第5話 上杉攻め2 春日山城の戦い 修正版
23年に発表した「政宗が秀吉を殺していたら」の修正版です。実はPCの操作ミスで編集作業ができなくなり、新しいページで再開したものです。表現や文言を一部修正しております。もう一度読み直していただければと思います。
空想時代小説
梅雨の中、政宗は小十郎と談合していた。
「小十郎、春日山攻めは梅雨あけか?」
「すぐには無理です。草木が乾かねば、火攻めはできませぬ。梅雨があけて5日間晴れたら出陣いたします。そして春日山につくまでに、雨が降らなければ手はずどおり。雨が降ったら別の城を攻めまする」
「別の城とは?」
「与板城か坂戸城あたりをねらっております。また、上杉家臣の切り崩しも行います」
「降りそうなのはだれじゃ?」
「最右翼は荻田長繁(30才)でござる。御館(みたち)の乱では景虎側につき、後にゆるされて景勝についておりますが、冷遇されており、不満がたまっております。他にも似たような武将が何人かおりまする。上杉勢は謙信公以来、一枚岩でないのが明白でござる」
「長尾政景・北条高広・柿崎景家それに本庄繁長もそうであった。どうして、こんなに裏切り者が多いのだ?」
「それは謙信公が純粋すぎたからでしょう。上にたつ者は清濁あわせた者でなければうまく統治できませぬ。それに領地拡大の意志がありませぬ。それでは家臣がついてきません」
「わしは純粋ではないのか?」
「お館さまは、ほどほどの良さでござる。謙信公はおなごを近づけさせませんでしたが、お館さまは愛姫(めごひめ)さまや猫御前さまたちと仲むつまじくされているではありませんか」
「おなごの話は別だろ。そういえば、家中にもおなごを近づけぬ純粋な者がいるぞ」
「そういえばおりましたな」
と二人は、顔を見合わせて笑った。新発田城では成実がくしゃみをしていた。
梅雨あけから5日が過ぎ、政宗は会津から出陣した。総勢2万5000。目指すは直江氏の与板城、と思わせるように進んだ。一日でも雨が降れば、そのまま与板城攻めを行うことになっていたが、幸いにも雨は降らなかった。そこで屋代氏(29才)ら5000を与板城外に残し、政宗ら2万は春日山に向かった。騎馬隊が中心なので。その動きは速かった。
春日山の上杉氏は出陣の用意はしていたが、あまりにも政宗勢が早く来たので、籠城せざるを得なかった。軍師の直江氏が与板城に閉じ込められていたので、上杉氏にとっては痛かった。今まで直江氏なしで戦ったことがなかったのである。
夕刻になり、山のあちこちから火があがった。風が吹いており、火はどんどんあがっていく。上杉氏は東の山ぞいに逃げ、前田氏との国ざかいにある勝山城に入った。ついてきたのは、半分の5000に減っている。すぐに政宗勢が追いついてきた。海岸ぞいにある急峻な崖の上にある勝山城は鉄壁の堅城と思われたが、雨がない日が続いていたので、ここも火攻めとなった。
上杉氏は家臣のことを思い、開城を決めた。自分の首を差し出すつもりだったが、政宗は生かした。上杉氏は凡庸な大名だが、その家臣団には優秀な者が多かったからだ。上杉氏は生まれ故郷の坂戸城の城主となり、10万石の領地を与えられた。他の家臣団もほぼ本領安堵となった。政宗は本庄氏、直江氏、色部氏(23才)といった優秀な家臣を得ることができたのである。ただ、占領した中越地方だけは政宗の家臣に与えた。新発田城には黒川氏を置き、津川城には屋代氏を置いた。どちらも10万石ほどの領地を得たわけである。
夏の終わり、政宗に朗報が届いた。真田氏(45才)が本領安堵を約束してくれるなら降伏するという文をよこしたのである。盟主の上杉氏が政宗に降った今、真田だけでは存続できないので、政宗を頼ろうという考えなのだろう。しかし、名うての策士である。すぐには信用できない。だが、先の戦いでのつややかな赤備えの戦いぶりを見せつけられては、真田が家臣に入るというのは魅力のある話である。とりあえず、小十郎(35才)に様子を見に行かせ、真田氏を会津に呼び出した。真田氏は二男信繁(25才)を帯同してきた。先の戦で、見事な戦いぶりを見せた武将である。
