第21話 三日間の戦い

 オフィスフロアには、夜が明けても鳴り止まないキーボードの音が響いていた。


山成嘉やまなか、進捗は?」


 僕が声をかけると、白目が赤くなっている彼は画面から目を離さずに答えた。


「動作解析の精度は予定通り。呼吸の間や、些細な動きまで再現できる。あとは、学習データを増やしていくことで、ガイド通りに動ければ学習元になった職人の模倣ができる。問題は多言語対応の部分だ」


 プロジェクターに映し出された画面には、複雑な三次元モデルが浮かび上がっている。藤村さんの研磨作業を可視化したデータだ。確かに、以前より遥かに繊細な動きが捉えられていた。


「各工程の説明を、どの言語でも正確に伝えられるようにしないといけないんだが、音声解析と AI だけじゃ限界がある。最終的には、翻訳のチェックを外部に依頼することも考えおいてほしい」


 山成嘉の隣では、若手エンジニアの仁志村にしむらが眉間にしわを寄せている。多言語対応の責任者だ。


「技術用語の翻訳が特に難しくて。学習データの追加が必要かもしれません」


「その件なら」


 会議室から戻ってきた武良守むらかみが声を上げた。


「文化財団経由で、空泉そらいずみグループの海外事業部に問い合わせてみた。彼らの用語集を活用させてもらえそうだ。これから契約まわりを詰めていくんで、実際に提供してもらうのはもう少し先になりそうだが」


「さすが」


 僕は小さく笑みを浮かべた。武良守の交渉能力は、いつも僕たちを助けてくれる。


「プレゼン資料の方は?」


「ここまではできてる」


 武良守がタブレットを差し出す。画面には、グラフと図表が整然と並んでいた。


「技術継承の課題と解決策を提示して、俺たちが問題を理解していることを示している。さらに、空泉グループが狙っているグローバル展開に呼応するように、SmartBizFlow のロードマップを載せた。これは、山成嘉にも確認済みだ。そこから、文化財団をはじめとする空泉グループへの貢献の可能性と、3年間の収支予測をあげている」


 説明をしながら武良守は資料をスライドしていく。


「それから、黄巳おうみ商事との比較データも入れておいた。ただ、早矢巳専務が存在を示唆しただけなので、推定レベルでしかないが」


 黄巳商事が取り組んでいる技術継承サービスについては、どんなに調べても公開情報が見つからなかったのだ。


「あと、空泉さんから、文化芸術財団の理事の方々の関心事についても情報をもらえないかと相談している。その情報があれば、それぞれの理事に刺さる内容を提案できると思う」


 その時、オフィスフロアの内線が鳴り、受付に来客が来ていることを告げられた。オフィスフロアに案内していただくようにお願いする。


 少しして、オフィスフロアに新しい人影が現れた。


「おはようございます」


 藤村さんだった。昨日の連絡を受けて、早朝から来てくれたようだ。


「改良版のシステム、見せていただけますか」


「もちろんです」


 山成が画面を切り替える。


「これが最新のプロトタイプです。先日収集させていただいた藤村さんの研磨作業のデータを使わせていただきました」


 藤村さんは、ゴーグルを被り、手袋型のコントローラーをつける。表示された映像にそって、手を動かし始めた。今、彼が被っているゴーグルには、彼自身の研磨作業が、これまでにない精緻さで再現された映像が映っている。指先の微かな力加減から、呼吸の間まで。


「これは……」


 映像を見終えた藤村さんが、ゴーグルを外す。その目が、かすかに潤んでいるように見えた。


「若い衆に伝えたくても、言葉にできなかったことが、こんなにはっきりと」


 声には、感動が滲んでいた。


「グローバル対応の機能も、実装しています。現時点の翻訳精度は 70 から 80% 程度ですが、海外展開にも対応できる予定です」


 山成嘉がプロジェクターに新しい画面を表示する。英語、中国語、フランス語での解説が、動作に合わせて表示される。


「これなら、世界中の職人に、日本の技を伝えていくことができますね」


 藤村さんの言葉に、開発チーム全員が顔を上げた。


 その時、スマートフォンが震えた。空泉さんからだ。


九ヶ上くがうえさん、理事会の時間が決まりました」


「何時からでしょうか?」


「午後二時からです」


 時間が定まった。残り約48時間。


「理事の方々への事前説明は?」


「今日と明日で、個別に回ります」


 空泉さんの声には、強い決意が込められていた。


「藤村さん」


 僕は、まだプロジェクターの映像を見つめる彼に向き直った。


「明日、若手の職人さんたちと、最終テストをさせていただけませんか」


「ええ、もちろんです」


 藤村さんは力強く頷いた。


 オフィスフロアには、また新しい活気が満ちていく。キーボードを叩く音、議論する声、資料をめくる音。それらが全て、僕たちの決意を形にしていくための音だった。


 窓の外では、新しい朝の光が射していた。カウントダウンは、既に始まっている。

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