第16話 対面

「これは本当に見事なシステムですね」


 藤村さんの声には、心からの感心が込められていた。展示会前日、会場では河羽田かわはた製作所の熟練職人たちが、僕たちのプロトタイプを前に集まっていた。


 ある職人さんが VR ゴーグルをかぶり、グローブ型のコントローラーを身につけて何かを掴んで動かしている。大型ディスプレイには、その職人さんの視界と、職人さんを簡易的に 3D スキャンして作成したモデルが研磨作業をしている姿が並んで表示されている。河羽田製作所さんのプロジェクトに合わせて独自開発したセンサーが、微細な手の動きまで捉えていた。


「こうして第三者視点で見ると、自分でも気づかなかった癖が見えてきますね」


 藤村さんは、画面に表示された研磨作業している姿の映像を食い入るように見つめながら言った。その表情には、四十年以上の経験を持つ職人としての誇りと、新しい技術への率直な関心が混ざり合っていた。


「若い衆の指導にも、これは使えそうです」


 その言葉に、僕は小さく頷いた。技術の本質は、人を支え、可能性を広げることだと思っている。僕の思い込みかもしれないが、技術の先輩である藤村さんにそれを理解してもらえたことが、何より嬉しかった。


九ヶ上くがうえ、職人さんたちのおかげでこっちの準備は OK だ」


 山成嘉やまなかが声をかけてきた。展示会の準備は、ほぼ整っていた。今日は、展示会会期前日のプレオープン。会場側のオペレーションや、展示作品同士の干渉など、明日からのオープンに向けた最終確認だ。関係者が一同に会するため、さながらシステム開発のリリース判定のように思えてしまう。僕は山成嘉に展示用プログラムの実行を依頼した。


 空泉そらいずみ芸術文化財団の展示ホールは、朝の光を柔らかく透過するガラス天井と、白い壁面が特徴的な空間だ。その中に、伝統工芸とデジタル技術の融合を示す僕たちのブースが、違和感なく溶け込んでいた。途中、辞退する企業が連続したときはどうなるかと思っていたが、両手で数えられる数で収まってよかった。風の噂レベルでしかないが、黄巳商事の圧力に対し、空泉グループが傘になったという話も聞こえている。


 ふと、エントランス方向から物音が聞こえた。


「やはり、ここにいたか」


 振り向いた先には、早矢巳はやみ 真治が立っていた。背後には黄巳おうみ商事の関係者らしき数人の姿も見える。スーツの上着のボタンを外し、挑発的な笑みを浮かべている。


「展示会の会期前に、少しお話がしたくてね」


 その声音には、明らかな敵意が込められていた。先日の空泉家での出来事を、すでに知っているのかもしれない。


「失礼ながら、当方には御社とするお話はございませんが」


 僕は冷静に対応しようとしたが、早矢巳は聞く耳を持たなかった。


「ふんっ、虎の威を借る狐のくせに。いけしゃあしゃあとしていられるのも今日までだ」


 早矢巳は、僕たちの展示ブースに近づきながら言った。


「そもそも、こんな安っぽい見世物で、伝統工芸が救えると思っているのか?」


 その言葉に、藤村さんが眉をひそめた。しかし早矢巳は、さらに挑発的な口調を続けた。


「所詮、一介のプログラマーごときが……」


「真治さん」


 静かな、しかし芯の通った声が響いた。振り返ると、そこには空泉 亜里沙が立っていた。


「このような場所で、そのような物言いは、いかがなものでしょうか」


 凛とした立ち姿で、空泉さんは早矢巳を見据えていた。


「亜里沙……」


 早矢巳の表情が一瞬歪んだ。


「まさかとは思うが、こんな底辺男を庇おうとしているのか?」


「……どういう意味でしょうか」


 空泉さんの声が、一段と冷たさを増す。


「九ヶ上さんは、職人の方々の技術を真摯に理解し、それを未来に継承するための手段を必死に考えてくださった方です」


 その言葉に、藤村さんたちが小さく頷くのが見えた。


「そんなことは、どこの会社だってやってるんだよ。こんな狐ヤローに頼らなきゃいけないことじゃない。むしろ、俺たちのほうが事業規模を大きく、手広くやっている。それはお前だって……」


