第32話 ドキドキの予約

 外に出るのも悪くないな……。

 ここ最近の俺はそんなことを思い始めていた。一か月前の俺であれば、そんなことを思う余地は全くなかったからな。

それまでの俺は家の外にあると勝手に思いこんでいた蹂躙されるような攻撃から逃げているだけだった。拷問に等しいと思っていたそれに自ら身を投じる覚悟は俺は持ち合わせていなかったからな。……まあ、結局のところ全部妄想っだったんだけどな。当たり前だけど。いや、外に出るのが拷問だと思っていた時からただの被害妄想だというのは薄々分かってはいた。ただ、勇気と覚悟がなかっただけだ。

 その勇気と覚悟を花月、菊原や広田が付与してくれた。本人たちに自覚はないかもしれないが、俺にとってはあれはあまりに大きすぎるきっかけだった。……本当、ありがたいな。

 と、勉強終わりに物思いにふけっていると、家のチャイムが鳴った。……今日は金曜日なので、恐らくあいつだろう。俺は玄関に向かうため、階段を下りていく。なんか少しだけ胸の高鳴りがあった。これは嬉しいからなのか緊張しているからなのかは微妙なところだけどな。

「一週間ぶりだね。」

「ああ、そうだな。」

 扉を開けると、そこには菊原海桜がいた。先週話し合ったときにまた毎週金曜に行くと言ってくれ、今日がその最初の日だ。別に花月が来る前は毎週会っていたのに、何だか菊原と会うのに気恥ずかしさを覚えていた。……何でこんな感情になっているのだろうか。

「じゃあ、これプリント。」

「ああ、いつもありがとな。」

 言いながらプリントを受け取る。この前、楽しく遊んで少し関係が修復したところなので、もっと何か言うべきなのかもしれないが、それまでずっと、プリントを受け取るだけだったので、言うべき言葉が思いつかなかった。まあ、そもそも口下手っていうのもあるが。

 菊原のほうもすぐには帰らず、かといって何か言葉を発することもなくただただ立ったままだった。変化しているところといえば、ちょっと目線を動かしてみたり、口元を曲げてみたりそんなところだけだ。

 俺からしてみれば少し気まずい感じの沈黙した時間が流れていた。……何を言えばよいのだろうか?難しい。

 俺が思案していると、菊原のほうが先に口を開いた。

「……高鷹ってずっと暇だよね?」

 大きめの切れ長の目で、少し上目遣いでそう聞いてくる菊原に、不覚にもドキッとしてしまった。

「……そりゃ、もちろん。何てったって学生の身分なのに学校に行ってないからな。定年退職したあとの老人くらい時間はある。」

 俺が冗談ぽくそう言うと、菊原は少し口角を上げる。ちょっとでも琴線に触れたようで何よりです。

「じゃあ、ちょっと私行きたいところがあるんだけど。広田と3人で。」

「……どこだ?」

「吉川遊園地なんだけど。」

「……なるほど。」

 吉川遊園地、か。この県には二つの遊園地があるのだが、件の遊園地は規模的には大きい方だ。そんなに大きくはないものの観覧車やジェットコースターなどがあり、まあ楽しく遊べる場所ではある。ただ、遊園地か……

「多分土日どっちかになるよな?」

「まあ、それはそうだね。」

 年中有休の俺とは違って、菊原たちは学校に行っているので、平日なんかに行けるはずがない。じゃあ、結構人混みが激しいだろうな……。ちょっと嫌だなあ。

「やっぱり、難しい?」

 菊原は珍しく弱弱しい声でそう聞いてくる。……そんな言い方をされて断れるわけがない。というか、そんな言い方させちゃダメだったな。

「いや、全くもって問題ない。……じゃあ、行くか。」

「……うん。」

 笑顔で菊原は返事を返してきた。分かりやすく笑ってはいないものの、微笑みをたたえて明らかに喜んでいる様子が伝わってくる。……この表情が一番だな、菊原は。

「じゃあ、また連絡するね。広田がここ数週間は忙しいって言ってたから、月末とかになるかも。」

「ああ、分かった。……ありがとな。」

 俺がそう返すと、菊原は手を振りながら帰っていった。はぁ……、緊張したが、不穏な空気にならずに、むしろ良い空気目で終われたから良かった……。

 俺が胸を撫でおろしながらリビングに戻ろうとすると、ドアの隙間から覗いている花月と目が合った。

「……見てたのかよ。」

 俺がそう漏らすと、花月は親指を立てるだけ立てて、何も言わずそそくさとリビングの方に戻っていった。……なんだよ、あいつ。

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