第18話 歪んだ野望

◇◇◇ 早矢巳 真治視点 ◇◇◇


 黄巳おうみ商事本社ビルの50階にある個室バーで、早矢巳はやみ 真治はロックで用意させたシングルモルトを一気に喉に流し込んだ。前に成果を上げた社員への褒賞で飲ませてやったときは、滅多にお目にかかれないと狂喜乱舞してたことを思い出した。だが、俺にとっちゃ腹の奥から上がってくる怒りを紛らわせるくらいにしか役に立たん。ガラス窓の外には東京の夜景が広がっているが、今はそれすらも忌々しい。


「あいつらには、俺に逆らった代償を骨の髄まで思い知らせてやる……!」


 呟いた言葉には、昨日の展示会での屈辱が滲んでいた。空泉そらいずみ 亜里沙。幼い頃から知る、あの従順だったご令嬢が、自分に歯向かうとは。いや、先日のドライブのときから様子がおかしかった。せっかく俺がランボルギーニ・レヴエルトに乗せてやったのに、何も理解していなかった。挙句の果てには、俺が考えてやった結婚式のプランや新居の計画に意見を言ってきやがったんだ。


「まさか……一介のプログラマーごときに絆されたとでも言う気か」


 ギリ、とグラスを握る手に力が入る。九ヶ上くがうえ 賢一、とだったか。起業から3年程度の弱小企業の社長風情が、俺の邪魔をしやがって。妻への教育的指導を邪魔するなど、到底許せるものではない。


「失礼します」


 ノックの音とともに、秘書の亜砂鞍あさくらが入室してきた。


「調査結果がまとまりました」


 黒いレザーファイルを差し出しながら、亜砂鞍は早矢巳の様子を窺うように言葉を継ぐ。


「TechFlow 社の主要取引先のリストと、各社の与信状況です。また、空泉芸術文化財団の関連データも……」


「遅い」


 早矢巳は差し出された黒いレザーファイルをひったくるように受け取ると、ゆっくりとファイルに目を通し始めた。そこには、TechFlow 社の経営基盤を揺るがしかねない情報が並んでいた。


「なるほどな。河羽田かわはた製作所とやらとの取引が、今のあいつらの命綱というわけか」


 薄く笑みを浮かべる。昨日の展示会で、俺の腕を掴んだジジイがいたな。あのクソプログラマーの関係者だったのか。確かに、近くに職人たちが見せていた反応は確かに良好だった。あのジジイどもが河羽田製作所の人間だというのなら、そこを潰せばいいだけだ。


「亜砂鞍」


「はい」


「明日から、ここの企業に対して個別にアプローチをしろ」


「かしこまりました。具体的な……」


「やり方は任せる。ただし」


 早矢巳は、窓際に立ち上がった。夜景に映る自分の姿を眺めながら、冷たい声で続ける。


「確実に、あの男の会社を追い詰めろ。特に河羽田製作所との関係は、完全に断ち切れ」


 亜砂鞍が小さく頷く。


「それと、空泉財団の理事会メンバーのリストも出せ。亜里沙の立場を、完全に追い込んでやる」


 グラスを傾けながら、早矢巳は昨日の朝を思い返していた。あの展示会で、亜里沙ごときに追い返された屈辱。娘の不始末は、親に拭ってもらわないとな。


「空泉会長にも、思い知っていただくとしよう」


 その言葉には、底知れぬ執念が込められていた。


「亜砂鞍、もう一つ」


「はい」


「あの弱小会社、ベンチャーキャピタルからの出資は受けていないんだったな」


「ええ。創業メンバーで持ち寄り、資本金にしているようです」


 早矢巳の口元が、不敵な笑みを作る。


「ならば、面白いゲームができそうだ。敵の懐に、毒を仕込むとしよう」


 夜景に映る自分の姿が、まるで高みから見下ろすように映っていた。


「九ヶ上 賢一」


 早矢巳は、グラスを掲げる。


「貴様の夢も、誇りも、全てを握りつぶして見せよう。そして亜里沙」


 その声が、さらに冷たさを増す。


「お前は、俺の言うとおりにしていればいいんだ。相応しい場所を、立ち居振る舞いを思い出させてやる」


 グラスの氷が、静かな音を立てて溶けていく。その音だけが、早矢巳の歪んだ決意を見つめているかのようだった。


 窓の外では、東京の夜景が冷たく輝いていた。それは、これから始まる非情な戦いの予兆のように見えた。

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