「真田殿、よくぞまいった。この度は、政宗に助勢していただけるとのこと。ありがたく存じる」
「ご尊顔を拝し、恐悦至極に存じます。政宗公の名声は奥州のみならず、全国にひびきわたっております。その方にお仕えできるのは、光栄でございます」
真田氏の言い方はとても丁寧だったが、目には鋭いものがあった。政宗を値踏みしている様子がありありだった。
「ところで、そこに控えているのは?」
政宗は信繁を見て問うた。
「二男の信繁でございます」
「先の戦で、赤備えの部隊を率いていたのはそなたか?」
その政宗の問いに、真田氏は信繁が返答するように目配せをした。
「はっ、恐れ入ります。私めでございます。見苦しい姿をお見せいたし、申しわけあるませぬ」
「あやまることではない。戦では当たり前のこと。むしろ、見事な戦い方じゃった。ところで真田殿、そちにはもう一人息子がいるはずじゃが、今日は連れてきておらんのか?」
「はっ、長男の信幸(26才)がおります。今は沼田城をまかせております。実は、上州のわが方の城が北条勢に脅かされております。隣の城の北条勢が出張ってきて小競り合いが続いています。それで長男をおいてきた次第です。本日は、政宗公に本領安堵と北条殿への口添えをお願いいたしたく、参上した次第です」
「北条か・・?」
政宗はしばらく思案した。というか、思案のふりをした。真田氏の申し出の件は、すでに小十郎から聞いていたからである。そして、小十郎とは談合済みであった。居並ぶ家臣団は政宗の判断を固唾をのんで待った。断れば信州攻め。同意すれば北条との戦い。北条との戦いは大きな障害だが、いずれは雌雄を決する相手だ。ましてや当主の北条氏(30才)では頼りにならん。と皆が思っていた。
「よし、決めた」
その政宗の言葉に、一同に緊張がはしった。
「真田殿、信繁殿をくれぬか?」
皆、意外な言葉に唖然とした。
「はっ、本領安堵を約していただければ、そのつもりで連れてまいりました」
「よし、信繁殿は太閤秀吉公、上杉殿の元におられたと聞く。そういう見聞の広い武将を召し抱えるのは、大きな財産じゃ。信繁殿、そこにいる小十郎の長子の守り役にならぬか? まだ7才のこわっぱだが、お主の力でたくましい武将に育ててほしいのだ」
真田父子は、政宗の傘下に入ったことを知り喜んだ。これで上州は守られる。信繁は
「ありがたき幸せ。今までは無役でしたが、精一杯役目を果たさせていただきます」
ここに2代目小十郎と信繁の関係が始まったのである。後に2代目小十郎は信繁の娘を妻とすることになる。
それから数日たって、北条氏から書状が届いた。上州の全ての城を北条にくれ、という内容であった。
「小十郎、図々しい申し出だの。自分たちは何もせずに領土だけはほしいと言う。こういう輩と付き合うと、だらだらと食い尽くされる。今のうちに断たねばならぬな」
「いずれはと思っておりましたが、思ったより早くなりましたな。しかし、北条は強敵でござる。我らは太閤のような兵糧攻めはできませぬ。お館さま、どうされますか?」
「そんなことを聞くか? もうお主の腹はわかっておる。わしと同じ考えじゃろ」
と言いながら、人差し指で×を作り、それを引き離した。離反策のことである。
「やはり、そうでしたか。私の得た情報では太田城の佐竹氏(22才)、烏山城の成田氏(50才)あたりが不満をもっております。佐竹氏はお館さまに好意をもっておりませんが、条件しだいではこちらにつくと思われます。常陸と安房あたりを与えればいいのでは? 成田氏は保身に走ると思いますので、本領安堵と言えば、こちらにつくと思います。むしろ小田原城内にいれてから内応させれば、内から崩れるものと思われます」
「小十郎の情報源はさすがじゃの」
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