第3話 若手有望株の提言

「私は引きこもり更生協会……通称HKKから来た花月かつき葉奈はなと申します。」

 小娘は対面に座り、お辞儀をして名刺を渡してきた。そこには、引きこもり更生協会、チューター、花月葉奈と書かれている。

 ……果たして、これは本当に現実なのだろうか。俺としては、今の状況をあまり受け入れられておらず、未だ夢なのではないかと疑っているところだ。まあ、それにしては全てが鮮明ではっきりしすぎてるんだけど。

 ちなみに、件のドアは壁に立てかけられており、前に正座でちょこんと座っている小娘……花月曰く後で、誰かが直しに来るらしい。さっきどこかに電話してたしな。

 それから今更だが、俺ジャージ着てるんだよなあ……。こんな格好で初対面の人と話していても大丈夫なのだろうか。話相手の花月はザ・外に出る用の服の制服っぽいやつを着ているわけだし……。

 まあ、ここで「着替えても良いか?」なんて聞く勇気もないので、このまま会話を続けるしかないけどな。

「俺は高鷹こうたか陽輔ようすけだ。漢字のほうは高いに……「ああ、知ってますよ。」……なぜ。」

 花月に倣って俺も自己紹介をし始めたのだが花月が途中で割り込んできた。

 しかも、俺には理解しがたいことを言っている。何で、知ってるんだ……。

「ある程度あなたのことを調べてるって言ったでしょう?対象者のことは最優先事項ですし。」

「……その対象者っていうのは?」

 なんだか不穏な呼称なんだよな。モルモット感がすごい強い。

「ああ、すいません。こちらでは担当する引きこもりの方のことを対象者と呼んでいます。それだけのことです。」

 別に他意はないので、気にしないでくださいと花月は付け加える。まあ、別に他意があろうがなかろうが、こちらとしてはどちらでも構わないところではある。……気には全然していないよ?

「そうか。……それにしても、引きこもり更生協会……、初耳だな。その協会は世間的に有名なのか?俺は社会というものと関係を絶ってるから、分からないんだが……。」

 もしかしたら、世間的にはほとんどの人が知っている組織なのかもしれない。まあ、関係を絶っているといっても、暇なのでたまーにニュースを見ているが一回も聞いたことがない。ネットの世界でも見たことないし……、本当に存在している組織なのだろうか。

「安心してください。この協会は秘密裏に活動していますから、知ってる人はごくごく一部です。存在がばれてしまったら、色々と問題が生じますし……。」

 花月は俯き加減にそう言った。

 何だか地雷が埋まってそうな言い方だな……。それを踏み抜いたら社会的に死が待ってそうな感じがする。

「そうなのか?どんな問題があるかは分からないが……。で、その……HKKだっけ?ってどんなところなんだ?」

 俺がそう質問すると、花月は向き直り真剣な眼差しをこちらに向けた。

「はい。私が所属するHKKは引きこもりたちのところに直接訪れ、再び社会に出てもらうために活動をしている組織です。引きこもりの数は年々増えていて、なかなか深刻な問題になっていますからね。」

「それはそうだな。テレビとかのメディアでもたびたび取り上げられているし。」

 様々なメディアで、「どうすれば引きこもりが減るのか?」なんて議論をしているが、そんなの意味ないと思うんだよな。そこで出た意見なんて、もうすでに専門機関とかで話し合われているだろうし、軽く話し合ったところで目からうろこな意見なんて出るはずがない。

 それに、あれの真の目的って俺たち引きこもりを晒して、見世物にすることなのだろう。「今の引きこもりの現状」なんてタイトルで取り上げて、この人たちはこんなに無様なんですよ、って言いたいだけだろ。

 人は自分より下の人たちを見て安心する生き物だからな。俺たちを精神安定剤に使いやがって、本当にイライラする。……好きで引きこもりになった訳じゃないやつもいるのに。

「そうですね。だから、私たちは何とか減らしていこうとしているんです。家に閉じこもってばかりいても、出来ることは少ないですから。」

「……お前も引きこもっている人たちを馬鹿にしてるのか?」

 花月の意見に少し苛立ちを覚える。……あたかも俺自身の全部を否定されているみたいで気分が悪い。

「馬鹿にしているわけではありません。ただ、小さな家の中で、自分一人の世界で閉じこもっていても、出来ることに限界があります。外に出て、色々な人と手を取り合って、成長していくことが人生をよりよくするために必要だと思うんです。それに、それが案外楽しいってことに気づいて欲しいんですよ。」

