第26話 とある人物の襲来
ダイニングテーブルに食器が置かれる音が静かに響く。俺はこの音が好きで、いつもいかに綺麗な音を響かせられるかトライしている。ガン!っていう荒々しい音よりはコトッと耳障りのいい音を響かせるために無駄に丁寧にテーブルに置いたりしていた。良い音を奏でさせることができると、気分が良くなり心が安らぐ。
花月もそれは同じみたいでいつもいい音を響かせながらテーブルに置いてくれている。……いや、そういえばこの前ガシャン!っていう音を響かせてたな。案の定、お皿を割った音だったが。
「では、食べましょうか。」
朝食の準備が終わり、俺と花月は席に着く。今日の花月シェフのメニューは野菜サラダと目玉焼きとトーストパンだ。いつも面倒だろうにきちんと料理をしたものを提供してくれる。ありがたい話である。……どっかの菓子パンばかりのシェフとはえらい違いだ。てか、それもうシェフでも何でもないただの食べる人だな。職人ではなく食人である。
そんなどうでもいいことを考えたり、花月と軽く会話をしたりしているうちに朝食も食べ終わった。はぁ……、今日も一日勉強三昧の日が始まるのか。しんどいなあ。
と、花月と俺が食器をキッチンに持っていっている最中、家のチャイムが鳴り響いた。……この音はいつ聞いても嫌いなんだよな。
「朝早くから誰でしょう?はーい。」
いつもの決め台詞を言って、花月は玄関へと向かう。毎度毎度、俺が誰か来るか分かるわけないだろう。……ほぼ居留守使ってたんだから。
しかし確かに誰だろう。こんな朝早くから。時計を見ると、朝8時を指している。配達業者とかもこんな時間から来ないだろうし。
「はーい。……あ、あなたは確か。」
少し花月に遅れて玄関につくと、そこには俺の知っている人物がいた。……マジか。
「久しぶりねぇ、陽輔。」
家のチャイムの音より嫌いな人物がそこには立っていた。
俺と花月と祖母でダイニングテーブルの椅子に座る。机の上には今しがた花月が準備した、麦茶が入っている湯呑みが三つそれぞれの前に置かれてある。
祖母……
もう70歳近くになるというのに、腰は曲がることなく逆にピンとした背筋で座っている。その姿を見るだけで俺は否応もなく威圧感を感じてしまっていた。
祖母は一口お茶を啜りゆっくりと湯呑みを置くと、血色の良い唇を開いた。
「どんな風に過ごしているか気になりましてねぇ。……果たして改善しているのかどうか。」
「陽輔君は日々成長していますよ。生活リズムも戻っていますし。」
花月は愛想の良い笑顔でそう返す。一応、事実は事実なので俺も合わせて肯く。
だが、祖母の表情は変わらず代わりに眉がピクっと動いた。
「……そんな当たり前のことを言われてもねぇ。大多数の人は普通にやってることですよ。」
祖母がその言葉を発した瞬間空気が変わった。声音には諫める成分が多分に含まれており、表情も厳しいものになっている。
横を見ると花月の顔も笑顔から睨めつける表情に変わっていた。
……そういえば、花月は祖母の性格の悪い姿を見るのは初めてのはずなので、驚いた感情もあるだろう。にも関わらず、それをおくびにも出さないのは称賛ものだな。
「……でも、前に比べたら良くなっているでしょう?」
「前がひどすぎましたからねぇ。とてもひどい状況から少し改善されようともひどいことに変わりはない。……本当、どうしようもない子ですよ。」
「……どうして、あなたたちは否定ばかりするんですか。」
花月は鋭い目つきでもってそう返す。
数日前にも見たなと思いながら俺は事態を静観する。いや、静観しか出来ないが正しいか。
「そりゃあ否定されるような立場に自ら進んでいっているからねぇ。あと少しでも立派になったら認めてやることもやぶさかではないけれど。」
本当伯父と似たようなことを言うな、この人は。似た者親子って感じだ。……苦手だし、嫌いだ。
「……救いの手を差し伸べようとはしないんですか?」
