第27話 出発と先生

「それでは、行ってきます!」

 玄関で花月は元気にそう挨拶をした。今日は花月がテストを受けに行く日だ。

 祖母が来た日から一週間、2日に一回みっちりと花月に勉強を教え込んだ。ちょっとやる気が出ていたので、別に先生役を毎日でも良かったといえば良かったのだが、花月的には俺の勉強時間が減ってしまうからとかであんまりだったらしい。どの口が言ってるんでしょうかね、全く。なので、時間が許す限り教えたつもりではある。途中、意外に頭が良かった重村に手伝ってもらったりもしたし。花月が勝手に呼んだときはどうなることかと思ったが、見た目に似合わず学生の頃から勉強は出来るほうだったらしい。ただの脳筋だと思ってたんだけどな。……まあ、それでももちろん中学の範囲は超えられなかった。あと、もう一つか二つか三つくらい踏ん張れば超えられる可能性があるところまでは行ってたんだけどな。まあ、それは来月に期待しよう。

 じゃあ、最後に俺の素直な気持ちを言っておくか。

「ああ、気をつけてな。信号はちゃんと青になってから渡るんだぞ。切符の買い方は分かるか?」

「……小さい子扱いしないでください。信号を見ている回数も切符を買った回数も陽輔君より多いんですから、心配いりません。」

 俺のちょっとしたイジリはどこ吹く風、見事にカウンターパンチを食らってしまった。本当、ただではくらってくれませんね……この子は。

「傷をえぐってこないでよ……。」

 俺は繊細な子なのだから、ガラス細工を扱うくらい丁寧に接してほしいものである。まあ、俺が仕掛けたので俺が悪い。

「陽輔君から攻めてきたので、おあいこです。では、今度こそ行ってきます!」

「ああ。」

 花月の元気のよい挨拶に俺は手短にそう返した。

 が、花月はドアを開けたと同時、歩みを止める。一体どうしたのだろうか。

「……絶対大丈夫。絶対大丈夫。」

 俺が不思議に思っていると、何やら花月のほうからぶつぶつとそう聞こえてきた。ちらっと横顔を伺うとさきほどまでとは違い、シリアスな表情になっている。

 本当に大丈夫なんでしょうかね……。何か急に心配になってきたな……。

「大丈夫だと思うぞ。毎日精一杯やってきたわけだし。それに、失敗したところで俺より下になることはないからな。気負わなく良い。」

 俺がそう言うと、花月はフッと笑む。

「……そうですね。ありがとうございます。」

 花月はそう言って、扉を閉めた。まあ、なるようになるだろう。

「陽輔君は私より人間出来てますよ。」

 見送って、ホッと一息ついたところで、急に再び扉が開き彼女がそんなことを言ってきた。そして、扉は再び閉じられ、そこには呆気に取られた一人の男子が立ち尽くしていた。

 ……そんなことあるわけないけどな。

 そう思いながら俺はリビングへと戻る。本当、あいつは俺のことを買いすぎだ。もっと、人の見る目を養うべきである。

「今日は菓子パンで良いか。」

 そう思いながら冷蔵庫の上に置いてあるバターパンの袋を引っ掴む。久しぶりに食べたが、やっぱり美味いな。美味い美味い。

 食べながら俺はここ一週間の出来事を思い返していた。

 花月に勉強を教えるのは中々歯ごたえがあった。一応、その前の週も何となくな感じで基礎から教えていたのだが、テスト対策となればまた話は別だ。まあ生憎、テスト範囲で必要な学力に追い付いていない花月では、テスト対策だけの勉強はなかなかできなかったが。

 本当教えるのは大変だった。最初のほうはbe動詞の過去形の「was」も知らなかったし、2(a+b)を分配するやり方も知らなかったし、でなかなか骨が折れた。

 ……でも、まあそこからでも黙々と机に向かって必死に勉強していたし、分からないところがあれば即座に質問してきたりしていたので、最低限の知識は身についていると思う。あくまで最低限ではあるが。

 俺は花月が笑顔で帰ってくることを祈りつつ、パンを頬張りレモネードを流し込む。俺はパンを食べるときは決まってレモネードを飲み物にしており、これが本当に美味しい。相性も抜群で、パンのクラムがレモネードに溶けていくのがたまらない。

 本当に良いよな、この二つ。パンとレモネードどちらも美味い。というか、レモネードが美味い。何なら、レモネードを飲みたくて朝食をパンにするときあるからな。レモネード、最高。

 と、俺が舌鼓を打ちながら、優雅な朝を享受していると、ピンポーンをチャイムが鳴った。

「……誰だ。」

 誰だろう?もしかすると、花月が忘れ物をしたのかもしれない。いや、あいつだったらチャイム鳴らさないか。では、来客……?こんな朝早くから?そういえば、あの人は先週のこのくらいの時間に来たっけ……。あいつなのか?いや、あの口ぶりからこんなすぐ来るとは思えない。じゃあ本当に、誰だ?