「まあ、確かにそれは素晴らしくて良いことかもしれないが、生憎、俺は自分の人生を良くしていこうなんて全く思わないんだよ。もちろん、俺だって伊達に十七年生きてきているわけじゃない。それが楽しいと感じたことも過去にはあった。でも、今の俺は社会に対して、……外の世界の全てに、何も希望をもっていない。何をしても上手くいく気がしない。もしも仮に上手くいったとしても、それが何だっていうんだよ。……今の俺にとってはそれさえも虚しく感じてしまうんだ。」

 俺は誇張のない本音を口にした。何かを成し遂げたいとか何かが欲しいとか、そんな感情は失われてしまった。何もかも俺の中ではほとんど終わってしまっている。……あの日から全て。

「……誰だって、悩みはありますし、問題が解決出来ずに途方に暮れることもあります。でも、皆それを乗り越えて、懸命に生きてるんです。その先に、喜びや楽しみがあると信じているから。実際にあると知っているから。だから、あなたもあなたの歩幅でいいので、進んでみてください。いつか振り返ったとき、自分の見ていた世界は小さかったなと思うはずです。」

 ……そういうものなんだろうな。花月の言い分は至極真っ当で、みなそう思って生きているのだろう。ただ、目の前にある壁を乗り越えようと策を練って行動して、乗り越えられたら万々歳だし、たとえ乗り越えることが出来なくても成長にはつながっていく。そういうサイクルの中で生きているのだろう。人は徐々に変化して進歩していく生き物だからな。

 ……しかし、それは成長する理由を持っている者だけだ。この人に褒めてもらう認めてもらうために頑張るとか、あいつには負けたくない劣っていると思われたくないから努力するとか、自分の定めた目標を達成するため昨日の自分より成長するために日々勤しむとか、何でもいい。何か一つでも理由があるから人は頑張れるのだ。

 逆に言えば、何一つとして無い者、かつては持っていたが失ってしまった者が努力することは不可能と言って差し支えないはずだ。俺は他人への理由も自分自身への理由も何もかも失ってしまった。

――――そんなやつには、もう未来なんてやってこない。

「お前はそうだったかもしれない。でも、もう俺はここから変わらない。変わりようがないんだ!俺だって、こうなりたくてなったわけじゃない……。」

 自分でもびっくりするほどに俺は声を荒げた。……自分にこんな感情がまだ残っていたなんて驚きだ。

「……大丈夫です。私が教えます。私が強制的に変えさせます。なので、安心してください。」

 しかし、そんな俺を見ても、花月は心配いらないとばかりに、微笑みながら力強くそう宣言した。

 どうして、そんなことが言えるのだろう?俺とは今日会ったばかりで、人となりなんて何も知らないはずなのに。何かそう言える大きな理由があるのだろうか?HKKとやらのことは詳しく分からないが、もしかしたら引きこもりを引きこもりから百パーセント脱却させられる絶対的な方法があるのかもしれない。

 ……いや、そんなのがあるとは到底思えない。もしそんな二十二世紀の青いロボットみたいな解決策があるのなら、すでに俺の耳に届いているはずだ。

 いや、でも待てよ。そういえば秘密裏に活動しているって言ってたな……。もしかしたら、俺が知らないだけで本当に画期的で人知を超えそうなやり方があるのかもしれない。俺には皆目見当がつかないが……。

「……具体的にはどうするつもりなんだ?」

 俺は恐る恐る聞く。

 ……もしかしたら、本当にモルモットみたいにされるのかもしれない。

「そうですね。まずは、私が考案したスケジュールに沿って生活してもらいます。」

「……スケジュール?俺はHKKの監視下に置かれるってわけか。」

 今までの堕落した生活を変えるには、外部から強制的に正していくしかないという考えなのだろう。まあ、そのくらいしないと根付いてしまった生活スタイルは変えられない。……果たして、どんなスケジュールなのだろうか?

 俺が最悪の状況を色々考えている最中、花月は口を開いた。

「え?そんなことはしないですよ?」

 …………え?そうなのか?

「は……?いやだって、生活スタイルを強制的に変えさせるって……。」

 花月の言葉に俺は思わず、素っ頓狂な声が出る。……一体どういうことだ?

「そんな物騒なこと言ってませんよ……。私たちの方針はあくまで、自立を促すといったところですからね。」

 花月は侵害とばかりに笑顔でそう言った。

 しかし、俺にはどうしても本当のことを言っているようには聞こえなかった。

「それは建前で……?」

「何でそこまで疑り深いんですか……。あれです。私が考えたスケジュールに従ってもらうとは言いましたが、嫌なら断ってもらう……のは、気持ち的にちょっと嫌なので、変更するのはよしとします。」

