第4話 上杉攻め1 中越の戦い 修正版

 23年に発表した「政宗が秀吉を殺していたら」の修正版です。実はPCの操作ミスで編集作業ができなくなり、新しいページで再開したものです。表現や文言を一部修正しております。もう一度読み直していただければと思います。


空想時代小説


 1591年の夏、奥州は落ち着いた。半分以上を政宗(24才)がおさめ、津軽家、九戸家、最上家、田村家、岩城家は盟友となっている。最上家とは対等の関係だが、それ以外は政宗にほぼ従う立場であった。和賀家、大崎家、葛西家、南部家は政宗に従属している。

 奥州以外に目を向けると、越後には上杉氏(35才)がおり、最上家や北条家とにらみ合っている。それに政宗も入ろうとしている。

 関東には、北条氏(29才)がおり、上杉家と徳川家、真田家とにらみ合っている。政宗とは対等の盟友である。

 信州では真田氏(44才)が、がんばっている。北条家と徳川家とにらみ合っている。上杉家に従属している。

 東海では、徳川氏(48才)が力をもっている。北条家と真田家とにらみ合っているが、他大名とは友好関係にある。政宗とも友好関係を保っている。目の上のたんこぶであった秀吉を倒してくれたのだから、政宗と争う気はない。

 北陸には前田氏(29才)がいた。父利家が築いた前田家をそつなくおさめている。上杉家とにらみ合っているが、お互い侵略の意志はない。

 近江は石田氏(31才)である。佐和山城を中心にして、琵琶湖周辺の城を手中にしていた。再三、大坂城に出向き、淀君のご機嫌伺いをしている。

 京都は細川氏(57才)が治めている。太閤秀吉が亡くなったので、一大名として京都守護職を朝廷から任命されている。

 大坂は、秀吉の息子秀頼(1才)だが、まだ幼いので母淀君(24才)が城主といっても過言ではない。秀頼を身ごもっていた時に、秀吉が亡くなったので、秀頼は父の顔を知らない。といっても秀吉の実の子かと皆あやしんでいる。秀吉の正室北の政所は、剃髪して京の寺院に入っている。北の政所がいない大坂は淀君の天下で、だれも異議を唱えられなかった。秀吉の隠し財産があったからである。

 姫路には黒田氏(45才)がいた。淀君に嫌われ、豊臣とは縁をきっている。何を企んでいるか油断できぬ大名である。

 中国地方は宇喜多氏(18才)、福島氏(30才)、毛利氏(38才)で分け合っている。お互い牽制しあっていて、全国視野はもっていない。

 四国は長宗我部氏(52才)が統一しようとしていた。今、勢いがあるのは政宗と長宗我部氏かもしれない。

 九州は、龍造寺氏(35才)、大友氏(33才)、加藤氏(29才)、島津氏(58才)で争っていた。まだ群雄割拠の状態であった。


 政宗は主だった家臣を集め、今後の方向性を話し合った。集まった家臣は、叔父の政景(42才)、親戚筋の成実(23才)、側近の小十郎(34才)、茂庭(42才)の4人である。

「よくぞまいった。戦疲れは取れたかの?」

「なんの、なんの。まだまだ戦い足りぬ」

 いつも最初に話すのは成実である。

「成実は若いの」

「あたり前でござる。お館よりひとつ下であるからな」

「年のことではない」

 その言葉に、成実以外は笑いを隠せなかった。

「その若さを別な方に向けてはどうだ? お主もそろそろ嫁御をもらう年だろ」

 年長の政景が口をはさんだ。この政景、留守氏に養子にいったが、政宗の父輝宗の弟で、成実の父の甥にあたる人物である。家中のご意見番である。

「わしは、おなごは苦手だ。何をしゃべったらいいかわからん」

「しゃべる必要などない。お主の得意な突撃をすればいいだけじゃ」

 という政景の言葉に一同が大声で笑った。笑いが収まったところで、政宗が口を開いた。

「そのことは叔父御に任せるとして、さて次の相手だが、小十郎どう考える?」

「ここは上杉しかおりませぬ」

 一同がうなずいた。

「だろうな。それでどう攻める?」

「本来ならば、村上城の本庄氏(51才)を攻めるところですが、村上城は堅固な城で本庄氏は越後一の策士でもあります。力攻めはできませぬ」

 皆、深刻な顔をして、さもありなんと思っている。

「そこで、今回は越後を分断させます」

「越後の分断とは?」

 一同が不可解な表情を見せた。一人政宗だけが

「行き先は新発田か?」

「さすがお館さま。新発田は先の戦で謙信公につぶされていますが、直江氏(31才)の力で復興されつつあります。ここが完成すれば、やっかいなことになります。まずは、上杉勢に占領されている国ざかいの津川城を奪い返します。そこを拠点に中越をわがものにします。中越は、上杉の米どころ、ここをおさえられたら上杉も困るので城からでてくると思われます。大きな野戦でつぶしまする」

