第12話 打倒! 秀忠その2 修正版
23年に発表した「政宗が秀吉を殺していたら」の修正版です。実はPCの操作ミスで編集作業ができなくなり、新しいページで再開したものです。表現や文言を一部修正しております。もう一度読み直していただければと思います。
空想時代小説
川中島で戦闘が行われている頃、小田原城でも戦いが始まっていた。攻める徳川勢は本多氏(41才)の3万である。本多氏は、猛将本多忠勝の嫡子で桑名藩主である。守る政宗勢は、2代目小十郎(31才)の1万。政宗本隊から1万が援軍としてやってきている。合わせて2万。茂庭氏(67才)、葛西氏(37才)、針生氏(63才)、桜田氏(41才)らが入城している。この後、下野の成田氏(50才)が援軍として駆けつけることになっている。
小十郎は、小田原城で決戦をすることにした。この日のためにいろいろな仕掛けをしてきたのだ。城壁は三重の壁となっている。段になっており、一の壁が一番低い。徳川勢3万は、まずこの一の壁にとりついた。梯子をかけると、上から長いさすまたで、梯子が倒される。鉤のついた縄をかけても、縄が切られるということで、なかなか壁を乗り越えられなかった。しかし、亀甲車で門を撃ち破ると、一の壁の守りはなくなった。その代わり、門の中に入った兵士は周りの櫓から一斉に鉄砲で撃たれた。門の中が桝形になっており、狙い撃ちされたのである。それでも壁を乗り越えた徳川勢が多くなると、政宗勢の鉄砲隊は二の壁の内側に移動していった。
一の壁を乗り越えた徳川勢の兵士たちは悲惨だった。いたるところに落とし穴があるのだ。そこには逆茂木があり、飛び降りた兵士にグサッと突き刺さった。それでも通路のところには兵士が列をなして、二の壁にとりついた。
二の壁でも徳川勢は鉄砲や弓矢の攻撃を受ける。今度は狭間からの攻撃で、徳川勢が下から撃ってもあたらない。壁にくっついて死角に入るのが関の山だった。そこに櫓の下の石落としから大きめの石が落ちてくる。多くの兵士がここで亡くなった。徳川勢の一次攻撃はここで終わった。勢力は2万まで減っている。これで政宗勢と徳川勢は互角となった。
2日目、徳川勢は新兵器の大砲3門をだしてきた。射程距離は2町(200mほど)である。城外の丘から撃っても本丸まで届く。夜明けとともに、大砲が撃たれ、二の門の桝形の櫓が狙われた。命中精度は高くないが、どこかには当たる。政宗勢はそこから退くしかなかった。二の門も亀甲車で破られた。その向こうには、高い三の壁がそびえている。武者返しがついていて、上にいけばいくほど傾斜がきつくなってくる。三の壁の前は馬の訓練場になっており、広場になっている。そこに1000人ほどの徳川勢がなだれ込んだ。と、その時ドーンと大きな音がして、ゴロゴロと三の壁が崩れ始めた、石垣の石が踊っているように兵士をおそった。あっという間に多くの屍ができた。それは地獄絵図だった。千人殺しといわれる石垣である。ここで、徳川勢が退いた。残りは1万5000。半数になり、徳川勢の兵士の中には厭戦気分が蔓延し始めていた。
夜分、徳川勢は背後から夜討ちを受けた。政宗勢の援軍かた思ったが、背後には石垣山城の本多氏の本陣があり、そこに5000の兵がいる。政宗勢の援軍とは考えにくい。半刻(1時間)ほど戦い、大砲3門を使用不能にすると、政宗勢は退いていった。城内に逃げたわけではない。徳川勢の先陣と本陣の中間に逃げていったのである。徳川勢はキツネにつつまれていた。実は政宗勢は坑道を掘っていたのである。出入り口は容易にわからないようになっている。たとえ徳川勢が発見して入ってきても、その際は坑道をつぶす仕掛けもされていた。
3日目、政宗勢に援軍の成田氏の5000がやってきた。小田原城からも裏手の馬出し門から騎馬隊が出てきて、徳川勢の先陣はほぼ壊滅状態になった。
石垣山城に陣どっていた本多氏は、徳川領の山中城へ退いていった。それで小十郎らはお互いの健闘をたたえ合った。自分たちの損害は、城の損壊だけで兵士を失うことは少なかった。圧勝だった。
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