第4話 花月の朝食と強者の規範
「何この状況……。」
俺は思わずそう呟く。現在、俺は一階のダイニングテーブルに座っている。
この家は二階建てで一階にあるこの大きな部屋にリビングとダイニングがいっしょになっているという形だ。南側にテレビやソファが置いてあるリビング、北側にダイニングテーブルやキッチンがあるダイニングキッチンとなっている。そしてここは吹き抜けになっており、天井がかなり高い。
ちなみに、俺の部屋は階段を上った二階にあり、さきほどここ一階へと降りてきたところだ。
……とまあ、降りてくるまでは良かったのだが……なぜか、横にあるキッチンで花月が鼻歌を歌いながら料理をしていた。
「別に良いって言ったんだけどな……。」
俺は家にある菓子パンとかでいいって言ったんだが、花月はなぜか頑なに拒否してきた。本当、不思議な奴である。
「今日陽輔君は今までにないくらい労力を使ってもらいますからね」と言われ、しぶしぶ俺が折れたという状況だ。もう、謎が謎が過ぎる……。急に同級生が一人称を変えたときくらい謎だ……。
それに、今までにない労力って何?その同級生が何事もなかったかのように急に一人称を元に戻したときくらい怖いんだが。
「ベーコン焼いたら完成なので、もう少し待っていてください。」
花月は振り返り、ニコッとした笑顔でそう言った。
……しかも、そこそこな種類作ってるんだよな。味噌汁とベーコンエッグとキャベツの千切りの三つだ。白ご飯は冷凍された余りものがあるので、それを使用しているが、それでもこんな今さっき来た家で作る料理にしては気前が良すぎる。
本当、これからどういう生活が待っているんだ……?不透明すぎて、頭が真っ白だ……。どうしてここまでしてくれるのだろうか。
「それは、私の役目だからですよ。」
「え……?」
何で心で思った疑問にこいつは答えてるんだ?……ハッ、まさか声に出てた?人と喋ることがなさ過ぎて独り言が多くなっていたことがあだとなったか……。一生の不覚。羞恥。
「私は陽輔君に外の世界に出てもらうためにここに来てますからね。このくらいはやって当たり前です。」
「あ、ああ、そう……。」
やばい。独り言を聞かれた動揺が激しすぎて、あまり耳に入ってこなかった。まあとりあえず、役目だからやっているということは分かったから良しとしよう。
「仕事でもありますし、それが使命でもあります。それに……」
花月はそこで言葉を区切って一呼吸置いた。
恥ずかしさに苛まれていた俺だったが、自然と顔が花月の方へと向いていた。
「それに、私がやりたいことでもありますし。なので、共に手を取り合っていきましょう!」
「……ああ。」
花月の言葉は波が立っていた俺の心を静かな凪の状態にする作用を持っていた。
なぜか安心感を覚え、心にぶら下がっていた重荷がほんの少しだけ消えていく感じがした。同時に、闇が広がっていた心の中に一筋の温かみのある光が差し込んだ気がする。
何だろう、この不思議な感覚は……。初めての感覚なので的確な表現は思いつかないが、悪くないものということだけは言える。
「まあ、陽輔君の歩幅で……ぁぁあああ!」
俺が少しだけ感傷に浸っていると、キッチンのほうからとんでもない悲鳴が聞こえてきた。……何だ?
「ベーコンがまっくろくろすけに……。」
黒焦げになったベーコンを菜箸で掴む花月を見て、そういえばドジっ子だったなと俺は花月の評価を頭の中で元に戻していた。
「では、いただきます。」
「……いただきます。」
色々あったものの花月作の朝食は完成し、俺と花月は対面でダイニングテーブルの椅子に座って、今ちょうど食べ始めるところだ。机の上に並べられている料理たちはどれも見た目が美味しそうなものばかりである。
とりあえず、俺は綺麗なベーコンを口の中に放り込んでみる。カリッという音が口の中で響き、ベーコンの美味しい味が広がっていく。火の通り具合も色も良さそうだったので、心配はしていなかったが、普通にとても美味しいベーコン炒めだった。失敗は成功の元とはよく言ったものだな。
「……不安そうな感情が顔に出てますよ。」
「マジ?……それはごめんなさい。」
ため息をついた花月を見て、俺は即座に謝った。
口に出さないように気を付けてたのに、考察しすぎて表情のコントロールを忘れていた。申し訳ない。
「まあ、いいですけど。」
恨めしそうに花月はボソッと呟いた。
これはお許しを得ているという判断でいいのだろうか?非常に微妙なところである。……怖いな。
「それはそうと、スケジュールそんなに不満でした?」
花月は今度は恨み純度百パーセントの声でそう言った。
えぇ……、その話さっき終わったんじゃないの?一応、双方納得したと思ったんだが。ただ、これに関しては明確な反論材料がある。
「いやだって、どこにいきなり六時起き出来る引きこもりがいるんだよ。」
「朝は時間に余裕を持って行動したほうがいいじゃないですか。」
「いや、余裕持ちすぎなんだよな……。学校に行ってるときでも七時半くらいだったぞ……。」
「掃除とストレッチと朝食と身支度と洗濯とかやることいっぱいあるので丁度いいかなと。」
「それに、二時間もかからんだろ……。」
本当、どういう思考をしてたらあんなスケジュールが出来上がるのだろうか?