「おおっ! すり上げ原の戦いを思い出すな」

 成実は若き日の初陣を思い出していた。

「本庄氏が裏から攻めてくるのでは?」

 慎重派の茂庭が口を開いた。

「確かにその可能性はあります。しかし、本庄氏と上杉殿の仲はよくありませぬ。本庄氏は自分の国を造りたいと思っているので、上杉から離れるいい機会と考える可能性もあります。それに義光殿(45才)に村上城があくかもしれませぬ。と伝えれば、国ざかいまで兵をすすめると思います。庄内の宝蔵寺勢を破った勢いがありますゆえ、隣の村上城は喉から手がでるほどほしいはず」

「最上の伯父御ならば、そうするな」

 皆、うなずいている。

「中越を占拠したら、春日山城攻めでござる。春日山城は山全体が城でござる。しかし、山林に囲まれ火攻めに弱いと思われます。乾燥している日々に、火攻めをすれば、敵は山を降りてくると思われます」

「小十郎、お主は春日山城を見てきたのか?」

 政景が問うた。

「まさか、敵の本拠地でござる。冬に雇った修験者たちの報告をまとめた結果でござる」

「世はまさに情報戦だな」

 政景が感心している。

「桶狭間の戦いを思い起こせよ。信長公が勝ったのは、梁田氏がもたらした情報によるものだ。恩賞も梁田氏が一番じゃった」

 政宗が諭すように話した。政宗は亡き信長公を敬愛している。何かと真似をしたがる傾向がある。

「春日山城の次は?」

 成実は、先へ先へとすすみたがる。小十郎が答える。

「信州でござる。今や、真田氏の力はあなどれぬ存在です。北条殿に上州の沼田と岩櫃(いわびつ)を差し出せば、のってくると思われます」

「その先は?」

 成実は、しつこく聞いてくる。

「残念ながら、今はここまででござる。信州を攻めるのは早くても2年先。その時には諸国の事情も変わっていると思いまする」

 皆、当然のことと聞いている。成実だけが

「天下は遠いな」

 とぼやいた。一同、含み笑いを隠せなかった。

「ところで小十郎、北条の動きはどうじゃ?」

「はっ、情報を整理すると、北条は動く気配はありませぬ。秀吉に奪われた支城を取りもどし、佐竹氏も傘下に入れた今、安穏としております。北条氏(29才)は、毎日女房衆と酒席にふけっております。とても天下をとる器ではございませぬ」

「そうか、祖父の氏康公は偉大だったな。では、この冬にどうする?」

「政景殿は、浪人の採用をお願いしたい。今までは数が大事でしたが、これからは一芸に秀でた者を採用していただきたい」

「うむ、承知」

「成実殿は、錬兵にあたっていただきたい」

「任せておけ」

「茂庭殿には兵糧や矢玉の確保をお願いしたい」

「鉄砲はいかほど?」

「最低1000は必要かと」

「あい分かった」

「おのおの頼むぞ」

 という政宗の声で評定はお開きとなった。小十郎はその後も情報収集に心がけた。


 1592年4月(政宗25才)、雪がとけたので、津川城に侵攻した。会津と越後の国ざかいにあり、春日山より会津の方が近い。山城であるが、小さな城なので2000ほどの守りしかいない。そこに2万の軍勢が攻め込んだので、一日ももたなかった。その勢いで、新発田城攻めを行った。新発田城は水堀で囲まれた平城である。まだ修復中だったので、直江氏(32才)は城を捨てて自分の居城である与板城に引き揚げていった。政宗勢はさしたる苦も無く、中越を支配できたのである。

 本庄氏(51才)は、最上氏(45才)が隣の鶴岡城に来ているので、うかつに出ることはできなくなっていた。

 5月になり、上杉勢は2万の軍勢で津川城奪取にやってきた。そこで政宗勢も2000の新発田城守備隊を残して、津川城へもどった。津川城の東、五泉の原で激突することとなった。朝もやがわいて、見晴らしはよくない。

