第17話 新たな決意

 日が落ちたあとの展示室は、昨日からの喧噪が嘘のように静かだった。最後の来場者が帰り、スタッフたちも撤収作業を終えて戻っていく。大きなガラス窓からは、オレンジ色に染まった空が見えていた。


「お疲れ、九ヶ上くがうえ


 武良守むらかみが、データが記録されたタブレット端末を手に近づいてきた。


「初日の来場者数だが、予想を大幅に上回った形になる。特に午後からの伝統工芸関係者の方々の出足が伸びた。あと、展示自体を申し出た企業関係者が来たのは、完全に誤算だったわ。九ヶ上も説明に入ってもらったからわかってるだろうが、芸術面っていうよりも藤村さんをはじめとする職人さんたちから収集させてもらったデータ面に興味を持たれていたな」


 その言葉に、日中の問い合わせ対応を思い出した。データの収集から加工、利用について、事細かに聞かれたのだ。できる限り説明はしたところ、どこの企業の方々かも今度改めて商談を希望された。ある意味、黄巳おうみ商事のおかげとも言える。


「あれ、そういや藤村さんたちは?」


「ああ、藤村さんたちなら、先ほどお帰りになったよ」


「え!?お帰りになるの知ってたなら声かけてくれよ」


 もともと、今回の展示会に向け、データの提供に同意いただいている。その上、昨日のプレオープン時に起こった早矢巳はやみ 真治の暴走が繰り返されるんじゃないかとご心配いただい結果、予定外に本日も同席してくださったのだ。ことあるごとに感謝をお伝えしていたが、お見送りをしなかったことで不義理と思われてしまったんじゃないかと肩を落とす。


 だが、武良守はそんな僕を見て、笑っていた。文句を言おうかと口を開こうとすると、武良守は笑いながら僕の肩を叩いた。


「俺らのデータ元になったことを紹介させてもらってただろ。合わせて、河羽田製作所さんが制作した部品の展示もしてたじゃんか。そしたら、河羽田製作所さんと仕事したいっていう会社がいくつかあってさ。明日は、若手の職人さんと専務を連れてくるって」


「そうか。よくはないけど、河羽田製作所さんにもメリットがあったみたいでよかったよ」


 昨日、早矢巳に殴られた左頬に触れる。昨日よりは落ち着いたが、普段よりは腫れている気がする。あのとき、藤村さんが止めてくれなければ、この程度では済まなかったかもしれない。


 それに、プレオープンのときから、藤村さんたち職人の反応は、予想以上に良かった。デモンストレーションで見せた技術の可能性が、確かに伝わったようだ。


 武良守と雑談していると、僕たちの展示ブースの奥から物音が聞こえた。振り向くと、山成嘉やまなかがデータのバックアップを取っているところだった。不意に山成嘉と目が合うと、アイコンタクトでその奥を見るように指示される。するとそこには、後片付けをしている空泉さんの姿が。


「空泉さん、今日のところはもうお帰りになられては……」


「大丈夫です」


 空泉さんは、手元の作業を続けながら答えた。その声には、普段の凛とした響きが戻っていた。


「それに、九ヶ上さんにお伝えしたいことがありまして」


 その言葉に、私は少し考えてから武良守と山成嘉に目配せした。二人は察したように、さっと展示室を後にする。


 静寂が広がる。街灯の光が、展示パネルに映り込んでいた。


 僕が口を開こうとするよりも早く、空泉さんが静かに言葉を紡いだ。


「申し訳ありません。まさか彼があのような形で……」


「いえ。悪いのは彼であって、空泉さんではありません」


 私は即座に遮った。


「あれは空泉さんの責任ではありません。むしろ、三大総合商社の一角を占める企業の専務でありながら堪え性のない彼の責任ですよ」


 そう言いながら、昨日の出来事が脳裏に蘇る。早矢巳の荒々しい態度。振り上げられた手。


「被害届を出すかどうかは、九ヶ上さんにお任せいたします。ただ、これからが本当の戦いになるのでしょう。今はまだ、空泉 亜里沙と早矢巳 真治さんとの個人を中心とした戦いではありますが」


 空泉さんの声が、静かな展示場に響く。


「今のところ、展示会の会期中は被害届を出さないでおこうかと思います。このままでは、空泉さんにご迷惑をおかけしてしまいそうですので」


 黄巳商事は、今日の出来事を簡単には済まさないだろう。すでに、取引先からの新たな動きも察知している。


「ですが」


 空泉さんが、展示パネルに映る夕陽を見つめながら続けた。


「いえ、彼とのことよりも、今日はとても重要な確信を持てました。そのことで、九ヶ上さんには感謝しても感謝しきれないんです」


 その言葉に、僕は黙って耳を傾けた。


「ここにいらしてくださった職人の方々の目。芸術面の見栄えだけでなく、九ヶ上さんたちが作成されたプロトタイプを前にした時の表情。それを見ていて、私たちの選択は間違っていなかったと。今進んでいる道の先に、芸術の伝統面を継続していく方法があるのだと、強く思うことができました。この思いは、九ヶ上さんの協力なしには得られなかっただろうと思います」


 空泉さんの横顔が、夕陽に照らされて輝いていた。


「技術の力で伝統を守る。それは決して矛盾でも、夢物語でもないんですね」


 その言葉に、僕も同意するように頷いた。今日一日、多くの職人たちが示してくれた反応は、僕たちの進むべき道を照らしていた。


「九ヶ上さん」


 空泉さんが、真っ直ぐに私の方を向いた。


「明日からも、一緒に戦っていただけますか?」


 その瞳には、迷いのかけらも見えない。


「もちろんです」


 私は強く頷いた。


「最後まで、空泉さんと戦いますよ」


 その言葉に、空泉さんは安堵したように小さく微笑んだ。夕暮れの展示場に、温かな空気が流れる。


 ガラス窓の外では、街の明かりが一つ、また一つと灯り始めていた。明日という新しい戦いの日に向けて、静かな準備の時間が流れていく。


 展示パネルに映る僕たちの影が、少しずつ長くなっていった。その影は、これから始まる本当の戦いへの覚悟を、静かに物語っているようだった。

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