 言って、花月は何度か頷く。その言葉に俺は拍子抜けしたような気持ちになった。

「……随分と良心的だな。」

「というより、陽輔君の考え方がアウトローすぎるんですよ。」

 そんなことはないと思うけどな……。この状況だったら、誰でも最悪の展開を想像してしまうだろう。

 いや、そんなことより……。

「……俺の名前。」

「何でそんな驚いてるんですか……。知ってるってさっき言ったでしょう?」

「いや、下の名前で呼ぶんだなって思って。」

 陽輔君なんて呼び方をする人は過去にも先にも一人しかいなかった。もう、その人とは会えなくなってしまったので、周りの人でその呼び方をするのはこいつだけということになる。なんだか懐かしい響きだ……。

「この家の住人にもう一人高鷹さんがいますからね。というか、親戚のみなさんも一緒の名字なので、区別するためです。」

「まあ、それはそうだな。」

「それでは、陽輔君にスケジュールを発表しますね。」

 言いながら、花月は横に置いてあったビジネスバックをあさり始めた。……スケジュールか。

「……発表自体を断ることは出来るんでしょうか?」

「フッフッフ。それを防ぐためにさっき私は断るのを断ったんですよ!」

「ああ、そう……。」

 そういえば、そんなこと言ってたな……。断られるのは嫌だって。……あれ?これだと明確に断るのを断ってはいなくない?花月の気持ちを表明してるだけだし。まあ、それを言っても違う反論が返ってきそうなので、言うだけ無駄だろうけど。

「これが私の考えたスケジュールです!」

 花月は勢いよくそう言って、卓袱台に一枚の紙をたたきつけた。

 そんな勢いで叩きつけたら、絶対手痛いだろうに。現に、ちょっと引きつった笑み浮かべてるし。

「どれどれ……」

 俺は言いながら、スケジュール表を見る。

 もしかすると……いや、もしかしなくても何かが変わっていってしまうかもしれないと思いながら、花月が作成したらしいスケジュール表に目を通していった。

「とりあえず、これが私制作のスケジュールです。有事の際には変更しますが、おおまかな流れはこんな感じです。」

 俺がスケジュール表に目を通していると、花月がそう補足する。

 そきには、一日のスケジュールが書かれていたのだが……。

「……これは厳しくないですかね?」

「そうですか?」

「いくらなんでも詰め込みすぎな気がするんだが……。」

 花月葉奈考案のスケジュール!と銘打って書かれているスケジュールはなかなかハードなものだった。

 まず、6時起床、そこからストレッチ、掃除、洗濯、朝ご飯……それが終わると、8時半から16時まで昼食をはさんで勉強50分、休憩10分を交互に繰り返すものになっている。

「何だよ、このスケジュール。朝早すぎるし……、それに学校みたいだな……。」

「そうです、学校です。学校のスケジュールを参考に作りました。」

 花月は自信満々にそう告げる。そんな誇らしげに言われてもな……。

「いや、何でだよ。」

 早寝早起きして、何をやるか決めておくのは大事なことだと思うが、何も学校と同じにしなくても……。

「今から学校のスケジュールに慣れておかないと、復帰した時にしんどくなってしまいますからね。それは嫌でしょう?」

「まあ、それはそうだが……。」

 そもそも数か月間外に出てもいないのに、今から学校のことなんて全く考えられない。今の俺にとっては学校に通うというのは遥か彼方の行動になってしまっている。

「それは安心してください。今後、絶対自ら通いたくなりますので。」

 花月はどう考えても確率の低い未来を力強く口にする。どうしてこいつはあり得ないことを当然かのように言えるのだろう。……そんな未来なんてくるはずないのに。

「詐欺広告みたいな文言だな……。何で、そんなに言い切れるんだよ。」

「私にかかれば、人との交流とか、皆で助け合う素晴らしさとか、高校に詰まっている楽しさを教え込めるからですよ。」

 胡散臭いなあ。

「本当かよ……。」

「本当です。私はHKKの若手有望株ですからね。」

 俺の疑念なんてよそに花月は自信満々にそう語っていた。……有望かどうかは俺には分からないが。

「自分で言うほど胡散臭く感じられるんだよな。そういう言葉って。」

「でも、事実ですからね。上司からも次は期待してるぞってよく言われますし。」

「それは、慰められてるだけでは……。」

 どう考えても、期待されているから出てくる言葉じゃないんだよな……。

 逆にそれを誉め言葉と取れるのはある意味才能なのかもしれない。

「……とりあえず、今日はもう朝の9時過ぎているので、朝ご飯を食べて10時くらいから勉強を始めましょう。私が家庭教師をやるので、ついてきてくださいね。」

 部屋の壁の真ん中に立てかけられている時計を見ながら、花月は笑顔でそう言った。何か、俺の言葉無視されてるな……。

「ああ、まあ、とりあえず、それでいいや。」

 今の状況の処理が追い付かず、俺はそう適当に流した。ちょっともう、頭がパンク寸前だ。

「では、私が朝食作りますね♪」

「……え。」

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