 政宗勢1万8000は鶴翼の陣で上杉勢を待ち構えた。中央に政宗本隊5000。ここに小十郎(35才)の鉄砲隊1000が含まれている。右翼は政景殿(43才)の3000。最右翼は成実(24才)の騎馬隊2500。左翼は屋代(29才)の3000。最左翼は黒川(69才)の騎馬隊2500である。後詰めに茂庭(43才)の2000。こちらは主に補給部隊である。それと黒はばき組の者がいたるところに伏せている。その数100名ほど。

 朝もやが晴れると、上杉勢が見えてきた。得意の車がかりではなく、横一文字の陣をとっている。そしてじわじわと進んでくる。数に勝るので、力攻めにする算段である。

 弓矢の射程距離に入ったところで、お互いに矢の応酬となった。政宗勢は盾を持っているので、それほどの被害はなかった。そして槍隊の激突である。お互いに長槍でたたき合いが始まった。ガチャンガチャンと壮絶な音がしている。勢力は互角である。そこで政宗は槍隊を一時退かせた。すると敵はここぞとばかりに追撃してきた。槍隊が左右に分かれると、そこに1000挺の鉄砲が待ち受けている。一斉射撃で相当数の槍隊が崩れた。そこに左右から騎馬隊が突っ込んでいく。長槍を一度かわせば、間合いがつまって有利となる。騎馬隊の短槍の方が強力だ。敵をなぎ倒せる。その訓練を何度もやってきたのだ。敵の長槍隊2000は壊滅状態になった。その戦いの様子を見ていた政宗は、味方の中の赤母衣の武者が相当数の敵をなぎ倒しているのに気づいた。

「小十郎、あの赤母衣はだれじゃ。皆、黒母衣なのに変わった奴じゃの」

「あれは前田利益(51才)です。別名前田慶次。生まれは信長公の家臣滝川一益殿の一族でしたが、信長公亡き後、前田公に見いだされ、その一族の養子になりました。ですが、元来かぶき者ですので、二代目に疎まれ放浪生活をしていたところ、我が配下になったのです。上杉には因縁があるらしく、また隠密ではないということを明らかにするために奮戦していると思われます」

「成実にも勝るとも劣らぬ人物だの。またいくさばかが増えたな」

「さようでございますな」

 優勢な戦いぶりに目を細めていたら、左翼から敵の新たな騎馬隊がなだれこんできた。その数およそ1000。皆、赤備えである。旗印は六文銭。

「あれは真田の援軍か!」

 政宗が叫んだ。

「さようでございます。おそらく上杉の人質となっている次男の信繁(25才)と思われます」

 小十郎は迷うことなく答えた。

「まるで光のごとく一直線にわが陣を突っ切っているではないか。まずいぞ。一度退かせよ。陣形を整えよ」

「はっ、早速」

 小十郎は、ホラ貝と陣太鼓で退却と陣形の再形成を知らせた。何度も錬兵を繰り返したので、すぐに陣形をもどすことができた。槍隊は槍ぶすまで敵の騎馬隊をおさえている。鉄砲隊がその隙間から撃ち始めた。さすがに敵の騎馬隊は攻め込むわけにはいかず、退却していった。その日は、これで終わった。しばしのにらみ合いの上、夕刻には敵は引き揚げていった。勝ったのかどうか複雑な気持ちだったが、中越を守り切ったことは確かである。それはよしとしなければならない。

 その夜、政宗は利益を呼び出した。

「本日のお主の働き、格別のものがあった。なにか恩賞を与えたいと思うが、領地がいいか、金子(きんす)がいいか、宝物がいいか、言ってみよ」

「お目をかけていただき、ありがたく存じます。拙者ののぞみはただひとつ。先陣の栄誉のみ。常に先陣で戦えることを保証してくだされ。領地をもらえば、家来を養わなければなりませぬ。拙者は人の面倒を見るのが苦手でござる。一人でいた方が気楽というもの」

「小十郎、やはりいくさ〇〇だな」

 政宗は小十郎を見て、同意を求めた。小十郎もにやにやしながら、まさにそのとおりといいう顔をしている。

「よし、わかった。お主には常に先陣の隊に入ってもらう。ほうびとして、わしの馬の中から気に入ったものを使え。馬番には伝えておく」

「はっ、ありがたき幸せ」

 翌日、新発田城には成実を城主として1万を残し、政宗は一度会津にもどった。利益は成実配下とした。領地はないが、5人扶持(家来を5人養える程度の米を支給)とした。津川城には、黒川氏(69才)の2500を置いた。どちらも騎馬隊を主とする部隊なので、いざという時には動きやすい。

 

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