「かからないにしてもまったりする時間があってもいいじゃないですか。」
「絶対その時間睡眠にあてたほうがいいだろ……。」
「確かに、それも一理ありますね。」
俺の言葉に花月は納得の言葉を返す。
一理どころか十理くらいあってもおかしくない。人間にとって睡眠がたくさん必要なことは実証されていることだし。
「ていうか、もういいだろ。さっきさんざん話し合ったんだし。」
「まあ、そうですね。……ちょっと違う意見を言ったらどう返してくるのかなと気になってしまいまして。」
「何で、そんな試すようなことを……。もしかしてHKKの方針なのか?」
俺は疑問を口にする。対象者の力量をはかって、どうしたら早く学校に通うのか対策を練っているのかもしれない。もし、そうだったらちょっと良い気はしないな。
「いや、ただの個人的な興味です。」
「……ああ、そう。」
あっけらかんと返す花月に俺は虚を突かれた感じになった。
何かさっきもこんな感じだったな……。俺が考えすぎなのだろうか?まあ、そうなんだろうけど。
「それにしても陽輔君受け入れ早いですよね。もっと抵抗されると思ってたんですけど。」
「……まあ、それはな。いつか、強制的に引きこもりの状況から脱却させられる何かしらの方法をとられると思っていたからな。まあ、こんなことになるとは思っていなかったが。……それほどまでに親戚連中の敵対的な態度が凄まじかったからな。」
俺の親戚たちのほとんどが俺のことを良く思っていない。こうなる前から俺に対する当たりは強めだったが、引きこもるようになってからはよりそれが顕著になった。会うたびに「いつ学校に行くんだ」とか「お前なんか一家の恥だ」とか否定的なことばかり言われていた。
もちろん、そんなことを言われても仕方ないとは思っているが、頭では分かってはいても精神的な負担にはなっていた。
……こんなことを思うのはお門違いかもしれないが、何であいつらは何もかも知っているはずなのに、そんなことを言えるのだろうとずっと思ってしまっていた。まあ、仕方ないんだろうな……。
「私が最初に挨拶させてもらった時から、私たちの方針にとても好意的でしたからね。何なら、今すぐお願いしますみたいな感じでしたし。」
「そうだろうな。」
今までのあいつらの態度から察するに、そうなるのは想像に難くない。状況的にはその態度のほうが合っているのかもしれないな。悪いのは俺……なのだろうから。
「こちらとしては協力的に越したことはないですが、あそこまで好意的だと逆に引いてしまいました。」
「そんなにか……。」
笑顔……だったんだろうな。
「あの額縁もひどいですよね……。」
「ああ、あれな。」
俺はそう言って花月の視線を辿り、キッチンと反対側の壁を見上げる。そこには『向上心のないもの高鷹にあらず』と書かれた額縁が飾ってあった。広くて白い壁のちょうど真ん中くらいにそれはあり、丁度キッチンから見える構図になっている。料理をするときに嫌でも目に入り、徐々に心の体力を削る仕様だ。……まあ、飾ったやつはそれが狙いなんだろうな。
「あれは誰が……?」
「祖母だ。俺みたいなやつを一番許せないのはあの人だろうからな。」
俺の祖母はとても厳格な人で、自分にも他人にも厳しくをモットーに生きている人だ。もう、七〇歳近くになるというのにまだ料理屋で働いており、バリバリ経営もこなしているらしい。
そんな祖母が俺が引きこもりになっていると聞きあの額縁を自ら飾りに来た。
確か、あれは去年の九月上旬頃の出来事だ。朝方に急に家に入ってきたかと思うと、特に何も喋ることなくテキパキと立てかけ、「こういうことだからねぇ」と言い放ち、帰っていった。
俺はしばらく額縁をボーっと見つめ、一分くらい経ったところで急速に不安と悲しみに包まれたことを覚えている。……あの時は絶望感しかなかったな。
「そんなことをする人には見えなかったですけどね……。」
「俺の家系はみな嘘をつくのが得意だからな。……だから、お前も気を付けたほうがいいぞ。」
本当に外面だけはいいからな。警戒しておくにこしたことはない。というか、しておかないと心が持たない。
「……分かりました。」
俺の言葉に少し動揺しながらも花月は了承の言葉を返した。
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