 俺は不安に思いながら玄関までいき、ドアスコープを覗き見る。……ああ、この人か。……開けるか。

「高鷹元気してたか。」

「高沢先生……。」

 そこに立っていたのは高校に通っていたときの担任、高沢先生だった。

 サバサバした感じの人で、基本めんどくさがり屋な女性という印象がある人だ。担任といえば、引きこもりに親身になって何度も家を訪問するイメージがあると思うが、こいつはほとんど俺の家に来たことがなく、話し合ったのも片手で数えきれるくらいだ。その時も話し合いと言えたか怪しいレベルだった。

 俺が言うのもなんだが先生としてどうなんだろうと思わなくもない。まあ、何度も家に来られてもしんどいだけなので、俺としては丁度良いのだが。

「久しぶりだな。ちょっと話したいと思ってな。あ、また高鷹のクラスの担任になったぞ。」

「ああ、そうですか。……それで何ですか。今年に入って一回も来ていないというのに。」

 今更何だと言うのだろう。学校に連れ戻しに来たとは思えないし……。まあ、一応形式上担任だから、たまには行くかみたいな気持ちで来たのかもしれない。そんな気持ちなら願い下げである。

「そう、嫌悪するなって。悪い話を持ってきたわけじゃないからな。……HKKと名乗る人が来ただろ?」

「……そうですね。」

 まあ、学校のほうに話が行っていないわけがない。花月とそんな話をしたような気もするし。……この話題を持ってくるのなら、ちょっと遅すぎる気もするが。

「そのことについて少し聞きたいのと学校からの方針も話さなければいけないからな。ちょっと邪魔して良いか?」

「拒否権は……。」

「あるわけないだろ。絶対に伝えてこいって校長から言われてるんだよ。」

「……分かりました。」

 俺はこっそりため息をつきながら家へと上げる。何でこんなことを……。いや、俺のせいか……。自業自得だな。

「先生も時間がないから手短に行くぞ。」

 ダイニングテーブルの椅子に座るなり、先生はそう言った。

「こっちとしても助かります。」

「先月、HKKから学校のほうに連絡があって、高鷹陽輔君を私どもで更生に向かわせます、という趣旨の話をされてな。それで、こちらとしても学校から引きこもりがいなくなってくれるなら万々歳だから、ぜひお願いしますと返答したんだ。」

「……気持ちの部分は言わなくても良かったのでは?」

 万々歳という言い方は俺の心にとげが刺さってしまう。それに、その感情は学校側というより広沢先生個人の感情なのでは?

「必要だとも。言わないとこちらの意志が高鷹にきちんと伝わらないからな。」

「……まあ、どちらでも良いですが。」

「それで、学校側の方針として、しばらくHKKの人に任せるということになった。手を貸してくれると言ってくれているのに借りない選択肢もないからな。目的も同じわけだから。」

「手を借りるという表現が出来るほど、学校側が行動してるとは思えませんけどね。」

「本当、お前は他人事みたいに言うな。これは正真正銘お前の問題だぞ?」

「……高沢先生は俺を一人の人間として向き合ってくれてますか?」

「質問を質問で返すなと誰かに教わらなかったのか。……だけど、そうだな。私はある程度向き合ってるつもりだぞ。出来る範囲でだがな。」

「今年に入って一回も来ていなかったのにですか?」

「何回も来たら来たらでお前も迷惑だろ?これでもきちんと考えてるんだぞ。」

「……来てほしかったですよ。それで、学校含めて世界に対する文句をぶちまけさせてほしかったです。」

「世界とはまた大きくでたな。まあでも、HKKの人が来たから出来るようになっただろ?良かったじゃないか。」

「結果的にはですけどね。」

「じゃあ、私はこれで帰るとするか。元気そうでよかったよ。」

「……本当、あなたは何を見てるんだ。」

「私が見えてる世界だよ。」

 そう言って、高沢先生は家から出ていく。……結局、来る必要あったのか、これ。

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