にこっと笑ってくれた。何を信じて良いのかわからなかったが、この少女は信用できる、そう思った。


 その時、ぐうぅぅ…………と、盛大に私の腹の虫が音を立てた。少女が声をたてて笑う。


「お腹がすいているのね。ちょうどよかった、中へ入って。ここは砂漠のレストランなの」


 少女に促されるまま、私は再び家の中へと戻った。いや、店内と言ったほうが良いだろう。〝レストラン〟という言葉の意味を少女から教えられ、私はここが食事を提供している外食店であることを知った。


 先程私の背後から声をかけてきた男は料理人で、今はカウンター奥にある厨房で調理をしている。先程見た時は暗くて気が付かなかったが、どういう仕組みか天井に取り付けられている光源によって、今は部屋全体が明るく全容を現している。不思議な巻物といい、このお菓子でできた家といい、私は未だに夢を見ている気分でいた。


 私は、カウンター席に腰かけ、部屋の中をぐるりと見渡した後、隣に座る少女を見た。椅子に腰かけたままカウンターに向かい、両足をぶらつかせながら金色に波打つ髪をいじっている。身長と容姿からまだ十歳にも満たないであろうことは判るが、先ほどからの大人びた口調と容姿とのギャップが少女の謎めいた魅力を引き立てていた。あの男の娘だろうか。それにしても似ていない。


 私は、厨房でこちらに横顔だけを向けて調理している男と少女を見比べた。男は、見るからに軍人体型で、髪の毛から眉毛までがないため髪の色はわからないが、よく日に焼けた肌をしている。卵型の頭部に頬骨が程よく浮き出て均整な顔立ちではあるが、一見して強面である。少女は、まだあどけなさの残る顔つきが柔和で眉目秀麗、長い睫毛がその柔らかな白い肌に影をつくっており、まるでコマドリのようだ。


 私のぶしつけな視線に気付いた少女が顔を上げた。つぶらで大きな青い瞳が私を捉える。オアシスの色だ。ほんの少し首を傾げてから厨房を見ると、ああと納得した表情で頷いた。


「血は繋がってないの。まぁ、遠い親戚みたいなもの」


 なるほど、と納得した表情を見せた私に満足すると、少女は、カウンターの上に飾ってあった銀のピラミッド型をした置物の蓋を外し、中に入っていた丸い包みを二つ手に取った。その内の一つを私に向けて差し出す。


 私が受け取ったままどう扱って良いのかわからないでいると、自分の持っていた包みを開いて見せ、中に包まれていた丸い石のようなものを口に入れた。どうやらお菓子のようだ。私が少女を真似て包みを開こうとすると、横からひょいと太い腕が現れ、包みを奪った。


「食事前だ」


 男は、怒っているのか平時でもそうなのかわからない低い声で唸った。少女はそれを見て、ぺろっと赤い舌を出して肩をすくめる。少女の年相応の仕草を見たようで心が和んだ。


 男は、奪った包みを私の傍らへそっと置くと、もう片方の手で持っていた椀を私の目の前に差し出した。椀は、木製の丸い掌大の大きさで、中から暖かな白い湯気が立ち上がっている。スープのようだ。もうずっと空腹に耐え兼ねていた私は、すぐに両手でそれを掴み、口にしようとしたが、中に入っているものの正体を見て手を止めた。


「なんだ、これは……」


 スープの中に泥が舞っている。しかも具が一つもない。いくら砂漠とは言え、砂が入るにしても限度がある。これではただの泥水だ。客を馬鹿にしているとしか思えない。いくら私が空腹といえども、店でこんなものを出されて黙ってはいられない。


「私を馬鹿にしているのか。こんな、こんな泥水を飲めと言うのか……!」


 握った拳でカウンターを叩くと、男は片方の眉を上げて見下すように言った。


「泥なんかじゃない。いいから早くそれを飲め」


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