「そして」


 空泉さんは早矢巳の言葉を遮るように続けた。


「あなたとは違い、人の心を持っている方です」


 その瞬間、早矢巳の表情が一変した。


「黙れ!」


 右手を振り上げる早矢巳。その手が空泉さんに向かって振り下ろされようとした瞬間。僕は咄嗟に前に出て、空泉さんと早矢巳の間に体をねじ込んだ。そして、展示室に響く鈍い音。続いて、僕の体が床に倒れる音が響く。


「ぐっ!」


「九ヶ上さん!?」


 早矢巳の右拳が僕の頬を殴りつけた。無茶な体勢で拳を受けたので耐えきれず、衝撃のままに倒れてしまった。殴られた頬よりも、床に打ちつけた背中が痛い。大人になってから感じたことのない衝撃に、息がつまってしまう。


「貴様ァ!」


 思い通りにならなかったことが許せなかったのだろう。早矢巳の左手が僕の首元に伸びる。そして、再び振り上げられた早矢巳の右手を、藤村さんが掴んだ。


「放せッ!」


 早矢巳の叫び声が展示場に響く。しかし、藤村さんは冷静に、しかし強い力でその腕を押さえ続けた。


「暴力を振るった時点で、あなたの負けです」


 藤村さんの言葉に、早矢巳の顔が真っ赤になった。


「うるせぇ!お前たちなんか……」


 その時、空泉さんの声が響いた。


「真治さん。九ヶ上さんを離してください」


 普段よりも低い声。だが、早矢巳は空泉さんのほうを見ようともしない。僕の首元を掴んだまま、藤村さんを睨みつけている。


「はぁ?」


「九ヶ上さんを離してください」


 首元を掴まれているので後ろを向くことができないが、空泉さんが怒っていることは見なくてもわかる。


「亜里沙。お前、誰に物言ってんだよ」


 僕は首元を掴む早矢巳の左腕を掴んだ。早矢巳は睨みつける対象を、藤村さんから僕へ変えた。


「九ヶ上さんを離しなさい」


「妻になる分際で意見を口にするな」


 早矢巳は僕を睨みつけたまま、空泉さんの言葉を切り捨てる。


「九ヶ上さんを離しなさい!」


 少しずつ、空泉さんの声が大きくなる。


「黙れ。妻は旦那の言うことを聞いていれば……」


「九ヶ上さんを!離しなさい!!」


 展示室に響き渡る怒声。空気がビリビリと震えているような錯覚すら感じる。


 一瞬、呆気に取られた早矢巳だったが、空泉さんを見ると小さく息を呑んで僕の首元から手を離す。


「あなたに用はありません。お帰りください」


 その一言に、会場の空気が凍りついた。早矢巳は何か言いかけたが、ついに背を向けて立ち去っていった。


 静寂が戻った展示場で、僕はようやく空泉さんの方を見ることができた。彼女は、少し震えているようだった。


「申し訳ありません」


 空泉さんが小さく頭を下げる。


「いえ、こちらこそ醜態を晒してしまい、申し訳ありません」


 ようやく落ち着いて息が吸えるようになった僕は、立ち上がって頭を下げる。


「もうちょっとかっこよく守れると思ったんですが。やっぱり運動していないと素早く動けませんね」


 その言葉に、空泉さんは小さく吹き出した。


「ふふっ……九ヶ上さんは、とってもかっこよく守ってくださいましたよ」


 その瞬間、展示場のガラス天井を通して差し込み、僕たちの周りを柔らかな光で包み込んだ。


「さて」


 空泉さんが静かに言った。


「展示会のプレオープンを再会しましょうか」

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