「手を差し伸べることは別にしても良いんですよ。したくないわけでもない。でも、ただ一方的に助けるだけじゃ何の解決にもならない。きちんと自分が置かれている立場を認識して、こちらの言葉を全て受け止めて、それが出来ていると確認できて初めて手を差し伸べようと思える。だから、こちらも思っていることを包み隠さず話している。ただ、それだけのことですよ。」
人は助けたいと思う人だけ助ける。
それは当たり前のことで、全員を助けようと思っても体力も時間も足りなさすぎる。対象の人を助けるべきかどうか判断してから手を差し伸べるのはごく自然のことだ。 ……もちろん、今助けなければ手遅れになってしまう人を除いて、だが。
俺みたいな助けなくても一応は生きていける人は天秤にかけられるのだ。自分が手を差し伸べるに値する人間なのかどうか、仮に差し伸べたときに自分にメリットがあるのかどうか。
俺は祖母からずっと試されているのだ。そして、もしも助けるに値しないとそう判断された時は何の躊躇いもなく俺を見捨てるのだろう。……まあ、俺としてはそれでも構わないわけだが。
現状では助けるに値しない気持ちのほうがかなり大きいのだろう。……天秤傾きすぎて壊れてしまうのも時間の問題だ。
「……陽輔君のためを思って言ってあげてると?」
「もちろん。本当に辛いのは無視をされることですからねぇ。」
「……こんな状況、無視されるより辛いでしょ。」
花月は祖母に聞こえないくらいの小声で吐き捨てる。
……それに関しては俺もそう思ってしまう。無視されたことは一応まだないので、想像でしかないけどな。
「それで、陽輔はいつ学校に通うようになるのかしら?」
祖母は退屈そうな感じで花月に尋ねる。
そんなの分かるはずがないだろう。俺だって分からないのに。……本当、性格が悪い。
「……まだ、具体的には決まっていません。陽輔君の気持ちを考えながら……」
花月がしどろもどろに答えていると、祖母は盛大にため息をついた。
「はぁ……。文夫から聞いていたけれど、話通り期待外れのようですねぇ。」
「……どういうことですか。」
「私は陽輔を一刻も早く学校に復帰させたいんですよ。学校にきちんと通って卒業して、良い大学に入って、大企業に就職する……それが良い人生を歩むための一番の方法になる。特に私と同じ名字になった以上、その王道の道しか許しはしない。」
祖母は怒気をはらんだ口調でそう言った。
祖母がそう言うのには理由がある。
目の前にいる高鷹幹夜は『
「復帰してもらいたいのは私どもも同じですが、それしか許されないと視野を狭くする必要はないんじゃないでしょうか。」
「視野が狭いのはそちらのほうですよ。王道の道の先にしかない景色がこの世にはある。しかもそこはとても広い大地が広がっていて、未来を選びたい放題の場所。他の道には存在しえない世界なんですよ。」
「……」
花月は無言で祖母をにらみつける。反論の言葉がなかなか浮かばないのだろう。祖母の言葉も一理あるわけだしな。
「まあ、こんなところかしらねぇ。一応、一度はお願いした手前、すぐに追い返すような真似はしませんが、……まあ、7月あたりがリミットでしょうかねぇ。」
祖母は壁にかけてあるカレンダーを見ながらそう呟く。
3ヶ月後か……。俺が言うのもなんだが、結構早いな。無理難題じゃないか?
俺が祖母に責めるような視線を送っていると、横から力強い言葉が聞こえてきた。
「それなら心配いりません。私もそのくらいのつもりでしたので。」
「……それまでに陽輔が学校に通うようになると?」
「はい。」
「そう。……まあ、期待せずに待っておきますよ。」
祖母は立ち上がって、扉へと向かいながらそう言った。
そして、振り返ることもなく挨拶もせずに扉を開け、玄関へと向かっていく。そのまま帰るつもりなのだろう。俺たちのことを挨拶もする価値もないと思っているんだろうな。
……俺としては、別に祖母の期待に応えられなくてもどうでもいいのだが、隣にいるこいつはそうじゃないんだろうな。
果たして、ずっと他人事のように考えてしまう俺に可能なことなのだろうか。
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