第11話 予兆
機械の熱で暑いくらいの工場に、研磨機の低い唸り声が響いていた。
「藤村さん、もう一度お願いできますか」
僕の声に、藤村さんは黙って頷いた。職人らしい無駄のない動作で、手元の金属部品に研磨機を当てる。その瞬間、モニター上のグラフが鮮やかな波形を描き始めた。
「やっぱり!」
横で作業していた
「面白いですね、それ」
藤村さんが研磨機から目を離さずに言う。長年の経験で培った技を、デジタルデータとして目の当たりにすることへの感慨が、その声には滲んでいた。
「
説明しかけた山成嘉の言葉は、工場に響いた足音で途切れた。振り返ると、そこには
「お邪魔します。進捗を確認させていただこうと思いまして」
その佇まいは工場の無骨な雰囲気とは不釣り合いなはずなのに、どこか自然に見えた。所作が美しい人は、どこにいても違和感を感じさせないのかもしれない。
「ちょうど良いタイミングですね。今し方、面白い推測についての発見がありまして」
僕がモニターの画面を指し示すと、彼女は興味深そうに近づいてきた。
「これは?」
「こちらは、藤村さんが研磨機を操作して製品の仕上げを行なっている際のデータです。映像データから抽出させていただいたをもとに、グラフ化しています」
モニターに興味を示した空泉さんに、山成嘉がモニターに映し出された波形の一部分を指で示す。
「波形の中に、このような想定外のパターンを見つけたんです。きっかけは、研磨作業のデータ収集と分析を行なっているときでした。分析処理の考慮不足ではあったんですが、このパターンを発見することができました。こちらも、"癖"の一部であると思われますので、技術継承に向けた再現度を向上させることができる可能性があります」
画面に映る波形の説明をする間、彼女は真剣な眼差しで聞き入っていた。そして、話を聞き終えると、藤村の方を向いた。
「藤村さん、このリズムは意識されているのですか?」
作業のキリがよかったのだろう。空泉さんからの質問に、藤村は作業の手を止めた。
「いや、意識したことはないな。ただ、この感覚でないと、良い仕上がりにならない」
その言葉に、空泉さんの目が輝いた。
「まさに、そこを求めていたんです。言語化することは難しいものの、良い仕上がり、良い作品を作るための要素があることは認識しております。それを可視化できれば、言語化できずとも技術継承に効果があると考えておりました」
技術と芸術。異なる分野だと思っていたものが、確かな接点を持ち始めていた。
しかし、その発見の喜びも束の間。僕のスマートフォンが震えた。画面には
「すみません、ちょっと」
離れた場所で電話に出ると、武良守の声は妙に慎重だった。
「九ヶ上、展示会のことで気になる話を聞いたんだ。
「黄巳商事?たしか、繊維とかに強い商社じゃなかったか?いくつもの有名ブランドがグループにあったくらいしか知らないな。で、その黄巳商事がどうしたんだ?工場関係の仕事、というわけじゃないだろ?」
電話向こうの武良守は、言いあぐねているようだった。しばらく待っていると、意を決したように話を始めた。
話を聞き終えた僕は、電話を切って戻る。夕暮れの光が工場の窓から差し込んでいた。空泉さんは藤村の作業を食い入るように見つめている。その横顔が、オレンジ色の光に照らされていた。
「空泉さん」
区切りの良いタイミングを見計らって声をかけると、彼女はゆっくりと振り向いた。
「このプロジェクト、必ず成功させましょう」
僕の言葉に、彼女は静かに頷いた。その瞳には、確かな決意が宿っていた。
工場の外では、秋の風が冷たさを増していた。季節の変わり目のように、何かが動き始めようとしているのを感じていた。
それが良い方向への変化なのか、それとも––。
答えはまだ見えない。ただ、この工場で見つけた可能性を、必ず形にしたいと思った。
技術者として、そして––。
その先の言葉は、心の中にしまっておくことにした。
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