第15話 揺れる家族の絆
僕は
スマートフォンを取り出し、
『空泉家で緊急の家族会議が開かれるらしい。空泉 亜里沙さんは今朝一番の連絡で本邸に呼び出されているとか。これは芸術文化財団の職員がこっそり教えてくれた情報だから確実だ』
画面を見つめながら、昨日の出来事が脳裏に蘇る。
その時、スマートフォンが震えた。
「藤村です」
電話口から聞こえる声は、それまでの温厚な調子とは明らかに違っていた。四十年以上を職人として過ごしてきた藤村さんの声が、珍しく緊張を帯びている。
「突然、申し訳ありません。社長か専務から連絡させていただいたと思うのですが、技術継承プロジェクトについて、です。ここまで親身にお付き合いいただいたにもかかわらず、こちらの都合で一時的に保留とさせていただくことになり……」
藤村さんの声が途切れる。長年、河羽田製作所の技術を支えてきた彼もまた、板挟みの状況に置かれているのだろう。
「職人の技術継承は、待ったなしの課題です。藤村さんご自身でも感じていらっしゃると思いますが、背中を見て学ぶことや技術を盗むことは、学ぶ側の個人の技量に依存するものです。人手不足が叫ばれる今、製造関係を志望する人が減っているのも実情。そんな中で藤村さんたちが身につけてきた技術を後世に伝えるには、時間が足りません」
僕は静かに、しかし確信を持って答えた。
「それは重々承知しています。若い衆の育成も、このままでは……」
再び、藤村さんの声が途切れる。その間に降りかかる沈黙が、状況の深刻さを物語っていた。
「承知しました」
僕はそう答えながら、すでに次の一手を考えていた。技術で道を切り開く。それが僕の、僕たちのやり方だ。
スマートフォンの画面には、
『プロトタイプの改良に目処が立った。一度確認してほしい』
頼もしい報告だ。しかし今はそれどころではない。
エントランスの大きな窓からは、空泉芸術文化財団の庭園が見える。紅葉が始まった木々の間を、冷たい秋風が吹き抜けていく。
突然、正面玄関のガラスドアが開いた。そこに立っていたのは、空泉 亜里沙だった。
普段の凛とした佇まいは変わらないものの、その表情には見たことのない緊張が浮かんでいる。しかし、その眼差しは揺るぎない意志を秘めていた。
「
その声は、いつもより少し低く、しかし芯が通っていた。
「家族会議が終わりました」
亜里沙は私の目をまっすぐに見つめた。その瞳に映る決意の色に、私は言葉を失った。
「祖父が……空泉グループの会長である祖父が、私に選択を迫りました」
その言葉に、私の心臓が早鐘を打ち始めた。空泉
「展示会の中止を……」
空泉さんの言葉が途切れる。その瞬間、僕の中で何かが凍りついた。どんなに僕たちが展示会へ出展しようとしても、展示会自体が中止されてしまったら、どうしようもない。
しかし、次の言葉は僕の予想を完全に覆すものだった。
「展示会の中止を求める声に、私は反対しました」
空泉さんの声は、徐々に力強さを増していく。
「デジタルの力で伝統を守り、新しい価値を生み出す。それは私たち空泉芸術文化財団が目指すべき姿です。そして、それを実現できる技術を持っているのは、TechFlow 社しかありません」
その言葉に、僕は思わず息を呑んだ。
「祖父は最後まで私の目を見つめていました。そして……」
空泉さんの表情が柔らかくなる。
「『お前の目は迷いがないな』と」
その言葉に、僕の緊張が一気に解けた。空泉 剛志会長。その人物の直感と決断は、これまで幾度となく正しかったと聞く。
「ただし」
空泉さんが付け加えた。
「黄巳商事との関係は、簡単には解決できないでしょう。むしろ、これからが本当の戦いになるかもしれません」
その通りだ。しかし、後に引くわけにはいかない。僕は空泉さんの決意に、自分の覚悟で応えた。
「僕たちは技術者です。技術で、道を切り拓きます」
僕の言葉を聞いた空泉さんは、少し言いづらそうにしつつも再び口を開いた。
「……これは身内の恥を晒すようですが、私が
空泉さんの言葉に、僕は咄嗟に言葉を返せなかった。人間は感情の動物と言われているとはいえ、いくらなんでも黄巳商事の行動は非合理すぎやしないだろうか。
言葉を探していると、力なく息を吐いた空泉さんの肩が僅かに震えているのに気がついた。朝からの緊張と、家族会議での決断。普段は決して見せない弱さが、今、微かに表れている。
「少し座りませんか。立ち話を続けるのもなんですし」
僕は静かに声をかけた。エントランスの一角には、来客用のソファが置かれている。空泉さんは小さく頷き、その場所へと歩を進めた。
「すみません……少し、疲れが」
めずらしく弱々しい声に、僕は胸が締め付けられる思いがした。いつもは凛として揺るがない彼女だが、やはり二十代半ばの若さで、この重圧と向き合うのは容易なことではないはずだ。
「展示会を実施いただく決断をしてくださり、ありがとうございます」
僕は、できるだけ温かみのある声で告げた。
「これからは、僕も一緒に全力で戦います」
その言葉に、空泉さんの目が少し潤んだように見えた。けれど彼女は、凛と背筋を伸ばし、柔らかな微笑みを浮かべた。
エントランスに差し込む午後の陽光が、僕たちの影を大きく伸ばしている。その光と影の境界線が、これからの戦いの始まりを告げているようだった。けれど今は、この静かな時間が、僕たちにとってかけがえのない支えとなることが確信できた。
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